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Alan Mathison Turing
1912 - 1954
チューリングマシンの考案者
有名な「ゲーデルの不完全性定理」を導いた大数学者ゲーデルは、1951年のギブス講演でチューリングの業績をつぎのように引用した。
「私の意見では、最も完成度の高い方法は、イギリスの数学者テューリングによる、 有限数の手続きの概念を、有限個の部分から構成される機械の概念に還元するというものです。 この方法が導く哲学的帰結については、これまでに十分な議論が尽くされたとは思えませんし、 私は、もっと注目されるべき問題なのではないかと考えています。 その問題は、さまざまな局面から分析することができますが、 実は、たった一つの基本的な事実に基づいています。それが数学の不完全性、 あるいは、数学の無尽蔵性と呼ばれるメタ数学的結果なのです」
そのチューリングの論文とは1936年に発表された「計算可能数についての決定問題への応用」で、このなかでチューリングは無限に長いテープと、そのテープに情報を読み書きするヘッドとを持った、いくつかの簡単な基本操作によって動く機械を想定し、その機械の有限回の操作で数学の形式体系と等価な働きをすることを導いた。また、この論文では同時に機械を停止させることができない問題(解くことができない数学的命題)が存在し得ることと、それを事前に判別することが不可能なことも証明した。(停止定理)これがゲーデルの不完全性定理の別の表現になっていることをゲーデルは言ったわけである。この仮想機械は後にチューリング・マシンと言われるようになり、論理的な計算を機械でシミュレーションすることが可能なことを示したことで、電子計算機の理論的な基礎付けを行ったものと今日では評価されている。
アラン・チューリングは1912年イギリスのロンドンで生まれた。 1931年ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学し、数学を専攻した。 1935年に同カレッジのフェローに選出されると、1936年から38年まで 米国プリンストン大学に留学、ここで博士号を授与されている。 この時期にフォン・ノイマン(プリンストン大学の教授をしていた)に助手として残らないかと誘われているが、チューリングはそれを断ってケンブリッジ大学に戻った。
第二次世界大戦が始まる直前、1938年イギリスは敵国ドイツの暗号機械の複製を 手に入れることに成功した。英国政府は秘密裏に有能な技術者や数学者を集め、 その暗号機械(エニグマと名付けられた)の解析にあたらせた。その中にチューリングもいた。このプロジェクトはチューリングの理論に基づいてドイツの暗号機械を正確に模倣する独自の機械を作ることに成功し、暗号は解読できるようになった。その後、1942年チューリングは暗号解読技術の交流のため戦時中アメリカに派遣され、最新の電子工学の技術を知ることになる。帰国後チューリングは真空管を使った新たな暗号解析機のプロジェクトをリードした。この機械はコロッサスと名付けられ 1943年に完成した。この成果によって大戦中ドイツの重要な暗号を解読し、 連合軍の勝利に大きく貢献したらしい。またコロッサスは<真空管を使った初めてのコンピュータ で、 エッカート/ モークリーのENIACに比べると暗号解読専用であることや、規模も小さかったが、2年早かったことになる。
戦争が終わると、1945年国立物理学研究所にはいり、ここでチューリングは彼の構想に 基づくイギリスのコンピュータ・プロジェクトACEに参加した。 しかしこのプロジェクトは思うように進まず、結局チューリングは1948年、 国立物理学研究所を辞し、マンチェスター大学の計算機担当になった。 マンチェスター時代にチューリングは今で言う人工知能や認知科学といった 方向の研究にシフトしていく。
1950年に書かれた論文「計算機構と知能」はチューリングにとって、もう一つの著名な論文となった。「機械は考えることができるか」というのは今となっては素朴すぎる設問だが、 ジョン・マッカーシー等による人工知能学会が米国で旗揚げするのが1955年のことであることを考えると、50年代前半はコンピュータの可能性を世界の頭脳が考え始めた創生期にあたるのだろう。この論文の内容は後にチューリング・テストと呼ばれるようになり、もしそのテストに合格するならば機械は考えていると言えるが、むろん現在にいたるまで合格した機械はない。その事実は、チューリング自身が証明した停止定理やゲーデルの不完全性定理の語っている内容と深い関係があるに違いないのである。
チューリングは凝り性だったようで、マラソンは生涯続けたスポーツだった。一時は本気でオリンピック出場をめざしたこともあるようで、バイオリンやチェスは続けた割に上達しなかったが、マラソンは毎日15マイルを欠かさなかったとのことである。
1954年マンチェスターの自宅でチューリングは青酸カリを飲み自殺した。彼は死の2年前、同性愛の罪で逮捕され、スパイの嫌疑もかけられたようで、我慢できないほどの屈辱の日々が続いていたのだった。1952年はアメリカでもマッカーシズムによる赤狩りが嵐のように吹き荒れていて、いまとなっては無実の人々が数多くその地位を追われたり重い刑をいいわたされたりしていた。当時のイギリスもその影響力の範囲にあって、特に同性愛はスパイとかなり相関があるイメージで考えられていたようだ。チューリングは戦時中の暗号解読の功績にもかかわらず、その嵐に飲み込まれてしまった。42歳だった。
アメリカ計算機学会(ACM)はアラン・チューリングを記念して、彼の名を冠したチューリング賞を毎年コンピュータ科学で活躍した人々に授与している。今までの受賞者はジョン・マッカーシー、 マービン・ミンスキー、 ケン・トンプソン、 デニス・リッチー、 ニクラウス・ビルト、エズガー・ダイクストラ、ドナルド・クヌース、アイヴァン・サザランド、ジョン・バッカス、エドガー・コッド などそうそうたるメンバーで、コンピュータの世界では最も権威のある賞として定着している。
| 「コンピュータの英雄たち」 | ロバート・スレイター | 朝日新聞社 | 1992年7月 | 2300円 |
|---|---|---|---|---|
| 「コンピュータは考える」 | P.マコーダック | 培風館 | 1998年11月 | 2500円 |
| 「思考のための道具」 | ハワード・ラインゴールド | パーソナルメディア | 1987年12月 | 1854円 |
| 「ブレインズ―コンピュータに...ヤングジャンプ・コミックスBJ (1)コンピュータに賭けた男たち」 | 作・伊藤智義 画・窪田眞司 | 集英社 | 1996年12月 | 780円 |
| 「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」 | 高橋昌一郎 | 講談社 | 1999年6月 | 680円 |
| ON COMPUTABLE NUMBERS, WITH AN APPLICATION TO THE ENTSCHEIDUNGSPROBLEM | ||||
| アラン・チューリング伝 | サラ・チューリング 渡辺茂/丹羽富士男訳 | 講談社 | 1969年 | 0円 |
| 残念ながら絶版となってしまっているが、チューリングのお母さんが書いた本で、チューリングのプライベートな面をしりたいときに貴重な本となっている。 | ||||
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