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John Presper Eckert
1919 - 1995
最初の汎用コンピュータENIACの共同制作者
プレスパー・エッカートは1919年に米国フィラデルフィアで生まれた。 エッカートも他の多くの偉人と同じように、子供の頃から科学とか実験、発明が大好きだった。 12歳の時には真空管を使ったラジオを自作している。 かれは電気を使うのはお手の物で、大学も電気工学を専攻した。 1941年にペンシルバニア大学を卒業し、1943年修士課程を修了。 1964年には母校から名誉博士号を授与されている。 ペンシルバニア大学のムーア・スクールではエッカートは誰が見ても超一流の電子技術者だった。 彼はまだ20代前半だったが、すでにテレビ受像器に関する特許ももっていた。
1944年から1946年の間、ペンシルバニア大学のムーア・スクールでENIACプロジェクト に参加した。PXと呼ばれたENIACのプロジェクトではエッカートはチーフ・エンジニアをつとめ、 電子回路の基準回路を作って誰もがそれを使うようにした。 こういったことは大規模なプロジェクトで大勢の人間が関係する仕事では特に重要な働きをする。 よいスタンダードは物事をわかりやすくし、複雑なことを単純にみせる。 彼のスタンダードはまさにそういった働きをした。
エッカートとジョン・モークリーはENIACプロジェクト終了後、彼らの会社を設立し、コンピュータの制作をした。彼らの作ったUNIVAC-Iが一躍有名になったのは、1952年の大統領選挙戦だった。このときはアイゼンハワーとスティーブンソンが戦ったのだが、下馬評は五分五分の接戦だった。開票待ちの時間にコンピュータに選挙の予想をやらせてみようということになり、 UNIVAC-Iが使われたのである。マスコミにとっては、ほんの余興だったが、コンピュータ技術者たちは真剣で、過去の大統領選挙の統計から傾向分析し、膨大な量のデータをインプットして、かなり精度のいいシミュレーションをできるようにした。その結果はアイゼンハワーの圧勝とでたのである。下馬評とあまりにも食い違うので、プログラムにわざと手を入れ下馬評に近づくようにしたらしいが、結果はUNIVAC-Iの最初の予想が当たっていた。この後、IBMの時代がくるまでのたった数年間だが、 UNIVACの名前はコンピュータの代名詞として使われるようになった。
エッカートは1995年に亡くなっているが、IEEEではエッカート・モークリー賞が設けられていて、 いままでゴードン・ベルや セイモア・クレイなどが受賞している名誉ある賞となっている。
二人の力:初めての汎用電子計算機ENIACもご覧ください
| 「コンピュータを創った天才たち」 | ジョエル・シャーキン著 名谷一郎訳 | 草思社 | 1989年10月 | 3200円 |
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| 著者は科学読み物のライターで、コンピュータの歴史を興味深く伝えてくれている。バベッジも第2章にアルファベット・ファンクション卿として登場する。歴史の好きな人ならけっこう楽しく読めると思う。 | ||||
| 「エニアック」 | スコット・マッカートニー著 日暮雅通訳 | パーソナルメディア | 2001年8月 | 1900円 |
| 副題の「世界最初のコンピュータ開発秘話」からもわかるように、エッカートとモークリーを中心に、ENIACの開発をドキュメンタリー風に解説したもの。著者はウォールストリートジャーナルのライターだ。 | ||||
| 計算機の歴史 | ハーマン・H.ゴールドスタイン著 末包良太/米口肇/犬伏茂之訳 | 共立出版 | 1979年1月 | 4500円 |
| 残念ながら絶版となってしまっているのか?アマゾンのリストにはない。著者のハーマン・ゴールドスタインはENIACプロジェクトを仲介していた数学者で、証言者としてはもってこいの立場にいた。 | ||||
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