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John Vincent Atanasoff
1903/10/4 - 1995/6/15
米国特許における最初の電子式計算機の発明者
今から30年ほど前に米国で、誰が最初にコンピュータを発明したかという特許問題が裁判にかけられたことがあった。この裁判で、俗にいう「ENIAC特許」は失効し、ジョン・アタナソフが最初のコンピュータの発明者(あくまで米国の中での話だが)と裁定されたのだった。アタナソフの作ったのはアタナソフ・ベリー・コンピュータ(ABCマシン)と呼ばれている。現在の基準からするとコンピュータというよりは電子式数値解析機といった方が当たっているが、少なくともデジタル化された 2進数演算ができる機械だった。
ジョン・アタナソフはブルガリア移民の子として、1903年米国ニューヨーク州で生まれた。1921年にフロリダ大学入学し電気工学を専攻した。本人は数学と物理学をやりたかったようで、卒業後の1925年にアイオワ州立大学の大学院に進み、数学を学んだ。1926年に 数学で修士号を取得すると、ウイスコンシン大学の博士課程に進み、今度は物理学をやった。1930年理論物理学で博士号を取得した。数学、物理そして電気工学という重要な3分野に知識を持っていたアタナソフはコンピュータを1から創るにはうってつけのポジションにいた。
博士課程時代に、理論物理の膨大な計算をもっと効率よくできないかといった問題意識がめばえ、以後計算機に興味を持つようになった。博士号を授与されるとアタナソフはアイオワ州立大学 にもどり、数学と物理学の助教授に迎えられた。この時期から本格的に計算機作成に取り組み、まずは手動のモンロー計算機や、IBMの作表機などを研究した。1936年には同僚とラプラス変換用のアナログ計算機を共同制作した。しかしアタナソフはその後、当時性能がどんどんアップしていた真空管を使いたいと思うようになった。電子工学を勉強するとともに、いろいろ考えた。
アタナソフは電子回路を使った計算の原理についてずっと考え続けていたが、考えがまとまらず混乱するばかりだった。1937年のある日、気分転換のためドライブに出かけ、郊外の酒場に寄った。酒場でもう一度考えると、うそのようにすっきりと今までの考えがまとまったのだった。コンデンサを使った記憶と2進法による演算である。これがアタナソフのデジタル計算機の原理となった。
アタナソフは早速真空管を使った2進法による演算回路の設計にとりかかった。 その作業のめどのついた頃、電気工学の優秀な院生クリフォード・ベリーを助手に得て、試作機の製作に取りかかることができた。1939年に約300本の真空管を使った試作機は完成し、アタナソフ・ベリー・コンピュータと名付けられた。10進数で言うと8桁までの数値を加減演算ができるという初歩的なものだったが、初めて「電子的な方法で計算」する「2進法による演算回路」が組み込まれた装置だった。
1939年は奇しくも第2次世界大戦がヨーロッパで始まった年で、アメリカの研究期間も戦時協力体制下に入っていった。アタナソフはしばらく試作機の改良を続けていたが、1942年から軍事研究にかりだされた。ベリーも卒業して軍事関係の会社に入った。こうしてアタナソフのコンピュータ開発は中断することになるのだが、この時期ペンシルバニア大学では陸軍のプロジェクトとしてENIACの開発がスタートしていた。ジョン・モークリーと プレスパー・エッカートの設計になるENIACは約18000本の真空管を使った巨大な電子計算機で第2次大戦終結後の1946年に一般にその存在が公表された。その時からENIACは世界で最初のコンピュータ としての名声を得ることになった。エッカートとモークリーはこのコンピュータ技術を特許として申請していたのだが、しかしその後、年月を経て、ひょんなことからこの特許が裁判所にのぼることになるのである。
1964年にENIAC特許が公告され、その権利を買収したスペリーランド社は1967年ハネウエル社にENIAC特許の使用料として莫大な額を突然請求した。このことから端を発したコンピュータの発明をめぐる特許係争はハネウエル側の勝訴となり、1973年ミネアポリス地方裁判所でラーソン判事が読み上げた裁定で結審した。
「エッカートとモークリーは、自ら最初の電子計算機を発明したのではなく、ジョン・ヴィンセント・アタナソフ博士からその原理を受け継いでいる」
(蛇足ながら、この裁定はENIAC特許のことを言っていて、エッカートとモークリーが ENIACを作ったという業績を否定しているわけではない)
こうしてコンピュータ分野におけるジョン・アタナソフの業績は再評価されるようになった。1974年アタナソフは母校アイオワ大学の大学祭に主賓として招かれた。またその後、フロリダ大学やウイスコンシン大学などから多くの名誉博士号をおくられた。1990年にはブッシュ大統領から勲章をもらっている。しかし、 こうしたコンピュータの原理レベルの話では、実は米国だけでなくイギリスや ドイツなどでも1930年代当時に先進的な研究が行われていた形跡があり、だれが最初にコンピュータを創ったかという論争は簡単ではないようだ。
| 「ENIAC神話の崩れた日」 | クラーク・R・モレンホフ著 最相力/松本泰男訳 | 工業調査会 | 1994年7月 | 2350円 |
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| これはENIAC特許をめぐるアタナソフを主人公としたドキュメンタリーだ。モークリーとエッカートが悪玉になり、黒幕が利益を追求する大企業、といった勧善懲悪モデルにあまりにもあてはまりすぎているのが気になるが、アタナソフ側から事実関係を知りたい人にはお勧めかも。 | ||||
| 「コンピュータを創った天才たち」 | ジョエル・シャーキン著 名谷一郎訳 | 草思社 | 1989年10月 | 3200円 |
| 著者は科学読み物のライターで、コンピュータの歴史を興味深く伝えてくれている。バベッジも第2章にアルファベット・ファンクション卿として登場する。歴史の好きな人ならけっこう楽しく読めると思う。 | ||||
| 「誰がどうやってコンピュータを創ったのか?」 | 星野力著 | 共立出版 | 1995年7月 | 2136円 |
| この本は、コンピュータの歴史的事実を原典に則して、現代的な理解を得ようとして書かれている。エイダの解析エンジンの注釈の中身についてふれているのは国内ではこの本だけではないだろうか。 | ||||
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