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John William Mauchly
1907 - 1980
最初の汎用コンピュータENIACの発案者
モークリーは1907年米国オハイオ州シンシナティーで生まれた。 父は物理学者で学問的な環境で育った彼は早熟で好奇心の旺盛な子供だった。 父の影響を受けたのか、1925年ジョンズ・ホプキンス大学工学部に入学したが物理学 に鞍替えしている。1932年に物理学の博士号を取得した。彼は、分子エネルギーの計算や、 後に手を出した気象学上の計算などで計算機が無くて歯がゆい思いをしていた。 モークリーはENIACを手がける前に何台かの電気式計算機を試作している。 安い放電管を使った10進法の計算機、フリップフロップ回路を応用した信号機 、5個の放電管を使った2進カウンター、アナログ型の調和解析機などなどで、 お金が無く予算面で苦労しながらも計算機の構想を練り上げていった。
転機が訪れるのは1941年である。折しもヨーロッパで第二次世界大戦がはじまっていた。 その時点ではアメリカはまだ参戦していなかったが、誰もが参戦は時間の問題とみていた。 ペンシルバニア大学のムーア・スクールでは戦時要員確保のため、 電気工学者要請講座を開くことになり、計算機のため電気工学をもっと知りたかった モークリーが応募したのである。そこでの講座はモークリーが期待したレベルではなかったが、 モークリーは彼の電子式計算機の構想をムーア・スクールで話し、 みんなの関心計算機に向けさせようとした。しかし誰も関心を示さなかった。 ただ一人、ムーア・スクールの院生で講座のアシスタントをしていたジョン・プレスパー・エッカート はまじめにモークリーの話を受け止めた。二人は急速に接近し計算機の構想を話し合った。
同じ頃、陸軍の弾道研究所は、弾道計算のためムーア・スクールに人をだしていた。 そこでも膨大な弾道計算のため人海戦術も限界にきていた。速い計算機を必要としていたのだった。 1943年、陸軍がモークリーの構想を聞きつけて企画書をだしてくれるように言ってきた。 モークリーはエッカートと協力して徹夜で企画書をしあげ、 ついに世界初の電子式汎用計算機のプロジェクトがスタートすることになった。
モークリーはENIACプロジェクトが終わった1946年後もエッカートと組んで同じ道を歩んだ。今度はビジネス世界である。二人ともずっと学者として生きてきたので、資金集めや、商業契約など初めての経験だった。それにコンピュータなど、その頃一般の人は全然認識がなかったので、スポンサーを探すのに非常に苦労した。 UNIVAC(Universal Automatic Computer)とうい名前を思いついたのはエッカートだったらしい。最初はエレクトロニック・コントロール社という合名会社で1946年スタートしたが、翌年エッカート・モークリー・コンピューティング・カンパニーという株式会社にした。しかし資金繰りは相変わらず難しく、ついに1950年レミントン・ランド社に買収されたが、その1年後1951年彼らの記念すべきUNIVAC-Iが国勢調査局に納入された。
二人の力:初めての汎用電子計算機ENIACもご覧ください
| 「コンピュータを創った天才たち」 | ジョエル・シャーキン著 名谷一郎訳 | 草思社 | 1989年10月 | 3200円 |
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| 著者は科学読み物のライターで、コンピュータの歴史を興味深く伝えてくれている。バベッジも第2章にアルファベット・ファンクション卿として登場する。歴史の好きな人ならけっこう楽しく読めると思う。 | ||||
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