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フォン・ノイマン

John von Neumann

1903 - 1957

ノイマン型コンピュータの発案者

1999/08/24 掲載

純粋数学者から万能の天才へ

フォン・ノイマンは友人に宛てた手紙に次のようなことを書いた。

「私はここで、実験物理学について、特に気体力学のいろいろなことについて多くのことを学びましたので、いっそう優秀な、そしていっそう応用的なことに関心をもった、純粋性を失った人間 になって戻ることになるでしょう。.....私は転向しつつあるような感じがします」
「ノイマンとコンピュータの起源」ウイリアム・アスプレイ著より

純粋性を失った純粋数学者は数学だけでなく、物理学、経済学、気象学、生物学、 そしてとりわけコンピュータ科学に偉大な足跡を残すことになった。 天才とは何だろうか。単に頭の回転の速い人ではないだろう。 やはり並外れた洞察力や抽象化能力ではないだろうか。 フォン・ノイマンはこの点で真の天才というべき人だった。

略歴

ジョン・フォン・ノイマンは1903年ハンガリーの首都ブタペストで生まれた。子どもの頃から早熟で記憶力や頭の回転が並外れていたらしい。ブタペストのギムナジウム(10歳から18歳までなので日本の中学高校一貫教育に相当するか)では数学の才能がはやくも担任に認められ、ブタペスト大学の数学者に個人教授を受けるように薦められ8年間みっちり英才教育を受けた。1921年ブタペスト大学に入学し数学を専攻した。しかし学部の数学などとっくに卒業していた彼はベルリンに滞在しアインシュタインやシュミットなどの講義を聴き見聞を広めた。1923年スイス連邦工科大学に入学し化学工学を専攻した。この頃はもう立派な数学者でヘルマン・ワイルの講義の代役を勤めたりした。1925年化学工学で学位をとり、1926年ブタペスト大学から数学の博士号を授与された。1926年からゲッティンゲン大学で研究生活をおくった後1927年ベルリン大学の私講師となった。1930年招かれてプリンストン大学の講師になり、翌年教授になった。1933年プリンストン高等研究所の終身研究者になり、この機会にアメリカに移住、1937年アメリカの市民権を得た。1954年アメリカ原子力委員になった。1957年ワシントンでガンのため亡くなった。

純粋数学の業績

元々数学者として出発した彼は20代の若い時期に数多くの数学論文を発表して、数学界では名の知れた存在になっていた。特にフォン・ノイマンはヒルベルトとその学派に強い影響を受けていて、集合論、数学基礎論、ヒルベルト空間論、作用素論、エルゴート理論、連続幾何学などの純粋数学の分野で多くの功績を残している(その内容は筆者には難しすぎて説明できないのが残念だが)

量子力学の数学的基礎づけ

20世紀の前半、物理学は新しい世界に入りつつあった。 1925年にハイゼンベルグの量子力学が誕生したが、シュレディンガーの波動理論 との矛盾が残されていた。両方の理論はともに実験結果をうまく説明できたが、 量子と波動というおよそ直感的に結びつかない2つの別々の説明がどうして成り立つのか、 物理学者を悩ませていた。ノイマンはヒルベルト空間の作用素論を発展させ、 ハイゼンベルグの行列力学とシュレディンガーの波動力学はヒルベルト空間において 同等と見なせることを証明した。1932年に発刊された「量子力学の数学的基礎」 はその研究の集大成だった。日本語訳には湯川秀樹博士による序文があるので引用する。

「1927,8年頃にはHeisenbergの不確定性原理やBornの相補性の考え方が根幹になって一応物理学者にとって満足すべき理論体系ができ上がった。しかし、それはまだ数学者を満足させる程まで論理的な厳密さをもって築き上げられた体系ではなかった。....このような不満足な状態を是正するために、 Neumannはそれまで物理学者には縁の遠かったHirbert空間の理論を基礎におくことによって、論理的に一貫し、数学者にも受け入れられる形に量子力学を再構成することに成功した」
量子力学の数学的基礎」J.v.ノイマン著より

戦時研究のコンサルタント

第二次世界大戦の勃発からノイマンは合衆国政府のコンサルタントのような立場で 軍事研究に積極的に参加した。陸軍弾道研究所のアドバイザーや国防委員会のメンバー、 原爆プロジェクトの中心だったロスアラモス研究所の顧問、 その他多数の戦時プロジェクトに何らかの関係をもっていた。そうした中で、 弾道計算や原爆の爆発を制御する流体力学の計算など、高速の計算機の必要性が高く、 ノイマンは計算機への興味を増大させていった。

ENIACとの遭遇

1944年ふとしたきっかけでペンシルバニア大学ムーア校の計算機プロジェクトの存在を知った ノイマンはすぐに見学に行き、以後アドバイザーとして足繁く訪問するようになる。 このプロジェクトは陸軍がスポンサーで、 ジョン・モークリーのアイデアをジョン・プレスパー・エッカートが技術的中心になって進めていた。1946年真空管を17000本使ったこの計算機はENIACとして世に発表された。

ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャー

フォン・ノイマンはENIACの次期計画EDVACでは設計段階から参加し、 1945年「EDVACに関する報告書第一稿」でははじめてプログラム内蔵方式コンピュータの情報処理を説明した。この報告書は後にエッカート/モークリーとの特許論争に発展するが、計算機ノウハウをビジネスにしようと考えていた彼らと違って、フォン・ノイマンは機械計算の論理化、抽象化という学問的な興味しかなかった。1946年バークス/ゴールドスタインとの連名で「電子計算機の論理設計の予備的討論」 と題された報告書が作られた。この報告書にはコンピュータ設計の基本が明確に論じられており、以後これが教科書のように使われ、今日のコンピュータ設計の基本になっているノイマン型アーキテクチャーとして知られるようになった。

プログラミングに関する初めての本

また、この続編として1947,48年に発行されたゴールドスタインとの共著 「電子計算機のための問題の計画とコーディング」3巻は プログラミングに関する最初の本 で、プログラミングの定義と方法論が論じられた。この中で フローチャート手法が初めて考案 され紹介されている。彼はこの本のなかで、プログラミングの定義をめずらしい形でしている。

「コーディングは翻訳のような静的過程ではなく、むしろ意図していることの自動的な展開を制御するための動的基盤を与えるテクニックである」
ノイマンとコンピュータの起源」ウイリアム・アスプレイ著より

フォン・ノイマンの経済拡大モデル

1932年にある数学セミナーで行った 「経済学の方程式いくつかと、ブロウエルの不動点定理の一般化について」 という小さな講演は、後に数理経済学を大きく変えることになった。それは経済均衡の数学モデルで、ある条件の元での経済の動きを数学的に論証したもので、経済学者に数学の使い方はこうするんだと教えることになった。

ゲームの理論

また、フォン・ノイマンは一般にゲームの理論の創設者として知られている。それは1944年に発刊されたモルゲンシュテルンとの共著「ゲームの理論と経済行動」 が起点になっている。ゲームの理論は現在では数理経済学、ミクロ経済学の分野で欠くことのできない分析手法となっている。

 フォン・ノイマンはこの他に、気象学、生物学などにも業績を残している。 54歳での早すぎる死は多くの人々を悲しませたが、彼の一人娘はニクソン政権の 経済顧問をやったこともある人で、才能は受け継がれたというべきだろう。

参考文献および関連書籍の紹介
「量子力学の数学的基礎」 J.v.ノイマン著 井上健/広重徹/恒藤敏彦訳 みすず書房 1957年11月  1200円
湯川先生の序がある本書は、物理学の専門書という位置付けになるので、数式がいっぱい出てくる。物理やコンピュータ科学の学生さんにはお勧めかも。
「ノイマンとコンピュータの起源」 ウイリアム・アスプレイ 杉山滋郎/吉田晴代訳 産業図書 1995年9月  4000円
この本はノイマンを語る上では欠かすことができない。豊富な写真情報とともに、ノイマンが考えたこと、やったことを克明に記録してある。全体としてはノイマンの伝記となっているが、ノイマンの考えたコンピュータの本質、情報の根源をともに考えさせる本となっている。
「フォン・ノイマンの生涯」 ノーマン・マクレイ著 渡辺正、芦田みどり訳 朝日新聞社 1998年9月  1900円
ノイマンの一生を文学風にまとめたもので、普通の意味の伝記といっていいと思う。いろいろなエピソードが入っていて読みやすい。著者は雑誌「エコノミスト」の記者をしていたジャーナリストで、まとめかたもうまい。
「計算機の歴史」 ハーマン・H・ゴールドスタイン著 末包良太・米口肇・犬伏茂之訳 共立出版 1979年1月  4500円
著者のゴールドスタインは、ENIACの開発にたずさわった数学者だ。その後、ノイマンの才能にほれて、彼のアシスタントのような立場にいた。歴史の真っ只中にいた人の証言としての本書は、貴重だが、バベッジの業績も評価されている。

 

 

コメントの投稿と一覧
2011-12-28
当時のVIPのボディガードは海兵隊だから陸軍のゴールドスタインには常識なのだろう。だから軍事機密のEDVACレポートを大戦中に発表出来た。

2010-12-16
戦時中ノイマンはプリンストン高等研究所から海軍と陸軍、ロスアラモスと3ヶ月ごとに顧問として滞在していた。ENIACに関しても顧問で有りメンバーでは無い、長崎型も最初の3ヶ月でデータ集めの指示をし次の3ヶ月で計算したようだ。ゴールドスタインは何故ボディガードのいた事を書かなかったのか不明だが。ウラムは書いてる。

2010-12-16
フォン・ノイマンの生涯を書いたノーマン・マクレーはエコノミストの編集長でありミスター・エコノミストと呼ばれた御仁である。木下玲子の本に詳しいが作中でインタビユーした中で断トツの難物だったと感想を吐露している。

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