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ジーン・アムダール

Gene Myron Amdahl

1922 -

IBMシステム360のデザイナー

1998/08/31 掲載

作りたくてしかたがない

ジーン・アムダール
ジーン・アムダール

アムダールの名前はIBMコンパチブルマシンのメーカーとして記憶している人も多いと思う。実際彼の主たる業績として、システム360のデザイナーとどっちを選べばいいか迷うところである。実は彼はもう相当なおじいさん(77歳)だが、まだ現役で活躍している。1994年にコマーシャル・データ・サーバー(CDS)という会社をおこして、メインフレーム・ビジネスに賭けているらしい。彼もまたセイモア・クレイなどの他のコンピュータ・アーキテクトと同じようにコンピュータを作りたくてしかたがないのだろう。彼の設計したIBM SYSTEM/360は大ヒットし、IBMのコンピュータ市場での圧倒的なシェアを恒久的なものにした。

IBMを2度退職した男

ジーン・アムダールは1922年米国サウスダコタ州フランドローに生まれ、1941年サウスダコタ州立大学に入学した。途中で陸軍で物理学、海軍で電子工学を教えたりしながら、1948年サウスダコタ大学の大学院に進み理論物理学を学んだ。そこでは計算をするのに電卓や計算尺を使っていたが、とてもやってられない量で、彼は自分でコンピュータを作ることにした。1952年WISCと名付けられたコンピュータができ、その設計に関する論文で理論物理の博士号を得た。同年にIBMに入社した。丁度IBMが国防計算機と呼ばれた701を作っているところだった。1953年IBM704のチーフプランナーをやったが、1955年にIBMを退職して色々な会社を転々とした。1960年IBMに復職し、システム360の設計に従事した。システム360シリーズは1964に発売され大ヒットした。1965年IBMフェローになったが、1970年にIBMを再び退職し、アムダール・コーポレーションを設立。IBMとプラグコンパチブルなメインフレームを開発した。

私は個人的な満足をのぞんでいたんでね。

「基本的に、2度目に私がIBMを辞めたのは、大型コンピュータの仕事がしたかったからだ。IBMにとどまったいたら自分のキャリアを変えなければならなかったろう。私は個人的な満足をのぞんでいたんでね」
「コンピュータの英雄たち」より
「銀髪のコンピュータ・デザイナーには、夜といわず昼といわず四六時中アイデアが浮かんだ。ある時には真夜中に目を覚ますと、解答に向かって時速60マイルで飛ばしている。機械のなかでおこっていることを頭の中に描いて、心の中でダイナミックに操作する。またある時は会話をしている最中にその会話からすばらしいアイデアがひらめいて、しばらく会話のことを忘れてしまうこともある」
「コンピュータの英雄たち」より

不滅の闘魂

1979年自分の持ち株の大半を富士通に売却してアムダール・コーポレーションの経営から手を引いたが、すぐにトリロジーという会社を興しIBM互換機ビジネスを続けた。現在はCDS社でメインフレーム・ビジネスを続けている。不滅の闘魂の持ち主である。

参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータの英雄たち」 ロバート・スレイター 朝日新聞社 1992年7月  2300円
コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。

 

 

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