トップページへ > コンピュータアーキテクトたちへ
前のページに戻る
Google  

ロバート・バートン

Robert S. Barton

unknown -

スタックマシンB5000のアーキテクト

1998/08/31 掲載

最初の現代的なコンピュータ・アーキテクチャ

アラン・ケイの論文集の前書き「あのころはどんな時代だったのだろうか」に

「最初の現代的なコンピュータ・アーキテクチャ(スタック、ポインター、バイトコードなどが備わった、ボブ・バートンのバロースB5000)も、ほぼ同時期に登場する」
「アラン・ケイ」より

というくだりがある。バロース社のコンピュータは巨人IBMの足下でかすんでいて、一般にはほとんど知られていなかったが、一部の玄人筋には受けが良かった。ロバート・バートンの設計したB5000はスタック機構、バーチャル・メモリー、リエントラント、本格的なマルチタスク、マルチプロセッシングをすでに備えていた。このB5000は1961年発表されたが、それから1〜3年の間にユニバック1107、DEC PDP―4、IBMシステム360などが相次いで発表され、現代のコンピュータ・アーキテクチャのほとんどが出そろった時期だった。考えてみれば、それから40年近くが過ぎようとしているのに、 基本的なアーキテクチャは変わらずに生きているのに驚かされる。驚異的な発展を遂げたのは、コンピュータのハードウエア性能と利用技術である。

生年不詳

ロバート・バートンに関する情報は実はほとんど無くて、彼の生年も今どうしているのかも確認できなかったが、1968年から1973年までユタ大学でコンピュータサイエンスの教授をしていた。この時期のユタ大学はアイヴァン・サザランドなどもいて、コンピュータサイエンスの黄金期を形成していた。冒頭のアラン・ケイの論文にバートンのことが出てくるのは、実はアラン・ケイがユタ大学の学生だった頃バートンに教えてもらっていたからなのだ。ケイの論文にはこのほかにいろいろなところにバートンの名前が出てくる。本人もバートンから相当な影響を受けたと言っている。バートンはスタック!と叫んでB5000アーキテクチャの着想を得たと言われているが、B5000を発表した後、しばらくしてバロース社の副社長に迎えられた。その後はコンサルタントなどをしていたようである。

バートン・オフィスにて

情報が少ないので、ここはもっぱら坂村健氏の「コンピュータ・アーキテクチャ」の冒頭に紹介されているバートン・オフィスの様子を引用してみたいと思う。じつは坂村健氏は慶応大学にいるころバロースのB1700というマシンを使っていて、このマシンがまたロバート・バートンによるデザインなのだ。そのようないきさつで、たぶんバロース社の計らいで、坂村氏はバートンオフィスを訪ねることになったらしい。そこで坂村氏はバートンのかなりな変人?ぶりに遭遇するのである。

「ふと目を外に向けると、ヨットが1つ2つ、こんな所に一度は住んでみたいと思う。そんな気持ちにさせる町――サンディアゴにバートンのオフィスがあった。スーパーマーケットの2階、部屋が3つ、4〜5人のスタッフの机がある部屋。そしてミーティング・ルーム。部屋の隅で女の子が1人なにやらラッピングをしている。コンピュータはない。ゼロックスが1つ。本はない。広々、すっきりしている。海の見えるカフェでブラッドメアリーを飲みながらバートンが言う。

――とにかく自分で考えることだ。何がやりたいかをまず明らかにする。 本は読まない。学会?本と同じくあまり関係ない。とにかく考えることだ。コンピュータを使うのは最もよくない。(!)コアになるアイデアがでる。全部作る必要なんてない。そのアイデアがうまくいくか確かめるだけでよい。うまくいけば、あとはバロースの他のスタッフにまかせればいい。」
坂村健著「コンピュータ・アーキテクチャ」より
「アーキテクチャはアイデアだ。良いアイデアは美しい所で、おいしいものをたくさん食べることによって初めてでるのだ。(なるほどなるほど)私は1年のうち半分くらいを、自分の気に入ったスタッフ4〜5人とともに、気に入った場所にオフィスを動かしながら、アーキテクチャのアイデアを練ることにしている。日本にも行ったことがある。日光あそこはよかった。」
坂村健著「コンピュータ・アーキテクチャ」より
「(オフィスで)この机がすばらしいって!よく気がついてくれたね。これは私が作ったんだ。この部屋にある机は全部自作さ。私のスタッフになってまずやることは机作りなんだ。(え?またなんで?)自分でアイデアを練る机をじぶんで作る。当然ではないか。(??)机1つも作れない者にアーキテクチャの構築なんてできるわけがないよ。(!!!!!!)」
坂村健著「コンピュータ・アーキテクチャ」より
参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータ・アーキテクチャ」 坂村健 共立出版 1984年12月  2500円
「アラン・ケイ」 アラン・ケイ アスキー出版局 1992年3月  2400円
「計算機システムの構造」 E.I.オーガニック 共立出版 1978年8月  1500円
移行前のコメント
2006/4/19
小職も04/03/2004付コメントさんと同感です。特にB3500〜B3800は、バイトマシンで、10進でしたね。オブジェクトPatchを当てたり、BPLで遊んでました。古きよき時代でした。バロース社は...。(?!)
2005/02/02
1980年代に、かつてバロースの日本法人でOS(MCP)を担当していた人から「バートンは、取り巻き連中にとってスタック教の教祖のような存在だったらしい」という話を聞いたことがあります。ALGOLで書かれたOSのソースコードは宝物のようでした。
今、'ACM queue Dec./Jan. 2004-2005'号の'A Conversation With Alan Key'という記事を読んでいます。アラン・ケイはバートンに師事したと言っています。Burroughs B5000の話が出ており、彼はスタックマシンから多大な影響を受けたということがわかりました。私は、スタックマシンのアイデアが、コンピュータの歴史のなかを伏流のように流れていると思っています。
オーガニックの本では、レキシコ・レベルやディスプレイ・ポインタのことなど懐かしく思い出されます。懸垂ポインタにも言及していましたね。
筆者より: ACMの記事は今度入手して読んでみたいと思います。情報ありがとうございます。
2004/04/03
30年間バロースを使ってます。もっともいまはユニシスですが。いいマシン・OSだと思います。B3500に始まり、B1000、B90、B6900。そして今はLX7100。思い通りに使える、使いこなせるマシン、そんな気がします。
2001/11/18
昔、バロースでB6700を使っていました。5000シリーズはほんの少し使いました。
四谷に在ったB5500は確か上智大学に寄付されたと聞いております。
言語はALGOLを使っていましたが、とてもよくできた言語でした。

 

 

コメントの投稿と一覧
2007-12-28
たぶん1977年に慶応大学にバローズのコンピュータがやって来た時、情報科学研究所主催の説明会があって、当時博士課程にいた坂村さんが講師として講演されていたのを覚えています。どこかの企業から寄贈されたB6700ではなかったなと思います。OSは上智から持ってきた物で、プリント用紙の上の方にSofia Universityと印字さていました。
筆者より:貴重な情報をありがとうございます。坂村先生はたぶん同じ頃バロースにも来てくれて話をしてくれたことがありました。

感想、ご意見など自由にご記入ください