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Robert S. Barton
unknown -
スタックマシンB5000のアーキテクト
アラン・ケイの論文集の前書き「あのころはどんな時代だったのだろうか」に
「最初の現代的なコンピュータ・アーキテクチャ(スタック、ポインター、バイトコードなどが備わった、ボブ・バートンのバロースB5000)も、ほぼ同時期に登場する」
というくだりがある。バロース社のコンピュータは巨人IBMの足下でかすんでいて、一般にはほとんど知られていなかったが、一部の玄人筋には受けが良かった。ロバート・バートンの設計したB5000はスタック機構、バーチャル・メモリー、リエントラント、本格的なマルチタスク、マルチプロセッシングをすでに備えていた。このB5000は1961年発表されたが、それから1〜3年の間にユニバック1107、DEC PDP―4、IBMシステム360などが相次いで発表され、現代のコンピュータ・アーキテクチャのほとんどが出そろった時期だった。考えてみれば、それから40年近くが過ぎようとしているのに、 基本的なアーキテクチャは変わらずに生きているのに驚かされる。驚異的な発展を遂げたのは、コンピュータのハードウエア性能と利用技術である。
ロバート・バートンに関する情報は実はほとんど無くて、彼の生年も今どうしているのかも確認できなかったが、1968年から1973年までユタ大学でコンピュータサイエンスの教授をしていた。この時期のユタ大学はアイヴァン・サザランドなどもいて、コンピュータサイエンスの黄金期を形成していた。冒頭のアラン・ケイの論文にバートンのことが出てくるのは、実はアラン・ケイがユタ大学の学生だった頃バートンに教えてもらっていたからなのだ。ケイの論文にはこのほかにいろいろなところにバートンの名前が出てくる。本人もバートンから相当な影響を受けたと言っている。バートンはスタック!と叫んでB5000アーキテクチャの着想を得たと言われているが、B5000を発表した後、しばらくしてバロース社の副社長に迎えられた。その後はコンサルタントなどをしていたようである。
情報が少ないので、ここはもっぱら坂村健氏の「コンピュータ・アーキテクチャ」の冒頭に紹介されているバートン・オフィスの様子を引用してみたいと思う。じつは坂村健氏は慶応大学にいるころバロースのB1700というマシンを使っていて、このマシンがまたロバート・バートンによるデザインなのだ。そのようないきさつで、たぶんバロース社の計らいで、坂村氏はバートンオフィスを訪ねることになったらしい。そこで坂村氏はバートンのかなりな変人?ぶりに遭遇するのである。
「ふと目を外に向けると、ヨットが1つ2つ、こんな所に一度は住んでみたいと思う。そんな気持ちにさせる町――サンディアゴにバートンのオフィスがあった。スーパーマーケットの2階、部屋が3つ、4〜5人のスタッフの机がある部屋。そしてミーティング・ルーム。部屋の隅で女の子が1人なにやらラッピングをしている。コンピュータはない。ゼロックスが1つ。本はない。広々、すっきりしている。海の見えるカフェでブラッドメアリーを飲みながらバートンが言う。
――とにかく自分で考えることだ。何がやりたいかをまず明らかにする。 本は読まない。学会?本と同じくあまり関係ない。とにかく考えることだ。コンピュータを使うのは最もよくない。(!)コアになるアイデアがでる。全部作る必要なんてない。そのアイデアがうまくいくか確かめるだけでよい。うまくいけば、あとはバロースの他のスタッフにまかせればいい。」
「アーキテクチャはアイデアだ。良いアイデアは美しい所で、おいしいものをたくさん食べることによって初めてでるのだ。(なるほどなるほど)私は1年のうち半分くらいを、自分の気に入ったスタッフ4〜5人とともに、気に入った場所にオフィスを動かしながら、アーキテクチャのアイデアを練ることにしている。日本にも行ったことがある。日光あそこはよかった。」
「(オフィスで)この机がすばらしいって!よく気がついてくれたね。これは私が作ったんだ。この部屋にある机は全部自作さ。私のスタッフになってまずやることは机作りなんだ。(え?またなんで?)自分でアイデアを練る机をじぶんで作る。当然ではないか。(??)机1つも作れない者にアーキテクチャの構築なんてできるわけがないよ。(!!!!!!)」
| 「コンピュータ・アーキテクチャ」 | 坂村健 | 共立出版 | 1984年12月 | 2500円 |
|---|---|---|---|---|
| 「アラン・ケイ」 | アラン・ケイ | アスキー出版局 | 1992年3月 | 2400円 |
| 「計算機システムの構造」 | E.I.オーガニック | 共立出版 | 1978年8月 | 1500円 |
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