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グレース・ホッパー

Grace Murray Hopper

1906 - 1992

COBOLの母 アメリカ海軍予備役少将

1999/03/23 掲載

初代女性プログラマ

コンピュータ偉人伝初めての女性の登場である。グレース・ホッパーはコンピュータの創生期にプログラマとして活躍した。今の時代、女性プログラマは重要な存在として認知されており、目を見張るような優秀な人も数多いが、マークIの古色蒼然とした時代では彼女はかなり珍しい存在だったに違いない。プログラムの「デバッグ」という言葉はホッパーがつくったということになっているが、彼女の時代にできた。昔はリレー式回路など、コンピュータの中で機械がカチャカチャ動いている部分があり、よく小さな虫が入り込んで故障の原因になったらしい。「虫を取る」という言い回しは管理者を納得させるよい口実となったので、プログラミングが滞っているときにも使われるようになったという訳のようだ。

海軍に入った数学者

グレース・ホッパーは1906年に米国ニューヨーク市で生まれた。彼女は子供の頃から数学、特に幾何が好きだった。1924年ニューヨーク州のバッサーカレッジに入学。1928年に卒業し、イエール大学の大学院に進み、数学と数理物理学で修士号を取得した。1934年には数学で博士号を授与されている。1931年からホッパーは母校のバッサーで数学を教えていたが、第二次世界大戦の勃発で軍隊に入ることを決心した。海軍の予備役に入隊したホッパーは兵学校で教育を受けて1944年に中尉に任官、ハーバード大学の船舶計算プロジェクトに配属された。そこで初めて最新鋭のデジタル式コンピュータ「マークI」を使うことになった。

商用コンピュータの世界

戦争が終わるとコンピュータもビジネスの世界で使われるようになり、ホッパーは新しい仕事を求めて1949年エッカート・モークリー社に入った。 ジョン・モークリージョン・プレスパー・エッカート はENIACを作った人たちで、その頃は最初の商用コンピュータUNIVAC―Iを作っていた。会社はその後レミントン・ランド、スペリー・ランド、スペリーと名前を変えていったが、ホッパーはずっと残り1971年まで在籍していた。そこでコンパイラの作成という重要な仕事をすることになる。

コンパイラとCOBOL

最初のコンパイル式高級言語として知られているのは ジョン・バッカスのFORTRAN(1957年)だが、コンパイラという仕掛け自体はホッパーがもっと早い時期に手がけていた。ホッパーは早くからプログラミングの標準化の必要性を認識していて、正しく動くことが確認されているサブルーチンを集めてライブラリを作ったりしていた。そうした流れの中で、記号言語をマシン語に翻訳するA0というコンパイラが1952年に作られ、さらに1957年自然言語(英語)を機械語に翻訳する「フローマティック」コンパイラがホッパーとUNIVACスタッフによってつくられた。これが事実上COBOLの原型となったのだった。COBOLは特定のメーカーに所属しない公共のコンピュータ言語仕様として1959年にペンシルバニア大学と国防総省で行われた標準化委員会(CODASYL)の会議で策定された。ホッパーはCOBOLの母と呼ばれた。

海軍予備役少将

グレース・ホッパーは海軍軍人であることを誇りに思っていて、晩年も1982年に退役するまで各地で講演を行ってコンピュータの経験を話すとともに、海軍のPRにつとめた。「コンピュータの英雄たち」ロバート・スレイター著から若干引用したい。

「講演の中でホッパーは、コンピュータ産業をいくつかの点で激しく非難した。プログラム言語でも、コンピュータの構造(アーキテクチャー)でも、データ構造でも、ネットワークでも、底には標準が欠けており、互換性がないためにハード、ソフトは打ち捨てられ、政府に年間数億ドルの出費を強いている。売り手のコンソーシアム、あるいは政府が標準を提供すべきで、たぶん、支配的な企業が提供をするべきではない、と彼女は言った」
「コンピュータの英雄たち」より

政府が標準を提供するのは願い下げだが、支配的な企業が提供すべきではないとするのは現在のわれわれのおかれた状況にあっている。

「また彼女は、より大きなコンピュータはそれだけでより優れている、とする考えを非難した。たとえとして彼女はこう指摘した。農夫が、大きく重い石を動かさなくてはならなくなった。しかし彼の牛たちのどれ一頭として、単独ではその仕事ができるほど力強くない。この時、彼はより大きな牛を育てようとはしないだろう。彼は、牛をもう一頭加えるのである。同様に、大量のデータは、大きなマシンよりもマルチユーザーによって、よりよく扱えるのである。ホッパーは非常に多くの情報が処理されると、人々はその情報の質を吟味しないようになるという事実にも関心を寄せた」
「コンピュータの英雄たち」より

最後の一文はわれわれにとっての、これからの情報処理の大きな課題だが、こういうことを80歳近いおばあさんが言うのには心底驚かされる。その「アメージング・グレース」と呼ばれたグレース・マレー・ホッパーは1992年1月1日バージニア州アレクサンドリアの自宅で死去した。85歳であった。

参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータの英雄たち」 ロバート・スレイター 朝日新聞社 1992年7月  2300円
BUG”のもとになった虫は、実際に機械に入り込んでいた大きな”蛾”で、米海軍の博物館に展示されているそうです。
(ブリタニカ国際年鑑1993、物故者「ホッパー」)。アメリカ流の半分ジョークかもしれませんが。
インターネットソースの紹介
2009/09/22(別ウィンドウ)
http://ei.cs.vt.edu/~history/Hopper.Danis.html
BUG”のもとになった虫は、実際に機械に入り込んでいた大きな”蛾”で、米海軍の博物館に展示されているそうです。
(ブリタニカ国際年鑑1993、物故者「ホッパー」)。アメリカ流の半分ジョークかもしれませんが。
移行前のコメント
2009/09/22
BUG”のもとになった虫は、実際に機械に入り込んでいた大きな”蛾”で、米海軍の博物館に展示されているそうです。
(ブリタニカ国際年鑑1993、物故者「ホッパー」)。アメリカ流の半分ジョークかもしれませんが。

 

 

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