ちえの和webページ
James Gosling
unknown -
Javaのチーフ・アーキテクト
ジェームズ・ゴスリンはカナダ人だ。彼はカルガリー大学を卒業後、 カーネギーメロン大学で1981年に博士号を取得している。 IBMにしばらくいたが、 ビル・ジョイに誘われてサン・マイクロシステムズに入った。ビル・ジョイはサンの創設者の一人で、バークレー版のUNIXのかなりの部分を書いたことでも知られている。ジェームズ・ゴスリンもUNIXには関わりが深く、 リチャード・ストールマンの作になるEmacsエディタのC言語への移植や、 NeWSウインドウシステム(デビッド・ローゼンタールとの共作)などがある。
1995年5月の「サン・ワールド95」でJavaは正式に発表された。 当時できたばかりのネットスケープ社は次期ブラウザのネットスケープ・ナビゲータ2.0で JAVA対応を表明し、折からインターネットの一大ブームに同調するかのように Javaは熱狂的に迎えられた。この時点ではマイクロソフトはインターネットも JAVAも大して重要視していなかったが、1995年の秋口に戦略の大転換を行い、 インターネット重視の方向に舵を切った。 95年12月にはサンからJavaのライセンスを取得している。
サンは新規市場の開拓をするため、家電業界に目を向けたプロジェクトを1991年に開始した。 彼らはプラットフォームに依存しない、小さくて安全な環境を目標に、 C++を拡張することから始めたが、すぐにそれでは不十分なことがわかり、 独自に新しい言語オーク(Oak)をつくった。これが後にJAVAとなる。 これをもとにスターセブンと呼んだ携帯情報機器をつくった。 家電業界に参入するため、1992年にファースト・パーソン社が設立され、 最初のビジネスとしてタイム・ワーナーが進めていたビデオ・オン・デマンドの セットトップボックス用OSをアプローチした。 この話は1993年ワーナーが最終的にシリコン・グラフィックス社と手を結んだため、 お流れとなった。また、3DO社との同様の話も失敗におわり、 ファースト・パーソン社はあえなく解散となるのだった。 しかし、Javaの持つプラットフォーム独立性、小さくて安全なことは、 折からブームになりつつあったインターネットにぴったりだったのである。
オブジェクト指向言語のカテゴリーに入る。 SIMULAやSmalltalkなどの初期のオブジェクト指向言語に影響を受けながら、 C++をベースに作成された。ゴスリンはFORTRANからも影響を受けたと言っている。
1.プラットフォーム独立
Javaコンパイラはバイトコードと呼ばれる疑似コードを生成する。 それを各々のハードウエア環境用に設計されたJavaインタープリタが読み実行する形態をとる。 このことで、Java言語自体はどのようなハードウエア環境であっても、同じであることができる。
2.作る側にとっての安全性(メモリアクセスをコンパイラレベルで管理)
C/C++では意図的にも、意図しなくても(バグ)、自分の関与する以外のメモリー領域を 自由にアクセスでき、従って壊すこともできる。 システムがクラッシュする原因の大部分はメモリーアクセスの不正である。 これは今までプログラムの問題とされてきたが、 コンパイラレベルでガードされるべき問題であることは、 システム開発に携わった人々には強く意識されていた。 JavaはCのような意味でのポインタを持たないことでこの件に解答をあたえた。 Javaはプログラム的に領域外へのメモリアクセスはできないようになっている。
「Javaはポインタを持たない」の個所を読者の指摘で「JavaはCのような意味でのポインタをもたない」と若干表現を変更しました。いずれきちんとした解説を入れたいと思います。
3.使う側にとっての安全性(言語レベルのセキュリティ機能)
上記のメモリアクセス問題の解決は、意図的なメモリアクセスを防ぐことにもなっている。 また、Javaが疑似コードを生成し、間にインタープリターが介在することによって、 コードの妥当性チェックを実行時に行うことができる。 このため、ウイルスの混入などのケースに対して堅牢であるということができる。
4.非常に少ないリソースで動作する
元々家電製品の組込用に設計されたので4MB程度のメモリーで十分動作する。 また、Javaアプレットと呼ばれるプログラム自体をダウンロードして、 クライアント環境で実行させる仕組みも整備され、この発想の延長線上に500ドルパソコンや、 シン・クライアントがある。
Java発表1年後の1996年5月に行われた開発者向け会議JavaONEでは80社以上の展示があり、 5000人が参加する大盛況だった。一つの言語の普及には多くの年月がかかるもので、 Javaもその熱気の割にはまだ実態がともなっていないという印象は否めない。 日本語環境についてはまだまだだ。 しかし、やがてC++の後継言語として広く使われるだろうことは確かだと思う。 筆者も3年後にはJavaに乗り換えようと思っている。 ゴスリン氏は現在サンの副社長であるとともに、サン・フェローとして処遇されている。 まだプログラムを創っているらしい。
| 「Javaを創った人々」 | 木寺祥友 | アスキー | 1996年11月 | 1200円 |
|---|---|---|---|---|
| 「Life with UNIX」 | Don Libs & Sandy Ressler | アスキー出版局 | 1990年7月 | 3000円 |
感想、ご意見など自由にご記入ください