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John Backus
1924/12/03 - 2007/03/17
最初の高級言語フォートランの開発リーダー
近年オブジェクト指向が定着して、フォートランのことを旧式のどうしようもない言語とぼろくそに言う人たちも出てきたが、長い期間科学技術計算のほとんどをカバーしてきた功績は足蹴にはできないものである。
フォートランは最初のコンパイル方式のコンピュータ言語として記憶されている 。COBOLが発表されたのが1959年、ALGOL60、LISP、PL/1などの主要言語が出揃うのが1960年のことである。 FORTRANはその3年前1957年にIBM704にインプリメントされた。 このことで、機械語の世界から解放されたプログラミングは飛躍的に分かり易いものになった。 ジョン・バッカスはFORTRANを提案し、コンパイラの完成まで導いた人である。
ジョン・バッカスは1924年米国ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた。1942年バージニア大学に入学したが,講義をさぼったためすぐに退学になった。1943年徴兵で陸軍へ入隊。その期間でピッツバーグ大学で工学を勉強した。1945年ニューヨークの医学校に入学したが,向いていないのが分かり自分から退学、翌年ニューヨークのラジオ・テレビ専門学校に入る。ここで数学の才能に目覚める 。すぐにコロンビア大学数学科に入学、1950年修士号取得後,IBMに入社,IBM701のアセンブラ開発に従事することになる。
1953年上司に高級プログラミング言語の開発を提案するレターを提出すると, 上司は狂喜してOKし,予算の制約なしに開発が認められることになった。 1954年最初の論文「IBM数式変換システムFORTRANの仕様に関する予備レポート」 を発表。1957年FORTRANが完成し, IBM704上で科学技術計算用の高級言語として機械語, アセンブラを知らなくてもコンピュータを利用できるようになり, IBMマシンの浸透に著しく貢献した。
1959年バッカスーナウア表記法として知られるALGOL表記法を発明した。バッカスはこの方面でもよく知られていて、この表記法もその後のコンピュータ言語の設計者に大きな影響を与えた。
以下ロバート・スレイター著「コンピュータの英雄たち」から当時の状況をバッカスが 語っている部分を引用したい。
「これに対して1950年代初めにはプログラミングは黒魔術であった。それは一人のプログラマー、一台のコンピュータ、ひとつの解決すべき問題、 初歩的なアセンブリ言語と一群のサブルーチンがかかわる個人的な秘法だった。 同じような問題についての既存のプログラムがあったとしても、それは解読不能で、 そのプログラムを目前の問題解決に流用することは不可能だった。プログラミングに関する一般的原則といったものは無きにひとしかった。それゆえ、それぞれの問題の解決はまったく新しい出発点から始めなければならず、その成功、不成功はプログラマーの個人的な技術と才能にかかっていた」
この辺のくだりは、現在のプログラミングの状況もさして変わっていないような気がする。 現在でも、一人の優秀なプログラマには他の10人がかかってもかなわないといったことが 現実にあるのである。それは個人的な秘法に大きく依存していることの証である。 ただし、このことが一概に悪いことだとは筆者は思っていない。プログラミングを工場生産の工程のように考えて管理する発想よりは、 プログラミングを芸術家的な創造過程であるととらえた方が、より良い結果を期待できると思う。この件はまた別に論じたい。いずれにせよ、バッカスのFORTRANはプログラミングの生産性を飛躍的に向上させた。
ジョン・バッカスは、2007年3月17日にお亡くなりになりました。82歳でした。ご冥福をお祈りします。
| 「コンピュータの英雄たち」 | ロバート・スレイター | 朝日新聞社 | 1992年7月 | 2300円 |
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| 「コンピュータの時代を開いた天才たち」 | デニス・シャシャ/キャシー・ラゼール著 竹内郁雄/鈴木良尚訳 | 日経BP社 | 1998年11月 | 2400円 |
| インタビューをベースに、14人の偉人の業績を紹介している。なかなかふだんは聞けないような話も入っているのでおもしろい。バッカスは言語の研究者として最初に登場する。 | ||||
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