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John G. Kemeny
1926 - 1993
パソコン時代の言語:BASICの共同設計者
パソコンの登場とともに広く使われたBASICは、ダートマス大学の数学教授だったジョン・ケムニー とトーマス・カーツによってデザインされた、初めての一般人(コンピュータの専門教育を受けていない人)向けのコンピュータ言語だった。余談だが、BASICはパブリック・ドメインとして公開されていたため、後に ビル・ゲイツと ポール・アレンは、マイコン・キットとして売り出されたアルティア(インテル8080)上で動くBASICを開発した。これが現在のマイクロソフトのスタートとなったのだった。
ケムニーとカーツはBASICを設計するにあたって、次の8つの基本方針を作ったという。 このポリシーと、BASIC(Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code)という名前そのものとは、このコンピュータ言語の正確をよく表している。
1. 初心者にも使いやすいように
2. どんな分野にも使えるように
3. 将来の機能追加がしやすいように
4. 対話形式で操作できるように
5. エラー表示が初心者にわかりやすいように
6. 小さいプログラムなら速く動くように
7. ハードウエアの知識が無くてもつかえるように
8. OSを意識しなくてもいいように
こうしたデザイン・ポリシーは1960年代初頭には画期的な内容だったのだろうと思う。 なにしろ、この頃はまだ汎用機のみの時代( ケン・トンプソンのUNIXが登場するのは1970年代に入ってからだ)で、コンピュータを扱えるのはごく少数の選ばれた専門家だけだった。そうした状況をうち破ったのがTSSの登場だった。
1959年にタイムシェアリング・システム(TSS)構想を発表した ジョン・マッカーシーは、 IBMと共同でTSSの開発にあたっていたが、60年代に入ってダートマス大学にも開発を呼びかけてきた。ケムニー等はタイムシェアリング・システムの開発導入に動き出した。結果的に導入までに数年かかったが、TSSによって1台のコンピュータを同時に何十人もが使えるようになり、それまで縁の無かった文科系の学生も使える環境になった。こうなると、にわかに一般学生でも使えるコンピュータ言語が必要になるはずだった。ケムニーとカーツは最初FORTRANやALGOLを改良する事を考えたが、無理だとわかって、独自の言語を作ることにした。
これより前の1956年にケムニーとカーツはDARSIMCOというコンピュータ言語を2人で 作ったことがあった。また1962年ケムニーは学生のシドニー・マーシャルと一緒に DOPEというコンピュータ言語を作った。こうした経験がBASIC開発の背景にあり、 1964年ダートマス大学のGE-255上でのTSS稼働とほとんど同時にBASICはTSSで 使えるようになった。最初のBASICはわずか14個のコマンドを備えたコンパイル形式(注1) の言語だったそうだ。
ジョン・ケムニーは1926年ハンガリーのブタペストで生まれた。1940年にナチスの影響を避けるように、一家はアメリカへ移住した。移住当初は英語もわからない状態だったが、よくがんばり高校を優秀な成績で卒業すると、1943年名門プリンストン大学へ入学をはたした。専攻は数学だった。1945年、徴兵のためケムニーは陸軍に入った。原爆研究で有名なロスアラモスのマンハッタン・プロジェクトにおくられ、コンピュータの運用にあたることになった。ロスアラモスでコンピュータ計算を取り仕切っていたのは同じハンガリー生まれの天才数学者 フォン・ノイマンだった。1947年プリンストンにもどり大学院に進んだ。その期間、1948年から49年にかけて アルバート・アインシュタインの研究助手を務めたりした。アインシュタインはプリンストン大学高等研究所で彼のライフワークである統一場理論の研究をしていたのだった。ケムニーは博士号を取得すると1949年からプリンストンで数学と哲学を教えた。そのあと1953年にダートマス大学の教授として招かれ、以後学部長から学長までを歴任し1981年退職するまでダートマスにいた。また1979年のスリーマイル島の原発事故のときは、カーター大統領に指名されて、事故調査委員会の長になったりもした。
ケムニーとカーツのBASICはTSSの時代にはよい言語だったが、パブリック・ドメイン として提供したため、多くのバージョンが出回り、言語的に混乱をきたした。また、 使いやすさを優先し、構造化プログラミングなどに対応していなかったため、 後からでてきた ニクラウス・ビルトのPASCALにその地位を奪われつつあった。ケムニーは1981年大学の職を辞すと、1985年カーツと一緒により堅牢で本格的な「トルーBASIC」を世に出した。同時に、時代がそういう時代になっていたのだろう、トルーベーシック会社を起こし、それを販売することにした。また「BASICに帰れ」という本を出して、BASIC言語の本家本元としての主張をした。いささか晩節を汚したという感がなきにしもあらずだが、 初めて一般に使えるようなコンピュータ言語を作った 功績は消えることはないだろう。ジョン・ケムニーは1993年66歳で死去した。
コンパイラは人間に理解可能な表現形式のプログラム・ソースを機械語に翻訳する。 コンパイル形式とは、コンパイラで直接機械語を生成する形式のことをいう。 これに対してインタープリタ形式があり、これはソースコードを1行ずつ翻訳して その場で実行するプログラム(インタープリタ)をつかう。後にパソコン用のBASICが いくつも登場するが、すべてインタープリタ形式になっている。
| 「コンピュータの英雄たち」 | ロバート・スレイター | 朝日新聞社 | 1992年7月 | 2300円 |
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| コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。 | ||||
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