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アダム・オズボーン

Adam Osborne

1939 - 2003

ポータブル・パソコンのパイオニア

2000/04/17 掲載

はじめてのポータブル・パソコン

オズボーン・コンピュータの寿命は短かった。1980年に設立されたが、わずか3年後の 1983年9月の倒産によって幕を閉じたからだ。その短い期間にかかわらず、オズボーン は大成功したといえるし、歴史に名を残す存在となった。彼の発売したオズボーンIは 飛行機の座席の下におさめられるようなっていた。 持ち歩くことを前提に設計された初めてのコンピュータ だったのだ。

インドに育つ

アダム・オズボーンは1939年にタイのバンコクで生まれた。といっても東洋人ではなく、 イギリス人である。11歳までインドで育ち、その後イギリスに渡った。バーミンガム大学 で化学工学を学び、1961年に卒業した。卒業するとすぐにアメリカに渡り、 しばらく働いて学資を稼いでからデラウエア大学大学院に入った。化学工学を専攻して、 1968年に博士号を取得した。大学院時代にアメリカ国籍を取得している。 卒業後カリフォルニアのシェル石油に就職したが、会社勤めに体質が合わなかったオズボーン は3年で退職してしまった。

テクニカルライターとしての素質

オズボーンはもともと書くことが好きだったのだろう、シェルを退職したあと技術系文章を書いてしばらく暮らしていた。1975年にインテル8080チップを解説した「マイクロプロセッサ入門」 を自費出版(商業出版を断られたため)し、これは大学の教科書になったりパソコンに同梱されたり、かなり読まれたらしい。この頃はコンピュータのホビイストの集会があちこちで開かれていたが、コンピュータについてわかりやすく書かれた情報が不足していて、みんながそれをほしがっていた。オズボーンは自分で出版社を設立することにし、同時に雑誌にコラム記事を連載するようになった。彼自身十数冊の著作があり、また彼の記事は辛辣で尊大なところがあると言われたが人気があった。この出版社は1979年に大手出版社のマグロウヒルに高額で売れた。その資金がオズボーンをコンピュータの製造販売というビジネスに向けさせたのだった。

オズボーンI

初めてのポータブル・パソコン「オズボーンI」はポータブルとはいうものの重さが24ポンド(約10Kg)もあり、実際に持ち歩いた人はいないのではないかと思う。ただし、ポータブルという設計思想は人々に強く支持された。CPUに 嶋正利氏の手になる「Z80」 8ビットマイクロプロセッサを搭載し、メモリーは64KBだった。5インチの小さなCRTスクリーンとフロッピーディスク・ドライブを2セット。この時代のことなのでハードディスクはむろんついていない。OSはその当時標準だった ゲイリー・キルドール のCP/Mを乗せた。普通のパソコンならここで機能紹介は終わりなのだが、オズボーンIにはさらに、 表計算ソフトSuperCalcとワードプロセッサWordstar、だれでも使えると評判のコンピュータ言語Basicがバンドルされていた。 これも当時にはなかったことで、オズボーンが初めて行った。これで値段が1795ドルぽっきりなので、売れない方がおかしかったようで、1年間で10万台以上を売った。

あの時代

オズボーンIが発表された1981年という年は、あの巨人IBMがパソコンという、 その頃の彼らにとっては、些々たる領域に参入した年で、大ブランド"アップル"とその他 新興メーカーで棲み分けされていた市場に大激動が始まるのである。幸か不幸か、 オズボーンIはIBMの参入より半年早く、1981年4月のウエストコースト・コンピュータフェア で発表された。オズボーンIのように、持ち運びができ、必要なソフトがバンドルされ、 おまけに低価格というような 徹底的に使うためにチューニングされたモデル は当時なかったので、 たちまち話題をさらった。しかし次の年になると、IBM-PCの成功にのっかった クローン・メーカーが排出した。特に ロッド・キャニオン等によって設立されたコンパックから、同じようなコンセプトの「ポータブルI」が1983年初頭に発売され、 IBM非コンパチのオズボーンIは瞬く間に市場への力を失った。

その後

オズボーン・コンピュータがあっけなく倒産したあと、オズボーンは1984年に ペーパーバック・ソフトウエアという会社を設立した。中小ソフトウエア会社のソフトを 低価格で流通/販売する会社で、さしずめ 孫正義氏のソフトバンクといったところだが、しばらくして、ここでもけちがついた。1987年にオズボーンが販売していた表計算ソフトがロータス1-2-3の著作権を侵害しているという問題がもちあがり、1990年ロータスが訴訟に踏み切ると、オズボーンはいやけがさしたのか辞職してしまった。そのあとアメリカをはなれ、子供の頃すごしたインドに渡った。そこでまたソフト会社を起こしたらしいが、その後の消息はわからない。

注)2003/04/29

アダム・オズボーンは気質性脳症候群という厄介な病気のため、2003/3/18インド南部のコディアカナルで亡くなった。64歳だった。この件は読者からの連絡によって知りました。

参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータの英雄たち」 ロバート・スレイター 朝日新聞社 1992年7月  2300円
コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。
「ハッカーズ」 スティーブン・レビー著 古橋芳恵/松田信子訳 工学社 1987年3月  2575円
本書は「暗号化」など多くの著作を持つジャーナリスト、スティーブン・レビーの力作で、おもにPC前期、創成期の物語で、コンピュータが好きでたまらない連中を主人公にしたものだ。
「コンピュータウォリアーズ」 R・レヴェリング/M・カッツ/M・モスコウイッツ アスキー出版局 1986年1月  2500円
移行前のコメント
2003/04/24
彼は2003年3月18日にインドの人里離れた村で亡くなったそうです。
http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0303/26/epr01.html
筆者より: ご連絡ありがとうございます。知りませんでした。

 

 

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