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Douglas C. Engelbart
1925 -
マウスの発明者
1968年12月9日サンフランシスコで開催されたJoint Computer Conferenceにおいて エンゲルバートは彼とそのチームが作り上げたNLS(oN Line System )のデモンストレーション を行った。この90分のデモが伝説となって語り継がれているのは、 SFにでもでてきそうなコンピュータの使い方がそこにあったからだ。 いまでは当たり前になっているが、コンピュータの画面に映し出された映像を インタラクティブに人間が操作するということを実際に参加者に見せたのだった。 若き日のアラン・ケイもそこにいて、大きな影響をうけた。
エンゲルバートを単にマウスの発明者としてくくってしまうのは実に気が引けるのだが、 一言で彼の業績を言い表すと「今日のコンピュータ環境の原型を作った人」といった やや抽象的な表現になってしまうのだ。彼のNLSは自由な描画が可能な ビットマップ・ディスプレイをはじめ、画期的なポインティング・デバイスである マウス、マルチ・ウインドウによる表示形式、最初のスクリーン・エディタ、 電子メールシステムなどが備わっていた。 こうした発想でのコンピュータ利用はバッチ計算主体の当時にはないものだった。 1968年という時代は ビル・ゲイツ が高校生でPDP―10のタイムシェアリング・サービスで初めてコンピュータに接した頃だった。彼はそれに熱中したが、それはテレタイプ端末に手短なコマンドをタイプすると、しばらくして結果がロール紙に印字されるようなものだった。そうした時代にエンゲルバートのデモがいかに斬新で革命的だったかが想像できるのである。
ダグラス・エンゲルバートは1925年米国オレゴン州ポートランドで生まれた。 1942年オレゴン州立大学に入学し、電子工学を専攻した。 すぐに第二次世界大戦のため2年間アメリカ海軍のレーダー技術者としてフィリピン戦線に従軍した。 1945年戦争が終わると復学し、1948年オレゴン州立大学を卒業した。 1950年NACA(米国航空学諮問委員会)エイムズ研究センターに職を得たが、 まもなく1951年カリフォルニア大学バークレー校の大学院に入学し、 1955年電子工学で博士号を取得した。1957年(SRI)スタンフォード研究所 に勤務が決まり、ここで落ち着くことになる。1963年に温めていた構想を論文の形で発表した。 「人間の知性を拡大するための概念構成について」 "A conceptual framework for the augmentation of men's intellect"と題されたこの論文は、当時サザランド の後任として高等研究計画局の情報処理技術部副部長に就任していた ロバート・テイラー の目にとまり、1964年スタンフォード研究所に高等研究計画局の援助が下りることになった。その資金をもとに研究所にARC( Augmentation Research Center ) が設立されることになった。エンゲルバートはスポンサーを得て、彼の構想に基づくNLSの開発がスタートし、1968年に上記デモとなった。
エンゲルバート氏はもう相当な高齢で、普通なら功成り名遂げて悠々自適の隠居生活 でもいいはずなのだが、どっこい彼はまだ進むことをやめていない。こうしたことは、 IBM360のデザイナーだった ジーン・アムダール などにもいえることで、スーパーコンピュータの セイモア・クレイ も生きていればそうだろうと思う。彼らのように頑固一徹にテクノロジーの世界を生き続けるその姿をみると畏敬の念禁じ得ない。エンゲルバート氏は長年提唱しているコンピュータを使った知識の共有であるNIC( Network Improvement Community )構想を推進するためにブートストラップ・アライアンスを1997年に設立し、現在も理事として活躍中である。
昨年(1998年)12月9日にスタンフォード大学の音頭で開催された伝説の デモンストレーションの30周年記念シンポジウムは「未完の革命」 (Engelbart's Unfinished Revolution )とタイトル付けされていた。 30年前にエンゲルバートが頭に描いていた「知の共有のためのコンピュータ・システム」 というアイデアはまだ実現されておらず、進行中なのだ。
「エンゲルバートはヴァネバー・ブッシュのように、人類が解決すべき問題全体の複雑性と緊急性が、社会に培われてきた問題を取り扱う方法を超越するような時代に突入しつつあることに気がついた。またリックライダーが数年後にわかったように、問題解決における情報の取り扱いという副次的な方法自体が、すべての問題への鍵 となることが理解できた。最も重要なのはもはや知識の全体量を増加させるための方法を発明することではなく、すでにどこかに見つけられて隠れている答えをつきとめる方法であった。「複雑化した問題を扱う能力を改善できるのなら、人類に著しく貢献できるだろう。それこそ自分の考えていたものではないか。そうして私はそれに手を着けたのだった」」
25歳の時に決めたこの目標は50年たった今も彼の目標である。 自分で決めた長く続く一本の道を彼は歩んでいる。迷いはないはずだ。
| 「思考のための道具」 | ハワード・ラインゴールド | パーソナルメディア | 1987年12月 | 1854円 |
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| これも今となっては古典的な本で、コンピュータの歴史を思考という側面からみたもの、バベッジからネルソンまで多彩な顔ぶれを知ることができる。 | ||||
| 「メディアの考古学」 | 橋本典明 | 工業調査会 | 1993年2月 | 2580円 |
| 「アラン・ケイ」 | アラン・ケイ | アスキー出版局 | 1992年3月 | 2400円 |
| アラン・ケイの論文集で、「パーソナル・ダイナミック・メディア」など4編が収められている。ケイの論文を読むと、ものごとを根本からとらえなおすことの大切さがよくわかってくる。後半は簡単な評伝になっていて、写真も豊富。 | ||||
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