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Fillip Don Estridge
1938 - 1985
IBMPC開発のプロジェクト・リーダー
ドン・エストリッジは1938年米国フロリダ州ジャンクソンビルに生まれた。1959年にフロリダ大学電気工学科を卒業し、すぐにIBMに入社した。最初は空軍のSAGE(早期警戒レーダーシステム)の開発や、アポロ月着陸計画のシステムプログラマなどをやった。1969年故郷のフロリダに戻り、ボカ・レイトンのエントリーレベルシステムズの研究職についた。エストリッジはパソコンに個人的に興味をもっていて、彼の家にはAPPLE-IIがあったらしい。1980年当時でパソコンを所有していたのはかなりのマニアだ。まして、IBMの社員ではそうだったろう。彼は所長のウイリアム・ロウのチームが新しいパソコンのプロジェクトを立ち上げようとしているのを知り、参加したいと考えた。
この計画を支援したのはフランク・ケアリーの後を継いだCEOジョン・オペルだった。ケアリーの時代に創設されたIBU(独立事業単位)は実質的にはオペルの構想だったらしい。ウイリアム・ロウが企画したパソコン事業の参入計画はこのIBUとして認可され、チェス計画と名付けられた。ロウはプロジェクト・リーダーにエストリッジを任命した。初めてのIBMPCだったが、IBMとして創ったのはBIOSのみで、他はすべて外部調達というのはIBM始まって以来のことだった。おまけに、小売りのノウハウが全くないIBMはシアーズ・ローバックなどの小売り業者と商品流通の提携をした。これらのすべてのことをエストリッジが取り仕切って進めた。このときにエストリッジはビル・ゲイツとも仲良くなっている。二人は馬があったらしい。約1年近くの短い期間でIBMPCは製品化され、1981年8月ニューヨークでプレス発表された。ここでエストリッジは製品説明に応じている。販売が始まると、予想の5倍もの受注が舞い込み製造計画を大幅に見直さなければならない事態になった。IBMにはこういった方面のノウハウが全くなかった。いずれにせよ、IBMPCは当初の予想以上に売れ、まもなくPC市場をも制することになる。
彼はチェス計画が成功すると、雑誌の表紙になり、他の企業から引き抜きの話が山ほどきた。ちょっとした有名人になったのだった。1983年初め、アップルのスティーブ・ジョブスからよい条件で社長の席への誘いがあったが、断った。ジョブスは仕方なく、かわりにペプシのジョン・スカリーをスカウトしたのだった。1984年IBMの副社長の職に抜擢された。1985年8月彼はフロリダからオースティンに向かう途中ダラスで飛行機が墜落し、惜しくも亡くなってしまった。IBMは盛大な社葬で彼の業績に報いた。彼は根っからのIBMマンだったが、ジョブスの誘いにのっていればと思わずにはおれない。歴史にifはないが、彼は運命に逆らってしまったように見える。
| 「ブルーマジック」 | ジェイムズ・クポスキー他 | 経済界 | 1988年5月 | 2300円 |
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| IBMニューマシン開発チームの奇跡 | ||||
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