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William C. Lowe
unknown -
IBM PCの生みの親
1980年フロリダのボカレイトンにあるIBMエントリーレベル・システムズの責任者をしていたウイリアム・ロウ(38歳)は,密かにパーソナル・コンピュータ市場への参入のプランを考えていた。この時ロウは、いままでのIBMのやり方では、常にスピードが要求されるPC市場には入れないと思っていた。つまりIBM社内の官僚的手続きや検査承認手続きをいちいち踏んでいたのではチャンスを逸してしまうというわけだ。
当時IBMにはIBU(Independent Business Unit:企業内独立事業単位)という制度があって,CMC:企業経営委員会で承認されれば必要な権限と予算が付与されることになっていた。これしかないとロウはアーモンクのIBM本社に足しげく通い,重役連に顔を売りながら自分の企画の根回しをして,ついにCMCのOKをとりつけた。これでよけいな干渉を周りから受けなくて済む。与えられた時間はわずか1年間だった。
この計画はチェス計画とよばれ、ロウは一番大事なプロジェクト・リーダーに有能なドン・エストリッジを選任し、計画の遂行を一任した。チェス計画は、いままでのIBMでは考えられない画期的な企画だった。それは
これはメインフレームの文化からは考えられないことだった。このことは、IBMPC発表後1年もせずに、多くのいわゆるクローン・メーカーの興隆を生んだ。今をときめくコンパックなどもそうである。
IBMはメインフレームに使う半導体さえも自社生産している位の徹底したトータルカンパニーである。 (この点は日本の日立、東芝、富士通、日電などの電機メーカー出身も似ている。) それがBIOSをのぞく全ての部品、ソフトウエアを社外調達する事にしたのである。 IBMのこの決定は、インテルやマイクロソフトのその後の大躍進をもたらした。
CPU:インテル8088(16ビット)
OS :マイクロソフト PC−DOS
その他フロッピードライブ、電源機構などもほとんど外部調達(BIOSだけ独自開発)
IBMはそれまでいわゆる小売りはしていなかったので、販売チャネルを全くゼロから作り上げることになった。誇り高いIBM営業部とはまったく無関係にコンピュータ・ランド,シアーズロウバックなどの小売り店と販売契約をむすび、大量の販売を可能にするチャネルを確保した。ここから、対大手企業しか関心がなかったIBMは、一般個人向けの顔を持つようになった。
| 「ブルーマジック」 | ジェイムズ・クポスキー他 | 経済界 | 1988年5月 | 2300円 |
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| IBMニューマシン開発チームの奇跡 | ||||
| 「ビッグ・ブルース」 | ポール・キャロル | アスキー出版局 | 1995年11月 | 2800円 |
| コンピュータ覇権をめぐるIBMvsマイクロソフト | ||||
| 「帝王の誕生」 | ステファン・メイン他 | 三田出版会 | 1995年5月 | 2800円 |
| マイクロソフト最高経営責任者の軌跡 | ||||
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