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ウイリアム・ロウ

William C. Lowe

unknown -

IBM PCの生みの親

1998/08/01 掲載

参入のプラン

1980年フロリダのボカレイトンにあるIBMエントリーレベル・システムズの責任者をしていたウイリアム・ロウ(38歳)は,密かにパーソナル・コンピュータ市場への参入のプランを考えていた。この時ロウは、いままでのIBMのやり方では、常にスピードが要求されるPC市場には入れないと思っていた。つまりIBM社内の官僚的手続きや検査承認手続きをいちいち踏んでいたのではチャンスを逸してしまうというわけだ。

企業内独立事業単位

当時IBMにはIBU(Independent Business Unit:企業内独立事業単位)という制度があって,CMC:企業経営委員会で承認されれば必要な権限と予算が付与されることになっていた。これしかないとロウはアーモンクのIBM本社に足しげく通い,重役連に顔を売りながら自分の企画の根回しをして,ついにCMCのOKをとりつけた。これでよけいな干渉を周りから受けなくて済む。与えられた時間はわずか1年間だった。

チェス計画

この計画はチェス計画とよばれ、ロウは一番大事なプロジェクト・リーダーに有能なドン・エストリッジを選任し、計画の遂行を一任した。チェス計画は、いままでのIBMでは考えられない画期的な企画だった。それは

オープン・アーキテクチャ

これはメインフレームの文化からは考えられないことだった。このことは、IBMPC発表後1年もせずに、多くのいわゆるクローン・メーカーの興隆を生んだ。今をときめくコンパックなどもそうである。

コンピュータ部品、基幹ソフトウエアを他社から調達

IBMはメインフレームに使う半導体さえも自社生産している位の徹底したトータルカンパニーである。 (この点は日本の日立、東芝、富士通、日電などの電機メーカー出身も似ている。) それがBIOSをのぞく全ての部品、ソフトウエアを社外調達する事にしたのである。 IBMのこの決定は、インテルやマイクロソフトのその後の大躍進をもたらした。
CPU:インテル8088(16ビット)
OS :マイクロソフト PC−DOS
その他フロッピードライブ、電源機構などもほとんど外部調達(BIOSだけ独自開発)

一般の小売り店からの販売を行った

IBMはそれまでいわゆる小売りはしていなかったので、販売チャネルを全くゼロから作り上げることになった。誇り高いIBM営業部とはまったく無関係にコンピュータ・ランド,シアーズロウバックなどの小売り店と販売契約をむすび、大量の販売を可能にするチャネルを確保した。ここから、対大手企業しか関心がなかったIBMは、一般個人向けの顔を持つようになった。

参考文献および関連書籍の紹介
「ブルーマジック」 ジェイムズ・クポスキー他 経済界 1988年5月  2300円
IBMニューマシン開発チームの奇跡
「ビッグ・ブルース」 ポール・キャロル アスキー出版局 1995年11月  2800円
コンピュータ覇権をめぐるIBMvsマイクロソフト
「帝王の誕生」 ステファン・メイン他 三田出版会 1995年5月  2800円
マイクロソフト最高経営責任者の軌跡
インターネットソースの紹介
IBMのロウ紹介ページ(別ウィンドウ)
http://www-03.ibm.com/ibm/history/exhibits/builders/builders_lowe.html
移行前のコメント
2005/02/13
他のページもおもしろかったです。
細かいのですが、日電、富士通は重電と言うよりは弱電なので、東芝、日立、日電、富士通の4つのメーカをひとくくりで表すのであれば、電機メーカの方が適当ではないでしょうか?
筆者より: たしかにその通りなので、ご提案にそって訂正させていただきました。

 

 

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