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Andy Hertzfeld
1953 -
マッキントッシュOSの主要開発者
1981年に発売されたIBM-PCはビジネスの世界に受け入れられ、数年でパソコンのマーケットを大きく変えようとしていた。しかし1984年1月にマッキントッシュが発売されたときでも、 OSはまだキャラクター・ベースのDOSの世界だった。一方、マッキントッシュは生まれたときから、かわいいアイコンとマウスを使ったドラッグ&ドロップの世界をすでに実現していた。(DOSが実用に耐えるGUIを備えたWindows3.1に変わるのは実に8年後の1992年のことだ)
アンディ・ハーツフェルドはMacOSの中核部分を設計し、書いた。
このマック・プロジェクトはAppleIIの成功とLisaの失敗という2つの教訓の上に成り立っていた。 マックはAppleIIの10倍の性能と、Lisaの先端機能を兼ね備えて、 しかも大衆が買える値段でなければならなかった。 ハーツフェルドはリサ・プロジェクトの遺産をどう引き継ぐか決めなければならなかったが、 ビル・アトキンソン の書いたコードに感服していた彼は次のように明快な選択をした。
「アトキンソンのやったものは全部採用し、その他は一切排除しました」
アンディ・ハーツフェルドは1953年米国ニュージャージー州フィラデルフィアで生まれた。ロードアイランド州にあるブラウン大学で物理学、数学、コンピュータ科学を学び、1975年に卒業した。卒業後1年ほどテキサス州ガルベストンにある保険会社で IBMコンピュータのプログラマの仕事をした。その期間にハーツフェルドはコンピュータの OSについてかなり勉強した。1976年カリフォルニア大学バークレー校に進み、1979年コンピュータ科学で修士号を取得した。この時期に彼はパソコンの魅力にとりつかれる。1977年3月の第一回ウエストコースト・コンピュータフェアで発表されたAppleIIを見てからだ。翌年バーゲンでAppleIIを買い、アップル・ユーザーズクラブの設立にも参加した。そこで仲間と自作ソフトを色々作っているうちに、アップルに売り込もうという話になったらしい。アップル社で スティーブ・ジョブスと会った。それが縁となりジョブスから誘われて1979年アップルに入社したのだった。そこにはマイコン・ユーザーのヒーローだった スティーブ・ウオズニアックがいた。
「当時、ウォズはまだアップルにいましてね、ぼくは彼の席のすぐ隣に座ることになったんです。いやあ、ワクワクしましたね。毎日彼と話ができるし、昼食も一緒に食べに行ける。天国にでもうるような気分でしたよ」
しかし間もなくスティーブ・ウオズニアックの飛行機が大破し、 ウォズは戦列をはなれることになる。1981年ジョブスの指示でハーツフェルド はマッキントッシュ開発に参加することになった。彼の他に、リサを開発した ビル・アトキンソンや、ラリー・ケニアン、ブルース・ホーン、スティーブ・キャプスがいて、事実上この5人でマッキントッシュOSを書いたとのこと。(OSはROMに焼き付けられた)ジョブスは一切管理者を置かず、開発者の自由を尊重した。また、プロジェクトに参加した者全員にクレジットを与えた。そのおかげで、のちにハーツフェルドはニューズウィークに写真がのるなどして功績が一般に認知されることになった。
ハーツフェルドはマッキントッシュが発売された2ヶ月後の1984年3月にアップルを離れた。自由が失われたと感じたのが理由らしい。その後はマック用の色々なソフトを作っていた。1986年共同でラディオス社を設立し、ソフトウエア制作を担当した。その後ハーツフェルドは1990年にマーク・ポラットの呼びかけに応じた形で ゼネラル・マジックの設立に参加した。そこでアトキンソンに再会するのである。むしろアトキンソンがいたので参加したと言った方が当たっていた。ゼネラル・マジックの事業は不幸にして軌道に乗らなかったが、ゼネラル・マジックを去ったあと、今もアトキンソンと一緒にいるといううわさもある。
読者からの情報によると、アンディは1999年秋に設立されたイーゼルという会社の共同設立者になってるようだ。イーゼルはリナックス向けのユーザーインターフェイスを開発する会社のようで、将来リナックスもMACのようなユーザーインターフェイスをもつことができるのだろうか。もしそうなったら、個人向けパソコンにもリナックスが普及するようになるだろう。アンディの活躍を期待したい。 http://www.eazel.com/:イーゼルのトップページ
ハーツフェルドはインタビューでプログラミングの核心に触れる部分に言及している。その部分を「実録!天才プログラマー」から引用してみたい。
「技術者と芸術家の役割を同時に果たせる仕事は、プログラミング以外にないと思うんです」
「プログラムを書くときは、まず中核となる魔術的計略を考え出すんです。で、これがプログラミングの基礎となるわけです。その魔術的計略、つまりプログラムのエッセンス、それが間違いなく機能してくれたときに感じるスリルがこたえられないんです」
ハーツフェルドの言う「魔術的計略」という言葉にピンとくる方は、相当なプログラマだと思う。 筆者には残念ながら、何となくわかる気がする、といった理解しかできないが、 ハーツフェルドが技術者と芸術家の両方のおもしろさを満喫してきたのは 間違いないところだ。今後アトキンソンとのコンビでまた活躍してくれるのだろうか。
| 「マッキントッシュ物語」 | スティーブン・レヴィ著 武舎広幸訳 | 翔泳社 | 1994年2月 | 1800円 |
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| 僕らを変えたコンピュータ | ||||
| 「実録!天才プログラマー」 | スーザン・ラマース/マイクロソフトプレス編 岡和夫訳 | アスキー | 1987年2月 | 1900円 |
| 「パーソナルコンピュータを創ってきた人々」 | 脇英世著 | ソフトバンク | 1998年11月 | 1400円 |
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