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ゲーリー・キルドール

Gary Kildal

1942 - 1994

パソコンでの初めての標準OS:CP/Mの作成者

1998/08/01 掲載

マイコンが全盛の頃の標準OSを作った人

CP/Mの名前を覚えている人はまだ多いと思う。 生き馬の目を抜くようなコンピュータ業界では、 かつて名声を博した会社や製品があっと言う間に歴史の彼方に消えてしまった例には事欠かない。 ゲーリー・キルドールは、かつて8ビットマイコンが全盛の頃の標準OSを作った人である。 時代が16ビットに変わったとき、CP/MはMS−DOSへ標準OSの地位を開け渡した。

博士号を持った企業家

キルドールは1942年米国のシアトルで生まれる。 高校時代は機械装置や自動車に興味を持ち,自動車の盗難よけの警報装置やモールス信号の 練習機を作ったりした。1960年高校の教師になるつもりでワシントン大学に入る。 しかし,コンピュータにすぐに熱中し,FORTRANで数値計算をするため大学の 大型コンピュータを徹夜で使った。1967年ワシントン大学の大学院に進み コンピュータ・センターのバロース5500を使って勉強した。 ここでメインフレームの技術を収得し,ALGOLコンパイラの保守をアルバイトでやり, OSやコンパイラの知識を吸収した。 1969年徴兵で海軍大学のIBM SYSTEM/360を使ったコンピュータ科学の教師になる。 1972年ワシントン大学で博士号を授与される 。博士論文はコンパイラの最適化を扱った「グローバル・フロー・アナリシス」だった。

OSの開発

この経歴をみると、他の多くの企業家と同じように当時の汎用コンピュータを使いこなしながら 、その限界を肌で感じていることがわかる。 汎用コンピュータをTSSで使うようなやり方にいらいらしていた彼は、 インテルの4004CPUを25ドルで売りたいという掲示板を見つけ, マイクロコンピュータの将来生に着目,インテルの技術顧問になって研究を始めた。 ちょうど1972年頃フロッピーディスクが出回りはじめたころ、 フロッピーディスクを記憶装置とする8ビット用のOSを大型コンピュータ上で シミュレートしながら開発した。

CP/Mはよく売れた

1974年その開発した「CP/M」(ControlProgram for MicroComputer)と名付けたOSが 初めて動いた。1976年コンピュータ・ホビイスト用の「ドクター・ドブス・ジャーナル」 の編集者ジム・オーレンが広告をだして販売するとまたたくまに人気になった。 1976年反響を受けてデジタル・リサーチ社を設立。 CP/Mはよく売れてマイコンのOSをほぼ独占した。 1977年BIOS(Basic Input Output System)を作りOSとして汎用性が 格段に優れたものになった。

休暇中に時代が変わった

1980年IBMがパソコン市場に参入する準備を進めていた。 IBMパソコンのOSにCP/Mを考えていた。 IBMはCP/Mを16ビット用に書き換えるようにデジタル・リサーチ社と交渉したが, 丁度キルドールが休暇の時期で話がまとまらず, IBMが一方でプログラミング言語のBASICの交渉をしていたマイクロ・ソフト社が OSも一緒に引き受けることになった。 (PC−DOS)この時を境にパソコンは16ビットの時代に入り標準OSは CP/MからMS−DOSへはっきりと変わった。

CP/M(ControlProgram for MicroComputer)

初めてのフロッピー・ディスク ベースのオペレーティング・システム
8bitCPU(インテル8080,Z80)のパソコンでの標準OS

参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータの英雄たち」 ロバート・スレイター 朝日新聞社 1992年7月  2300円
コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。
「コンピュータウォリアーズ」 R・レヴェリング/M・カッツ/M・モスコウイッツ アスキー出版局 1986年1月  2500円
移行前のコメント
2006/6/27
ビル・ゲイツがCP/Mの著作権を無視してパクッた事実が欲しいですネ!
そしてラッキーにも著作権保有者が交通事故で亡くなったんでトラブルにもならず今のMSがある事も!
ビル・ゲイツはゲーリー・キルドールに対して後ろめたい気持ちが一杯だと思いますが、きっと彼に対してその名前はタブーなんでしょうネ?
MSの技術的基礎はCP/Mからの違法な頂き物って事を今のMSの社員は知っているのかなっ?
2004/10/29
キルドールの開発した物に、8ビット用のPL/Mと言う言語が、存在したと記憶しております。この、PL/Mを走らせる環境として、OSを開発し、インテルに売り込んだが、買ってくれず、CP/Mとして発売されたと記憶しています。インテルは、PL/Mのアーキテクチャーを16ビットで高速にするために、8088/86の命令セットに織り込んだといわれている。その証拠に、16ビットWindowsでは、Pascal読み出しのほうが7%コードが小さくなったと某会長が言っている。キルドールの仕事で、PL/MもCP/Mと同じくらい大きな功績ではないだろうか?
筆者より: その件は知りませんでした。キルドールの評価はもう一度調査し直していつかリライトしたいと思います。
2002/12/28
無難なまとめでは有ると思いますが、キルドール氏の最後の部分がはしょりすぎと思います。特にCP/MとMS−DOSの転換点など、たまにしか記事とか評論で見えない部分もありますが、某会社の某会長がまだ若かりし時期に詐欺的にCP/Mコピーを自分のものとして売り出したという件での裁判中に氏は自動車事故で亡くなった筈です。その裁判の結果はまだどこでも見たことは有りませんが、想像で裁判の結果本来利益を受ける人物が無くなくなったので酵素棄却というのは日本もアメリカもおなじだったなのかなあと思っている次第です。この辺について知りたかったです。だってWINシリーズでずーとMS−DOSを超えた新しいOSといいつづけながらNT4の頃からか「実は今までMS−DOSに縛られていた」とか平気で言う会社でしたから。2000でもブルーです。XPにも期待していません。それがこの記述だと後から出たいいものに座を奪われた?かのように受け取れるところに眉間にしわが寄りました。
いわゆるDOS/V時代になってメーカー品でも自作でも本当に不自由なく使って居られる方がうらやましいです。別にちゃんと使えれば僕も良かったのです。つい自分の不幸の歴史と、時間の無駄を後悔しながら書いてしまいました。
ごめんなさいとおやすみなさい。
筆者より: ご指摘の点はよくわかります。このページはいつかきちんとした形で書き直したいと思います。

 

 

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