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Gary Kildal
1942 - 1994
パソコンでの初めての標準OS:CP/Mの作成者
CP/Mの名前を覚えている人はまだ多いと思う。 生き馬の目を抜くようなコンピュータ業界では、 かつて名声を博した会社や製品があっと言う間に歴史の彼方に消えてしまった例には事欠かない。 ゲーリー・キルドールは、かつて8ビットマイコンが全盛の頃の標準OSを作った人である。 時代が16ビットに変わったとき、CP/MはMS−DOSへ標準OSの地位を開け渡した。
キルドールは1942年米国のシアトルで生まれる。 高校時代は機械装置や自動車に興味を持ち,自動車の盗難よけの警報装置やモールス信号の 練習機を作ったりした。1960年高校の教師になるつもりでワシントン大学に入る。 しかし,コンピュータにすぐに熱中し,FORTRANで数値計算をするため大学の 大型コンピュータを徹夜で使った。1967年ワシントン大学の大学院に進み コンピュータ・センターのバロース5500を使って勉強した。 ここでメインフレームの技術を収得し,ALGOLコンパイラの保守をアルバイトでやり, OSやコンパイラの知識を吸収した。 1969年徴兵で海軍大学のIBM SYSTEM/360を使ったコンピュータ科学の教師になる。 1972年ワシントン大学で博士号を授与される 。博士論文はコンパイラの最適化を扱った「グローバル・フロー・アナリシス」だった。
この経歴をみると、他の多くの企業家と同じように当時の汎用コンピュータを使いこなしながら 、その限界を肌で感じていることがわかる。 汎用コンピュータをTSSで使うようなやり方にいらいらしていた彼は、 インテルの4004CPUを25ドルで売りたいという掲示板を見つけ, マイクロコンピュータの将来生に着目,インテルの技術顧問になって研究を始めた。 ちょうど1972年頃フロッピーディスクが出回りはじめたころ、 フロッピーディスクを記憶装置とする8ビット用のOSを大型コンピュータ上で シミュレートしながら開発した。
1974年その開発した「CP/M」(ControlProgram for MicroComputer)と名付けたOSが 初めて動いた。1976年コンピュータ・ホビイスト用の「ドクター・ドブス・ジャーナル」 の編集者ジム・オーレンが広告をだして販売するとまたたくまに人気になった。 1976年反響を受けてデジタル・リサーチ社を設立。 CP/Mはよく売れてマイコンのOSをほぼ独占した。 1977年BIOS(Basic Input Output System)を作りOSとして汎用性が 格段に優れたものになった。
1980年IBMがパソコン市場に参入する準備を進めていた。 IBMパソコンのOSにCP/Mを考えていた。 IBMはCP/Mを16ビット用に書き換えるようにデジタル・リサーチ社と交渉したが, 丁度キルドールが休暇の時期で話がまとまらず, IBMが一方でプログラミング言語のBASICの交渉をしていたマイクロ・ソフト社が OSも一緒に引き受けることになった。 (PC−DOS)この時を境にパソコンは16ビットの時代に入り標準OSは CP/MからMS−DOSへはっきりと変わった。
初めてのフロッピー・ディスク ベースのオペレーティング・システム
8bitCPU(インテル8080,Z80)のパソコンでの標準OS
| 「コンピュータの英雄たち」 | ロバート・スレイター | 朝日新聞社 | 1992年7月 | 2300円 |
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| コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。 | ||||
| 「コンピュータウォリアーズ」 | R・レヴェリング/M・カッツ/M・モスコウイッツ | アスキー出版局 | 1986年1月 | 2500円 |
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