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二人の力:ジャストシステムの創業

浮川和宣と橋本初子のケース

1998/10/12 掲載

彼女はジャストシステムの礎を築いた

コンピュータに関係する人々を見渡すと、女性が出てくるのは極めてまれである。筆者が思い出すのは初代プログラマともいえるグレース・ホッパーくらいである。この一見奇妙な現象はいずれ項を改めて考えてみたいが、この項で紹介する橋本初子はまぎれもなくコンピュータの歴史に登場すべき女性である。彼女はジャストシステムの礎を築いた。相棒は夫浮川和宣である。

浮川との出会い

橋本初子は1951年徳島市で生まれている。国語は苦手だが数学が得意という理系向きの才能があり、高校生ですでにプログラマーになろうと決めていたらしい。1969年愛媛大学工学部電子工学科に入学した。そのとき女性は彼女一人だけだった。そして同級生に浮川がいたのである。浮川は何かと気を使い彼女をサポートし、次第に親密になり、プロポーズも大学時代だったらしい。

二人で独立:オフコン販売

1973年大学卒業後、浮川は西芝電機へ、初子は希望通りプログラマになるため、東京に出て高千穂バローズの相模原研究所に入った。研究所ではコンパイラなどの言語処理を担当した。1975年二人は結婚し、彼女は会社を退職して姫路の浮川の社宅で暮らすことになった。そこで地元の小さなオフコン販売会社に再就職した。中小企業の販売管理システムなどを彼女一人で作り納入したらしい。才能は際だっていた。そういった初子の仕事ぶりを見ていた浮川は1979年独立の決意をかため、西芝電機を退職した。そして二人で徳島にもどり、初子の実家をオフィスとしてオフコン販売の会社を始めた。浮川が営業、初子がプログラマである。しかし一台1000万円也のオフコンがそう簡単に売れるはずもなく、苦労した。記念すべき最初の注文を浮川がとってきたのは半年後だった。その後は初子の仕事で、半年かけて当時としては珍しい漢字処理のできるシステムを作り上げた。

日本一のソフトメーカーに

この1980年前後の数年はパソコンの歴史の転換期であった。アップルが設立されたのが1977年、最初のスプレッドシート「ビジカルク」が販売されたのが1979年、IBMPCが発売されたのが1981年、コンパック設立が1982年である。日本ではアスキー・マイクロソフトが1978年、ソフトバンクが1981年に設立されている。この転換期に浮川は日本語処理に照準をあてていた。パソコンでする「かな漢字変換」である。制作は初子である。彼女には十分な技術とノウハウがあった。まだ8ビットで、OSはCP/Mだったが、これが東京のデータショウに出展するとすごい評判になった。これをきっかけに本格的なワープロソフトを作ることになり、アスキーの下請けを経て独立、ワープロソフトメーカーとして日本一の会社になるのである。

参考文献および関連書籍の紹介
ジャストシステム 高橋範夫 光栄 1995年9月  1500円
副題:一太郎を生んだ戦略と文化

 

 

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