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リーナス・トーバルズ

Linus Benedict Torvalds

1969 -

Linuxカーネルの作者

1999/01/26 掲載

フォーブス紙の表紙を飾った若干28歳の若者

1998年8月のフォーブス紙の表紙を飾ったトーバルズ氏は若干28歳の若者だが、(昔の写真と比べると相当に太ったようだ)この年から、コンピュータの世界では誰一人として知らぬものはいないほど有名になった。マイクロソフトでさえ一目おくLinuxカーネルの作者で、現在も整備が続く Linuxオープン・ソース・プロジェクトの事実上のリーダーでもある。

1998年はLinux(オープン・ソース)の大ブレイクの年

しかし、1998年のLinux大ブレイクは大変なもので、コンピュータ関連の雑誌にはほとんど毎月Linuxの特集記事が出ているし、書店にはLinux関連の本がUnixよりも多い位並んでいるようになった。米国IDCの統計だと1998年のサーバーOSではLinuxが212.5%の伸びを示し、サーバーOSの17%を占めているとでている。この年は大手メーカーが続々と Linux対応版の製品を出荷し始めた年でもある。マイクロソフトがあわてるのも無理ないほどで、1995年のインターネットの大ブレイクに続いて、1998年はLinux(オープン・ソース)の大ブレイクの年として記憶されることになるだろう。二つのブレイクは、言うまでもなく一本の赤い糸で結ばれている。

ヘルシンキで生まれたオープン・ソースの旗手

主人公リーナス・トーバルズは1969年フィンランドの首都のヘルシンキで生まれた。 1988年ヘルシンキ大学に入学し、コンピュータ・サイエンスを専攻した彼は、 1990年にUNIXとCのコースをとった。教育用に作られたMinix(間違えてMinuxとしていたところ読者の指摘で訂正させていただきました) というミニUNIXをベースに彼は独自に自分のOSを作りだし、1991年10月Linux0.02としてインターネット上で公開した。(最初はFREIXと言っていたが、ネット友達から、もっと分かり易くLinuxとしろと言われてそうなったらしい)それがかなりの反響をよび、お互い顔も知らない仲間がネット上で共同開発が 始められた。  考えてみれば、この頃はまだDOSの時代で、インターネットも一般の人々には まだ遠い世界の話だった。 Linuxはこの時代に産声をあげている。 1992年最初のCD−ROMディストリビューションが登場、一部先進ユーザーの間で ブームが起こる。1994年にバージョン1.0が公開され、 一般のレベルまで存在が知られるようになった。 1995年にはトーバルズ氏は京都大学有志の招きで日本にきたことがある。 1996年バージョン2.0が完成し、その安定性とフリーで入手できることからUNIXの代わりの サーバーOSとして広く使われるようになった。 1997年頃から商用パッケージなどをあつかうディストリビュータが多くなり、 ビジネスの世界に浸透し始めている。  この年にトーバルズ氏はヘルシンキ大学の研究員をやめ、 アメリカへ移住、3月からシリコンバレーのトランスメタという半導体の設計会社(注1)にプログラマとして勤務するようになった。

2007/6/29追記

2003年にリーナスはトランスメタをやめ、IBMやインテルが共同で設立したLinuxのビジネス利用のための団体(オープンソース開発研究所)に移籍したとのこと。

若さが新しいパラダイムを育てる

トーバルズ氏はまだ28歳の青年で、Linuxの開発を始めた頃は21歳だった。この若さはビルゲイツ氏の早熟に匹敵する。ビルゲイツ氏は金銭的な成功を望み、20年後世界一の金持ちになった。トーバルズ氏は誇りが報酬と言って、記憶に残る仕事を目標としてボランタリー活動を続けている。彼がこの活動を今後20年に渡って続けるならば、彼のライフスタイルが若者たちに大きな影響力を及ぼすだけでなく、社会的な枠組みの再編を促すほどの力を持つことになるだろう。彼の若さに期待したい。

お金をくれるからやっているのではない。面白いからだ。

彼のインタビューはすでに山ほどあるが、一番分かり易いので1998/12/08日経新聞朝刊の インタビュー記事から引用する。

「日常生活には何ら変化がない。町を歩いていてもだれも気付かない。失業の心配はなさそうだが、大金を得たわけでもない。多くの人が「有益なことをした」と喜んでくれるので、エゴはみたされる」
1998/12/08日経新聞朝刊
「利用者も増えたが、僕を助けてくれる開発者も増えた。いいプログラムを開発するのは アートのようなもの。人々がスポーツを楽しむように、僕はプログラムを楽しむ。ネット上にコミュニティーが生まれ、共同作業がまた面白い」
1998/12/08日経新聞朝刊
「現在、核になるプログラマーは数百人に上る。僕の役割は九割が関係者間の連絡や調整で、残り一割がプログラミングだ」
1998/12/08日経新聞朝刊
「僕を含めLinux開発者は企業がお金をくれるからやっているのではない。面白いからだ。 Linuxが平常に動くことに誇りを持っている。誇りを満たせることが報酬だ。何か問題が生じれば、だれかが改良する」
現在、核になるプログラマーは数百人に上る。僕の役割は九割が関係者間の連絡や調整で、残り一割がプログラミングだ
「プログラマーは仕事場から戻っても、好きだからついコンピュータの前に座ってしまう。創造的で賢明な彼らは意義のあることをしたがっている。経済的な理由からではない。ゲイツ氏の主張は通じない」
1998/12/08日経新聞朝刊
「OSは公共的な方がいい。Linuxは公共組織が道路を建設するようなもの。何年か後、マイクロソフトはウインドウズ開発をあきらめるのではないかと僕は見ている」
1998/12/08日経新聞朝刊
(注1)トランスメタ

2000/06/03追記
 トランスメタは2000年1月にクルーソー(Crusoe)というインテル互換のRISCチップを発表 して注目を集めている。消費電力がインテルの数分の一ということで、 モバイル向けにも期待されているのだ。1995年に設立されたトランスメタは、 サン・マイクロシステムズでSPARCチップを設計したデビッド・ディッツェル氏が起こしたもので、 その最初の製品がクルーソーというわけだ。開発に5年間という膨大な時間をかけたこのチップ は、コード・モーフィング技術と、組み込みLinuxとの連携でインテルをおびやかす 存在になるかもしれない。リーナス・トーバルズを誘ったのもデビッド・ディッツェル氏の 深慮遠謀なのだろうか。
http://www.transmeta.com/米国トランスメタ社のトップページ

参考文献および関連書籍の紹介
「リーナス・トーバルズLinux開発者」インタビュー時代を変える1 1998/12/08日経新聞朝刊 日本経済新聞 1998年12月  0円
「無償の頭脳パワー」マイクロソフト脅かす 日本経済新聞 1998年12月  0円
1998/12/06日経朝刊
「盛り上がる「オープンソース熱」」新たなソフト開発の潮流になるか 日経BP社 1999年1月  0円
日経パソコン1999新春特別号
「デスクトップOSへの道を歩み始めたLinux」 日経BP社 1999年1月  0円
Linuxウオッチング第四回
日経バイト1999/01月号
「オープン・ソースの行方を探る」 日経BP社 1999年1月  0円
日経コンピュータ
1999/01/04月号
Linuxを生み出したパラダイム
「Linuxを使ってみよう」 日経BP社 1998年11月  0円
日経オープンシステム1998/11月号
「Intelも巻き込み急浮上続けるLinux」 日経BP社 1998年11月  0円
日経バイト1998/11月号
Unixウオッチング第二回
「企業システムへ一歩踏み出すLinux」 日経BP社 1998年8月  0円
日経オープンシステム1998/08月
「オープン・ソースの意味するもの」 日経BP社 1998年10月  0円
日経バイト1998/10月号
UNIXウオッチング第一回
インターネットソースの紹介
リーナス・トーバルズのホームページ(別ウィンドウ)
http://www.cs.helsinki.fi/u/torvalds/
2003年から更新されていないようですが・・

 

 

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