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Marc Andreessen
1971 -
インターネットをブレイクさせたMOSAICを創った男
ちょっと前まで、インターネットはその名前くらいは知っているものの、大学の研究者や、 政府関係者など一部の人々の使うもので、われわれ一般人には関係ないと思われていた。 それが、MOSAICの出現で、インターネットの世界が、俄然おもしろい世界に変身したのだった。 このブラウザーというソフトは、当時イリノイ大学の学生だったマーク・アンドリーセン という若者が創ったものだった。
マーク・アンドリーセンはイリノイ大学に入学するとコンピュータ・サイエンスを学んだが、理論よりも人々に使ってもらうプログラミングのほうに興味を持っていた。彼は1990年から91年にかけて、オースティンやテキサスのIBMで3Dプログラミングを手がけ、IBMから戻るとNCSA(National Center for Supercomputing Applications)に入り、同じ3Dの仕事を続けた。しかしその頃からスーパーコンピュータは小型で安いPCワークステーションに取って代わられるようになり、NCSAでもコンピュータネットワークの方面に目を向けていた。マーク・アンドリーセンはインターネットでの検索をもっとやりやすいように変えるソフトをつくることになり、MOSAICを数人のメンバーで作り始めた。
インターネットのWWWの仕組みはいまではだれもが当然のごとく使っているが、 これが世に出たのはわずか10年前のことである。 スイスの物理学者ティム・バーナーズ=リーが1987年から89年にかけて提案していたもので、 1990年にはNeXT上でテキストのみのブラウザの原型をつくっている。 1992年にリーはWWWの仕様をインターネットで公開し、ブラウザの開発を呼びかけた。
アンドリーセンたちのMOSAICは、それを受けたもので、 彼のMOSAICの画期的だったのはイメージを取り扱えるようにしたことである。 MOSAICは1993年3月にインターネットで公開され、大反響のもと、瞬く間に世界中に広まった。 今日のインターネットの大ブレイクは実にこのときに始まるのである。 大学側はこの成功を見てビジネスにする方向で動き始め、 学生たち特に開発に関係した者の反発をかった。 1993年イリノイ大学をコンピュータサイエンスで卒業すると、すぐに彼は大学を去った。
3ヶ月ほどパロアルトのソフト会社に勤めたあと、 1994年4月に当時シリコングラフィックスの会長を辞めて新しい事業を物色中だった ジム・クラークと一緒にネットスケープ社を設立した。 (設立当初はモザイク・コミニュケーションズと言ったが、大学側の商標権の申し立てで、 ネットスケープに社名変更したのだった)
1994年の10月には早くもネットスケープ・ナビゲータのベータ版がインターネットで公開され、多くの人がダウンロードして使うようになった。バージョン1の正式版が発売されたのは1995年6月である。この年はJAVAが立ち上がったとしでもあり、ネットスケープはいち早くJAVAのライセンスを取得し、 JAVA対応を表明した。このときマイクロソフトはまだインターネットに進出していない。ネットスケープ社のブラウザーは80%以上のシェアを獲得した。その後のマイクロソフトが参入しての展開は記憶に新しく他の項で記述しているので省略する。
日経新聞朝刊によると、アンドリーセン氏は「ラウドクラウド」というベンチャーを設立したらしい。詳細は不明。
アンドリーセン氏はAOLの技術責任者を辞任したらしい。AOLを離れるかどうかははっきりしない。
日経新聞夕刊によるとアンドリーセン氏はAOLの技術責任者(CTO)として残ることになったとのこと。数年後はわからないが、しばらくはAOLに落ち着くことになりそうだ。
日経新聞朝刊 「アンドリーセン副社長AOL翼下入りで去就に注目」とある。
本人は進退を語るのはまだ早いとしているが、かれは個人的に情報家電会社に投資しており、ベンチャー投資家としてAOLを離れる可能性もありそうだ。
日経新聞朝刊記事:ネットスケープはアメリカ・オンライン(AOL)に買収されることが決まった。マーク・アンドリーセン氏が残るのかどうかはまだはっきりしていない。
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