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松永真理

Matsunaga Mari

1954 -

iモード・コンテンツの開拓者

2000/05/15 掲載

iモードの「i」

1999年の2月22日にサービスを開始したNTTドコモのiモードは、携帯電話からインターネットに接続し、種々のコンテンツを提供するサービスとして世界初の成功をおさめた。iモードは開始1年で500万台を超え、まだ1日2万件の勢いで伸び続けている。日本は実質的に携帯電話の利用で世界をリードしている(注1)と言える状況なのだ。iモードが従来型の情報端末のような登場のしかただったら、こうはいかなかったろう。iモードのコンセプトを今の使えるかたちにまとめあげたのは、トラバーユ編集長からスカウトされた松永真理氏だった。「iモード」という名前に松永氏の思いが込められている。

「ツーリストインフォメーションの頭文字をイメージしました。旅先で困った時に飛び込めば、誰でも情報を得られるスポットです」
「時代の波頭をキャッチしよう」サンデー毎日より

第2志望があたりだった。

1954年日本国の長崎県佐世保市で生まれる。3人姉妹の末っ子だった。明治大学で仏文学を専攻し、1976年に卒業した。1973年の第1次石油ショックが引き金になった不況で1976年当時も就職事情がきびしく第一志望のファッション系の出版社をあきらめ、当時就職情報誌の出版も行っていた日本リクルートセンターに入社することになった。これが結果的にあたりだった。

最初にまかされた臨時増刊号

リクルートは松永氏にとって働きやすかったようで、新卒用の新聞をつくりながら仕事になれていった。

「入社4年めの、秋のこと。1冊の臨時増刊号をまかされることになった。いってみれば、4年めにして編集長。表紙から企画から構成から、やりたいように料理できるのである」
「なぜ仕事するの?」より

はりきって月150時間の残業をこなしながら増刊号を完成させ、印刷の仕上がりを待つまでになっていたが、そのとき部長から緊急電話がはいった。ノンブルと目次が合っていないという。

「その瞬間、私の脳裏には刷り上がった雑誌を次々に裁断していくシーンが映った。10万部の雑誌が山と積まれたボリュームを思い浮かべたとたんに、受話器を手にしたまま、私はその場に倒れてしまった。完全に、気を失ってしまったのだ。ノンブルとは、ページ数を示す数字のことで、目次の数字と照合するのは、雑誌づくり最後の重要な仕事である。それも、検索性をむねとする情報誌においては、許されない間違いなのだ」
「なぜ仕事するの?」より

一人編集長で頭角をあらわす

こうした失敗を乗り越えながら実力をたくわえ、そのころ赤字にあえいでいた「就職ジャーナル」をまかされることになった。1986年から就職ジャーナルの編集も広告も販売も一人で一手に受け持って、1年後には黒字にもどした。このころ管理職に昇進した

「私は現場に強い、プレイイング・マネージャーになろうと思いました」
「組織のなかの自分が、いま転換期を迎えていることに、ようやく気づいた。均等法が施行された86年の春、やっとのことで、私は管理職に昇進した。そうして、これまでとは違う、もうひとつの可能性の、きっかけをつかむことができたのである」
「なぜ仕事するの?」より

松永氏は就職ジャーナルを立て直した実績をかわれ、2年後の1988年にトラバーユの編集長に抜擢された。ちょうどその年、例のリクルート事件(注2)が起こり状況は厳しかったが、これも発行部数を減らすことなく乗り切った。

iモード開発の1年半

1997年になってNTTドコモから「新しい情報配信事業のコンテンツ(内容)を企画しないか」と誘われて転職を決意。ゲートウエイビジネス部企画室長としてiモードのコンテンツを開発することになる。ドコモに移るとすぐに基本コンセプト作りに手をつけた。ドコモとしては初めての社内公募であつまったスタッフと、リクルート時代の人脈で社外の雑誌編集者、作家などに声をかけ自由に発言してもらってコンセプトを明確にしていった。

「NTT内部から見れば、想像もしない手法だったと思います。でも、参加者はそれぞれの分野で活躍するアンテナ人間ばかりでした」
「時代の波頭をキャッチしよう」サンデー毎日より

ちなみに、300円という価格設定も松永氏のこだわりであるらしい。

発表

1998年11月最初のプレス発表はわずか7人しか集まらなかったそうで、かなりあせったらしいが、1999年1月女優の広末涼子を起用して再発表。このときは予定の3倍の500人が集まった。そして2月22日からサービスが開始された。当初の1ヶ月はiモード対応機種は富士通のF501iしかなかったため、滑り出しは低調だった。しかしすぐにはずみがつき、あとは話題をふりまきながらiモードは予定を上回る勢いでのびていった。

そして古巣へ?

松永氏はiモード開始1周年をすぎた2000年3月31日付けでドコモを退職した。周囲には突然だったが、本人ははじめからの考えだったようだ。もともと文章を書いたり編集の仕事がすきで、当面iモード開発ストーリーを本にする予定だそうで、2000年夏頃発売見込みだ。その後は編集の古巣へもどるのだろうか。後はiモードのビジネスモデルをつくった夏野剛氏が引き継ぐと見られている。夏野氏は、松永氏が就職ジャーナル編集長時代に学生アルバイトとしてサポートしてくれた人材だ。

2000/07/14日経新聞朝刊によると

松永氏は女性向けネットサービスの「イー・ウーマン」のエディトリアルディレクターに就任した。女性専用のホームページ「eWoman」を2000/09に立ち上げるそうだ。 http://www.ewoman.co.jp/

開発ストーリー

執筆中の開発ストーリーは2000/07/25に「iモード事件」というタイトルで角川書店から発売になった。 00

2000/09/14日経新聞朝刊によると

松永氏は政府税制調査会の委員に選ばれたそうなのだ。ちょっと畑違いだとは思うが、松永流でびしびしやってほしい。

2000/12/24追記

近所の書店をのぞいていたら夏野剛氏の著作が出版されていた。「iモード・ストラテジー」(日経BP企画/05/2000/12/20発行)というタイトルでまだ途中までしか読んでいないが、真理さんの「iモード事件」とあわせて読むとおもしろいと思う。

(注1)携帯電話の利用で世界をリード

携帯電話の加入台数は2000年3月末の統計によると5000万台を突破し、通常の電話機の数を上回った (2000/04/07日経新聞朝刊)。また1999年末における1000人当たりの携帯電話普及率は世界第4位で、これは米国を大きく引き離しているそうだ(2000/03/04日経新聞朝刊)。ちなみに1位はノキアのあるフィンランドだ。また、伝送速度が200倍になる次世代携帯電話も2001年にサービス開始の予定で、これも世界最初になる見込みだ。こうした成功をリードし、ささえているのは、中高生を中心にした若い女性たちで、そのあとに若い男性、ビジネスマンが続き、銃後をまもるのがおもに中高年男性という図式になっている。

(注2)リクルート事件

リクルートが子会社のリクルートコスモス社の未公開株を政治家などに譲渡した贈収賄事件。1989年江副会長の逮捕を皮切りに、真藤前NTT会長や労働省、文部省の事務次官等が逮捕され、藤波元官房長官が起訴されるなど、ロッキード以来の大疑獄事件に発展した。

参考文献および関連書籍の紹介
「なぜ仕事するの?」 松永真理著 講談社 1994年6月  1200円
人間発見 松永真理さん 日経新聞夕刊2000/02/14〜02/18 日本経済新聞社 2000年2月  0円
時代の波頭をキャッチしよう サンデー毎日2000.3.12号 毎日新聞社 2000年3月  0円
出荷抑制でも人気は落ちず iモード 1日2万人が携帯契約 朝日新聞朝刊2000/05/11 朝日新聞社 2000年5月  0円
携帯電話5000万台突破 加入台数「移動」が「固定」抜く 日経新聞朝刊2000/04/07 日本経済新聞社 2000年4月  0円
ネット後進国ニッポン、iモードなど急進、米しのぐ可能性も 日経新聞朝刊2000/03/04 日本経済新聞社 2000年3月  0円
松永氏、ドコモ退職へ 日経新聞夕刊2000/03/23 日本経済新聞社 2000年3月  0円
iモード加入500万件突破/サービス開始1年で 日経新聞朝刊2000/03/17 日本経済新聞社 2000年3月  0円
iモード、携帯に標準搭載 日経新聞朝刊2000/02/23 日本経済新聞社 2000年2月  0円
iモードがニフティ抜く 朝日新聞朝刊2000/02/13 朝日新聞社 2000年2月  0円
「iモード以前」 松永真理 講談社 2002年7月  1400円
「iモード事件」 松永真理 角川書店 2000年7月  1365円

 

 

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