ちえの和webページ
Nishimura Hiroyuki
1967/11/16 -
最大の無記名掲示板2ちゃんねるのオーナー(読者リクエスト)
2ちゃんねると聞いて、何のことか分からない人は、このページを見る人の中にはいないと思うが、眉をひそめる人は多いかもしれない。2ちゃんねるはいままで何度となく週刊誌、新聞、テレビなどに露出したことがあるが、そのほとんどが、ネット世界の闇の部分のような扱いで紹介されている。しかし一部の人たちが忌み嫌おうとも、2ちゃんねるは日本最大の無記名掲示板だ。人々は、表通りでは決して聞くことのできない評判やうわさ、などを求めてここに入ってくる。よく考えると、2ちゃんねるは裸のコミュニケーションの場を提供しているのかもしれない。2ちゃんねるは当時、中央大学の学生だった西村博之(通称ひろゆき)が立ち上げた。
西村博之(通称ひろゆき)は1976年に神奈川県で生まれ、高校まで赤羽で育った。東京都立北園高校を卒業し、1年浪人して1996年に中央大学に入学した。心理学の専攻だったらしい。大学に入ってから本格的にパソコンを使い出し、インターネットにものめりこみ、すぐに詳しくなった。大学2年の1月に友達10人くらいとホームページ製作会社「東京アクセス」をつくった。資本金9万円の合資会社だった。最初に練習のため作ったホームページは「交通違反のもみ消し方」というサイトだったらしく、いかにもひろゆきらしい。
1998年、大学3年の夏、心理学の勉強のため(という口実で)大学から奨学金を得て、アメリカ、アーカンソー州にあるユニバーシティ・オブ・セントラル・アーカンソーという大学に留学した。この大学は中央大学と提携していて、取得単位を相互承認できるようになっていたようだ。留学中はかなり本気で勉強に励んだらしい。そして1999年5月、アメリカ留学中に2ちゃんねるを立ち上げることになる。
インターネットが一般に浸透してきたのは1995年あたりからだが、それまでパソコン通信の世界でコミュニケーションを楽しんでいた人たちが90年代後半にインターネットに民族移動を始めていた。パソコン通信大手もこの時期追いかけるようにインターネットプロバイダに衣替えしている。PC-VANは1996年にBIGLOBEに、ニフティサーブは1999年に@Niftyに移行し、それぞれパソコン通信時代の掲示板などの活動をインターネットにそのまま移そうとしたが、いずれも失敗している。かわりに受け皿となったのが、個人が趣味で始めていたインターネットの無記名掲示板だった。このへんの事情は非常に教訓的なので別の機会に取り上げたいが、とにかく、彼らは大手パソコン通信を捨てて名も無い個人サイトに居場所を見つけたのだった。
無記名掲示板の元祖は「あやしいわーるど」という個人サイトだったらしいが、パソコン通信から移動してきた人たちやいっとき話題になったことなのでアクセス数が急増し、サーバーの許容範囲を越えたことが引き金となって、管理人によって閉鎖された。すると今度は2番手につけていた「あめぞう」掲示板にアクセスが集中し、結局「あめぞう」もサーバーがパンクし閉鎖に追い込まれたてしまた。その後を引き継いだのが2ちゃんねるだった。当時ひろゆきはアメリカ留学中だったが、あめぞう掲示板のヘビーユーザーだったそうだ。
「『あめぞう』が閉鎖することになったとき、『責任を持ってうちの、HP引き継いでくださいという、団体の方いらっしゃいませんカー』という呼びかけに対して、ひろゆきが『おいらじゃだめでしょうか?』と応えたという話も残っている」
ひろゆきの2ちゃんねるも開設してすぐに、東芝クレーマー事件(1999年6月)が勃発しアクセス数の急増という前の2つの掲示板と同じ状況に陥った。そのほかにもインターネット関連の事件があるたびに、きまって2ちゃんねるの話題が取りざたされた。佐賀バスジャック事件では犯人の少年が2ちゃんねるのユーザーだったと報道され、横浜ハンマー打撲事件では犯人が前日に2ちゃんねるで予告した?など、そのたびにアクセス数が急増しサーバーパンクの危機に陥った。ひろゆきはこれらの危機をひとつひとつ乗り越えてきた。端的に言えば、それが2ちゃんねるがここまで大きくなれた要因なのだが、ひろゆきは、サーバー業者と交渉をかさね、サーバー業者の広告を2ちゃんねるに載せる代わりにサーバーをタダで貸してもらうというバーター取引を成立させた。月額数百万円のサーバーコストをちゃらにしながら、何度かサーバー業者を乗り換えて大きくなっていった。現在はサンフランシスコのサーバーを使っているようだ。
インターネット世界は、不思議なもので、最新の情報ネットワークという外壁を乗り越えて中に入ってみると、そこには以前は特権的な人たちだけが接しえた状況が、だれにでも開放されているのがわかる。例えば、株式のネット取引をやってみると、そこには板というのが表示され、今その株をいくらで何株買いたがっている人が、どのくらいいるかが分かるようになっている。もちろん、逆に売りたがっている人がどのくらいいるかも、一目瞭然だ。売りたい人が多ければ株価はさがり、買いたい人がいっぱいいれば株は高く売れる。この市場原理の原点がまさに目の前に表示される。慣れてくると、その板の変化を見ているだけで、株式市場の喧騒が聞こえてくるようになるのだろうと思う。実際、ちょっと前までは、証券取引所の場立ちと呼ばれる売買担当者が、手で符丁をはり、声を枯らして取引をしていたのだが、まさにその状況が今はだれのパソコンの画面にも再現されるのだ。つまり、以前は場立ちしか体験できなかった株取引の生の現場を、今はだれでも体験できるのである。一部の人たちが、デイトレーダーとしてこれにのめり込むのも、無理なからぬことではある。
また、ネットオークションに入ってみると、いまではありとあらゆるものが競売にかけられている。このオークションには誰でも出品できる。そして買う人も真贋を見極めて自分で値を付けるわけだ。誰もが欲しがるものは高い値がつき、誰も見向きもしないものには値が付かない。ここにも市場原理の原点が明瞭に示されている。偽物をつかまされることもあるかもしれないが、今まで欲しくても見つからなかった自分にとってのお宝を手に入れることも可能だ。ここは昔のシルクロード交換市場や、築地の競り市、など商売の専門家たちが、値切ったり品定めしたりしていた商売の生の現場があるような気がする。そんな雰囲気がただようのだ。
そして2ちゃんねるのようなネット掲示板に足を踏み入れると、そこは壮大なおしゃべりと議論の現場だ。まじめに議論する人や、ジョークを楽しむ人、秘密の情報を発表する人、うそを言って注意を引こうとする人、うそを見破ろうとする人、ケンカを売る人、ケンカを買う人・・みんなで熱くなれるテーマを探しながら盛り上がる。一部のマスコミ関係者が便所の落書きと評したように、アレルギー反応を起こす人も少なくないが、その理由は彼らがコミュニケーションの原点をそこに感じるからかもしれない。デマやはったり、不機嫌やワルノリ、現代の洗練された社交現場ではそのような無作法に直接さらされることがあまりない。ネット掲示板のあまりにもあからさまなコミュニケーションは、発言の無記名性に由来している。ここでは、発言者の人格は、発言の内容のみから形成されるので、原理的には、男を装うことも女になることも可能だ。そこではコミュニケーションの本来的な力学が働くのがわかる。
「誰か個人やメディアが『○○は××だ』と言ったとする、それが嘘であれ、ネタであれ、あるいは本当であれ、語る価値があると大多数が判断した場合は、傍証や反証、過去の事例が持ち出され、理論的な検証も行われたりしてレスがつく。こうしたことが高じて、ネット上での詐欺犯を『2ちゃんねる』ユーザーが追い詰めていったということさえ起こっている」
「その一方で、語るに値しないと見なされたときは、単に放置されたり、罵倒されたり、モナーやギコ猫が病院から迎えに来たり、『悲惨な1がいるスレ』に追い払われたりして、ごくごく短時間のうちに見向きもされなくなる。たとえ、ネタのつもりだったとしても、それは洗練されていない、要するに面白くないネタとして、ほぼ強制的に終了の憂き目にあう」
「『2ちゃんねる』では、プロパガンダやデマゴギーが成立しにくい。それというのも、情報の価値を多くのユーザー自身が自らの手で判断しているからなのである」
猫のようなキャラクターで、「オマエモナー」ということでモナーと呼ばれるようになったらしい。誰かが誰かを不用意にけなしたりすると、すぐさまモナーがでてきて、オマエモナーと宣告する。
これも猫キャラクターとして有名で、いろいろなバリエーションがあるようだ。
ひろゆきによると、あめぞうの後を引き継いだという意識があるので、あめぞうのセカンド・チャネルという意味が一部こもっているらしいが、テレビの1chと3chの間を埋めるサブカルチャー的な情報ソースという意味もあるかもということで、ほんとうのところはよくわからない。そのなぞがまたいいのかもしれない。
| 「2ちゃんねる宣言」 | 井上トシユキ+神宮前.org | 文芸春秋社 | 2001年12月 | 1476円 |
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| よくまとまっていて非常に参考になった。田原総一朗や糸井重里、宮台真司などの有名人との対談もあり、興味深い。宮台氏がいつになく説得役にまわっているのも面白かった。 | ||||
| 「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」 | ひろゆき(西村博之) | 扶桑社新書 | 2007年7月 | 777円 |
| ひろゆきのコメントを編集者が本にまとめたもののよう。正直言ってあまりおもしろくない。ひろゆきらしさが出ていないような気がする。 | ||||
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