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宮本茂

Miyamoto Shigeru

1952 -

ドンキーコング、マリオブラザースの原作者

1998/10/26 掲載

ポールマッカートニーの息子

何年か前、元ビートルズのポール・マッカートニーが家族連れで日本公演に来たとき、 ポールの息子がマリオの作者宮本を知っており、マッカートニーのコンサートに招待され、 ポールの息子にはサインしてあげたという話が伝わっている。 マリオは世界中で数百万本売れており、その作者としての宮本の名前も世界中に知れ渡っている。

ドンキーコングでデビュー

宮本茂は1952年に日本国の京都で生まれた。小学校のころは人形つくりになりたかった。 中学では漫画を書き始め、漫画部をつくった。高校をでて一浪で金沢市立美術工芸大学に入学、 工業デザインを専攻した。大学ではギターを始め、バンド活動もした。 1977年に、地元京都の任天堂に入社。キャラクターデザインからゲーム制作まで 首を突っ込むうちに1980年彼の企画でゲームがつくられることになった。 1981年6月に発売され、大ヒットとなったドンキーコングである。 その後はゲームデザイナーとしての本領を遺憾なく発揮し、1983年マリオブラザース、 1986年ゼルダの伝説、1992年星のカービィなどのヒット作を出し、 (注1)そのほとんどがシリーズ化されている。98年11月には64版のゼルダの伝説がでる予定である。

注:1999/01/27

「ゼルダの伝説、時のオカリナ」は予定通り発売され大好評だ。宮本氏はこのプロデュースで第13回マルチメディアグランプリの会長賞を受賞している。

以下、多摩豊著の「テレビゲームの神々」に、 彼のゲーム制作の基本にふれる部分が記述されているので少々長くなるが引用したい。

「チャンスは不意にやってきた」「彼にとって初めてコンセプト部分から作り始められるゲームの仕事だった。コンセプトを形にすることを自分の目標にしていた彼は是非ともこの仕事を成功させようと意気込んだ」「彼はここで自分のスタイルで仕事をやり通すことを決心し、」「ほかの一切の雑事から離れて仕事だけに専念できる体制を整えた」「彼は机を整理し、大きな紙を壁に貼った。そして思いついたことを次から次へと小さなメモに書き込むとそれをその大きな紙へ貼り、順番に並べていった」「そうしていくうちに、漠然とした考えの山から整理されたコンセプトが導き出されていった」
「テレビゲームの神々」多摩豊著より

なぜもう一度そのゲームをやる気になるのか?

「大きな紙の上でテーマとなっていったのは「なぜもう一度そのゲームをやる気になるのか?」ということだった。彼はさまざまなゲームを自分で試してみておもしろいと思う理由は何かという問いに対して数多くの答えを考えた」「彼は、自分の経験や他人がプレイする様子を思い浮かべながら考え続け、一つの結論に達した。何をするべきかをよくわかっており、かつ、なぜ失敗したかがよくわかっていること。これがプレイヤーが同じゲームを何度も繰り返す理由だ。彼はそう考えた。そしてこの「何をするべきかがわかっており、なぜ失敗したかもよくわかっている仕掛け」をゲームの中に持ち込むことを決めたのである」
「テレビゲームの神々」多摩豊著より

限界を知った上でのデザイン

「テレビゲームには限界があった。グラフィックに使える色の数、キャラクターを描くドットの数、そして、コンピュータのスピード。つねにこれらのハードの限界がつきまとった。いくつかのゲームをつくるうち彼はこの限界を何度も思い知らされることになった。アイデアレベルでどんなにすばらしいものでも、実現できなければまったく意味はない」「かれは限界を知った上でのデザインの重要性を身にしみて感じた」「彼が学んだもう一つの大事なポイントは、いかにしてアイデアをプログラムにするかということだった」「プログラムは最終的には画面上に絵として表現される。ゲームをデザインするときはその絵としての効果を十分に理解している必要があった。つまりあるアイデアをゲームに活かすためには、それを画面にどういった形で表現するか、どのような動きであらわすかをまず絵として表現し、その上でプログラムできる形、すなわち数式に置き換えなければならないのである。アイデアがあること。それを描けること。そして、機械やプログラムに何できて何ができないかを知っていること。いいゲームをつくるには、これだけのことがわかっていなけらばだめだ」
「テレビゲームの神々」多摩豊著より
参考文献および関連書籍の紹介
「テレビゲームの神々」 多摩豊 光栄 1997年2月  1500円
副題 RPGを創った男たちの理想と夢
宮本茂の大特集 秋号 ザ・ロクヨンドリーム96/11号 毎日コミニュケーションズ 1996年9月  480円
「スーパーヒットゲーム学」 飯野賢治 扶桑社 1998年6月  1400円
ゲームの天才 じゅげむMOOK リクルート 1998年4月  933円
移行前のコメント
2004/10/28
星のカービィはティンクルポポという別タイトルで発売される予定でした。
それを宮本さんが作り込み不足を理由にいったん発売中止させたようですのでその関係上、宮本さんが関わっていると認識が広まったのかもしれませんね。
筆者より: すみません。フォローしていただきまして。
2004/08/03
僕のアルバイト先の常連さんである、宮本さん。ぜひ今度サインください!!!!
2003/11/02
マリオは世界中で数百万本売れており、マリオシリーズは世界で一億本以上売れているはずです.スーパーマリオブラザーズ(FC)だけでも,世界で4000万本の売上を記録しています.
2003/10/15
世界中で期待されている宮本ゲームがピクミン以来ないのが寂しいです。
2003/9/24
ポール・マッカートニーの一件はむしろゲーマーより音楽好きには有名な話ですね。
ちなみにこの件は1991年頃の筈です
2003/09/08
宮本さんのようになりたい。てゆうか、越したい!燃えろ
2003/07/22
宮本氏の入社理由として、当時花札屋なのに、玩具など作っており、自分のやりたい事をすぐにやらせてくれると思ったからだそうです。
2002/11/19
星のカービィのゲームデザイナーはHAL研究所(http://www.hallab.co.jp)の桜井政博氏ですよ。そりゃあ、いくらか宮本氏は助言されたかもしれませんが・・・。
良ければ代わりに「スターフォックス(1993年)」や「ピクミン(2001年)」なんか如何でしょう。
筆者より: ご指摘ありがとうございます。本文から削除しました。桜井氏にはたいへん失礼しました。
2001/10/26
宮本さん、がんばってください。

 

 

コメントの投稿と一覧
2007-11-03
NHKの何かの本(電子立国とか言う本)で見たのですが、
ファミコンに表示できる「色とその数」を選んだのも宮本氏だったはずです。
「ゲームを作る上で最低限このくらいの色数は必要。」とか言ったとか何とか

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