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Nishikado Tomohiro
1944 -
熱中ゲーム:スペースインベーダーの作者
今から20年以上前、どこの喫茶店にも「スペースインベーダー」というゲーム機がならんでいる時代があった。どこの喫茶店でも、である。そこでいっぱしのサラリーマンがコーヒーを注文し、ピコピコとスペースインベーダーに熱中していたのである。みな熱病に冒されたようにやっていた(今だから言えるが、実は筆者も取引先への行き帰りにはまってしまっていた)。あのような社会現象とでも言うべきブームを引き起こしたゲームは、今のポケモンも及ばずスペースインベーダーのみである。 なぜみんながあんなに熱中していたのか は今でもわからない。ゲームのおもしろさはむろんながら、それ以外の要素があったと思うのである。ともかく、そのスペースインベーダーを作ったのが西角友宏氏である。
西角友宏氏は1944年日本国の大阪府で生まれた。学歴は未確認。1969年に太東貿易に入社した。太東貿易は元々輸入業者としてスタートしたが、ジュークボックスなどのレンタルから発展してゲーム機器なども手がけるようになり、総合アミューズメント企業に脱皮していった。西角氏が入社した2年後の1972年に「タイトー」と社名変更している。西角氏は学生時代に電子工学を学んだのだろうか、回路設計が好きだったそうでゲームの世界に入った。当時のゲーム制作は純然たるハードウエアの世界だったのだ。
西角氏はインベーダーを作る前、アーケード用の「スピードレース」というカーレースマシンを手がけた。本人はこちらの方が気に入っているようで、1974年に発表されたこのゲームはカーレーシングマシンのさきがけとなった。
1977年アタリ社から発表された「ブロッケード」を、西角氏はアメリカに行ったとき見て感銘をうけたそうだ。その頃からゲームにマイクロプロセッサが使われるようになっていた。世界初のマイクロプロセッサ4004がインテルから発売されたのが1971年のことだ。それからわずか数年でゲームの世界にもマイクロプロセッサが普及するようになっていた。それ以前は、ゲームロジックをハードウエア回路に組み込んでいた時代だったが、ソフトウエアでプログラミングできるようになったのだ。西角氏はそのアメリカ市場からエッセンスをくみ取ったのだろう。「スペースインベーダー」は日本では 初めてのマイクロプロセッサ搭載のゲーム となった。タイトーは1978年、西角氏の手になるこのゲームを発表した。日本で大ヒットしたのはすでに述べたが、実はスペースインベーダーはアメリカにも輸出され一大ブームを巻き起こしたらしい。日米両方の人々の琴線にふれたことになるこの事実も不思議と言うほかない。
スペースインベーダーがなぜアーケードからはみ出て喫茶店というちまたに流出したのかはよくわからない。ただ、そこがインベーダーゲーム大流行のきっかけだったことは間違いない。ちまたでは、たちまち腕に覚えのあるマニアが出現し、彼らの間では「名古屋撃ち」 とか「レインボー」などとよばれた裏技が伝承されたりしたらしい。インベーダーの弾をよけながら、敵を打ち落とすスリルと、ここが腕の見せ所という箇所で確実に腕前を見せつけられる達成感が人々を熱くさせたのだろう。
西角氏はいま有限会社ドリームスの代表として「手品」をモチーフにした子供向けのゲームを考えているとのこと。ゲームボーイ向けソフトなのだろうか。むかし奇術部に属していたこともあるそうで、西角氏には今度はじっくり楽しめるロングセラーを期待したい。
| 「ゲームの大学」 | 平林久和、赤尾晃一 | メディアファクトリー | 1996年3月 | 2800円 |
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| スペシャル対談 | ゲーム批評1999年9月号 西角友宏 VS 遠藤雅伸 | マクロデザイン出版局 | 1999年9月 | 780円 |
| 21世紀への遺言 世紀末異色対談 | 「WIRED JAPAN Vol4.08」98年8月号 | 1998年8月 | 0円 | |
| 西角友宏x飯野賢治 | ||||
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