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ノーラン・ブッシュネル

Nolan Bushnell

1943 -

テレビゲームを普及させたアタリ社の創設者

1998/08/01 掲載

アタリ・ショック

日本では「アタリ・ショック」という言葉がかなり流通しているが、何を隠そう、 そのアタリ社を設立したのが我がノーラン・ブッシュネル氏である。 アタリとはおかしな英語だと思ったら、これは囲碁の「当たり」に由来していて、 ゲームずきのブッシュネルらしい命名となっている。 後にアップルを創設するスティーブ・ジョブスも一時期アタリ社の社員をしていたが、ブッシュネルは早々と1976年ハリウッドの映画会社ワーナー・コミュニケーションズにアタリ社を売却して億万長者となった。それから7年後の1983年に俗にアタリ・ショックと呼ばれるデレビゲーム市場の急激な崩壊が起こった。これはむろんブッシュネルとは関係なく、ワーナーのテレビゲームに対する無知に由来するところが大きいようだ。

栄光のユタ大学

ブッシュネルは1943年米国ユタ州のグレート・ソルトレークで生まれている。 10歳でアマチュア無線の免許を取り、彼の子供部屋は実験器具で溢れかえっていた。 1961年ユタ州立大学に入学,その後ユタ大学に移った。ユタ大学ではデビット・エバンスと アイヴァン・サザランドが教えるコンピュータグラフィックスの講義があり,ブッシュネルはコンピュータにのめりこんだらしい。ユタ大学はこの時期サザランドなどをしたって、多くの優秀な人材が集まってきて、CGのメッカとなっていた。

アタリ文化

1968年ユタ大学を卒業した彼はディズニーランドに就職したかったらしいが, だめでアンペック社に入社。大学時代からのテレビゲームへの思いから,自分で事業を起こし ,オリジナルソフトを販売する事にした。1970年アタリ社設立し、 1972年にテレビゲーム「ポン」を出荷,すごい勢いで売れた。 彼の自由人としての考えは会社運営にも現れ、アタリ文化とよばれた。出勤は自由で、 服装も自由。会社にお風呂まで作ったといわれている。 いまのソフトウエア制作会社のスタイルの元になっている。

参考文献および関連書籍の紹介
「コンピュータの英雄たち」 ロバート・スレイター 朝日新聞社 1992年7月  2300円
コンピュータ関連の人物紹介としては古典的な本で、ふつうは取り上げないような基礎的な仕事をした人コンラッド・ツーゼやジェイ・フォレスターなどていねいにとりあげているので非常に参考になる。
「ゲームの大学」 平林久和、赤尾晃一 メディアファクトリー 1996年3月  2800円
「コンピュータウォリアーズ」 R・レヴェリング/M・カッツ/M・モスコウイッツ アスキー出版局 1986年1月  2500円
インターネットソースの紹介
寺町氏のゲーム博物館(別ウィンドウ)
http://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/entrance.html
アタリゲームのサイト(別ウィンドウ)
http://www.atarihq.com/
移行前のコメント
2004/12/28
http://homepage2.nifty.com/trlv/agf/tv/20031029.html
シビリゼーション「マリオにゼルダ−コンピュータゲームの歴史」
平成15年10月29日深夜放送分(再放送:数回あり)
■ 放送局:ディスカバリーチャンネル、放映時間:24:00−25:00
「ブッシュネルは、盗作のかどで訴えられました」「ポンは展示会で発売されたゲームを」「盗作したものだというのです」「そのゲームを考案したと、主張したのがラルフ・ベア」「彼は1966年に、出張中のニューヨークで」「着想を得ま した」「1966年9月1日のことでした」「私はオフィスに戻り、ゲームのアイデアをメモしました」「私が思いついたのは、スポーツゲームや追跡ゲーム」「レースゲームなどです」。
「早速試作品を製作」「1968年に、初のテレビゲーム機 を完成させ」「"ブラウンボックス"と命名します」「追跡ゲー ムは2つの点が、追いかけ合うものでした」「次にピンポンゲームが、完成します」「ポンが発表される、4年前のこと でした」「マグナボックス社はベアと契約し」「ブラウンボックスの改良版を、生産します」。
筆者より: 確認しました。情報ありがとうございます。
ラルフ・ベア氏については、別途項を改めて紹介させてもらいたいと思います。

 

 

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