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田尻智

Tajiri Satoshi

1965 -

モンスターゲーム:ポケモンの作者

2000/05/08 掲載

6年の歳月をかけたポケモン制作

1996年の2月にゲームボーイ向けに「ポケットモンスター赤」と「緑」が発売された。 赤と緑に分けるアイデアは任天堂の 宮本茂氏が出したらしいが、ゲームボーイどうしの通信を前提にした「交換」や「育成」、「コレクション」、「150以上のキャラクター」などの斬新なアイデアを盛り込んだ変種のRPGソフトだった。このポケモンは、長い時間をかけて子供たちの世界に浸透し、同時に大人たちの巨大なビジネスになっていった。ポケモンは田尻智氏のアイデアから生まれた。

スペースインベーダーでゲーム世界へ

田尻智氏は1965年日本国の東京で生まれた。田尻氏が中学に入った頃の1978年、 西角友宏氏 の手になる「スペースインベーダー」というシューティングゲームがタイトーから発表された。これは驚異的な大ヒットをし、多くの人にテレビゲームのおもしろさを体験させた。中学生の田尻氏もこれにはまり、 「1月のこずかいのほとんどをインベーダーとの戦争代に注ぎ込んでいた」 状況だったらしい。おかげで腕は相当なものになったが、1人だけ得点でどうしてもぬけない友人がいた。たまたま彼の家に遊びに行ったとき、彼が当時としてはめずらしい、パソコンを持っていてそれでインベーダーを遊んでいるのを知った。

「しかし、それ以来僕は、自分の家でインベーダーを、テレビゲームをする幻想を保ち続けることになった。そして、高校1年の夏休みが終わるころ、アルバイトで貯めた20万円をはたいて、念願のパソコンを手に入れた。プログラムのことを勉強して、さらに半年たったときには、自分の家のブラウン管の上に、スペースインベーダーを再現するのに成功した」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より

ホッチキスで綴じたゲーム同人誌

1983年高専時代に、田尻氏はテレビゲームのプレイテクニックを紹介した18ページの ミニコミ誌を作った。 名前は「ゲームフリーク」として、20部コピーし、ホッチキスで止めた簡単なものだった。

「だいたい、僕には、不満がある。いま、本屋には、たくさんの雑誌や単行本が溢れているけれど、僕が求めているテレビゲームの本は、1冊もない。僕は、すごく欲しいのにどうしてないんだろう、と思っていた。いつか、ゲーム雑誌ができて、本屋で買える日がくるといいな、とも思っていたけれど、とてもそれまで待つことはできなかったんだ。そして、僕とおなじくらいテレビゲームが好きな人間が、日本中にいっぱいいて、同じようなことを考えているんじゃないか。そう考えたから、僕は、自分でテレビゲームの雑誌を作ろうと、決心した。僕と同じような仲間に読んでほしいんだ」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より

ゼビウス1000万点への解法

ゲームフリークの第2号はちょうどそのころ久しぶりに熱中できるゲームを発見したので、 それについて書いた。 遠藤雅伸氏 の「ゼビウス」である。この号のうわさは口コミであっという間にゼビウス・フリークたちに広がり1万部を越えたという。田尻氏はゲームセンターではちょっとした有名人になったらしい。そんなときに、あるゲーマーからゼビウス星のうわさを聞いた。ある手順をふんでプレーするとクライマックスが現れるというのである。田尻氏はゲームセンターを軒並みあたって、このうわさを聞いて回った。しかしこれが逆にうわさを広める結果となってしまった。

宣教師から一挙に詐欺師に

「いい加減な噂を流して、健全なゲームキッズたちをたぶらかしているやつは、いったい誰なんだ」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より

ゼビウスの作者、遠藤氏は怒っていた。氏のもとに問い合わせが殺到し、ついに遠藤氏は 雑誌の紙面でうわさを否定するアピールをだし、ゲームセンターにも足を運んで制作者みずから訴えた。 作者自身が否定したのでほどなくうわさは消え、逆にうわさを広めた有名人田尻氏の権威は失墜し、 ゲーム仲間から締め出されてしまった。

「そして、僕は宣教師から一挙に詐欺師になった」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より

作者が会いに来た

何ヶ月か後、ゲームセンターで一人寂しくゲームをやっているとき、そこへゼビウスの作者 遠藤氏が訪ねてきた。

「新宿のあるゲームキッズから、キミの存在を知ったんだ。ここにくれば、会えると聞いてね」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より
「ゲームキッズの間で、キミの信頼は地に落ちているらしい。ちょっと助けてあげよう」
「パックランドでつかまえて」田尻智著より

遠藤氏はゲームセンターにいたゲーマーを呼んで、田尻氏と仲直りさせた。

「そして、全員が手を握り合った。その上から、ゼビウス生みの親である彼が、両手で強く握った。その光景は、まるで映画「メトロポリス」のエンディングシーンのようだった」
パックランドでつかまえて」田尻智著より

ゲーム作家へ

中学高校のこうした早熟でヘビーな経験をバックに、田尻氏は高専を卒業すると当然のように ゲーム業界に入った。1989年に株式会社ゲームフリークを設立し、同年ファミコンソフト 「クインティ」をナムコから発売した。この年は任天堂から 横井軍平氏 の企画で「ゲームボーイ」が発売された年で何か因縁めくが、ポケモンの構想もこの頃からのものらしい。途中他のソフト開発で中断されながらも、ポケモンのゲームシステムは、暖められ、ゆっくりと誕生の時を待つように仕上げられていった。

参考文献および関連書籍の紹介
「パックランドでつかまえて」 田尻智著 JICC出版局 1990年4月  900円
「ポケモンの秘密」 ポケモンビジネス研究会 小学館 1998年6月  533円
人間発見 石原恒和氏 日経新聞夕刊2000/1/11〜1/14 日本経済新聞社 2000年1月  0円
「ポケモン・ストーリー」 畠山けんじ、久保雅一 日経BP社 2000年12月  0円
「田尻智 ポケモンを創った男」 宮昌太郎/田尻智 太田出版 2004年3月  1400円

 

 

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