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Yokoi Gunpei
1941 - 1997
ゲームボーイの生みの親
96年8月15日、当時製造本部開発第一部長の職にあった横井氏は、長年勤めた任天堂を退職した。 その前日1996/8/14付けの日経新聞は任天堂の業績不振を予測する記事を掲載し、 同時に横井氏の退職をバーチャルボーイの不振の責任をとったものと報道した。 15日の東京証券取引所には任天堂の売りが殺到し、午後の場で任天堂株は取引停止となった。 この年の6月に64が発売されたばかりの時期だった。責任をとった退職ということについては、 本人も、任天堂も否定しているが、業界には横井氏の退職はかなり重く受け止められていた。 しかし、たぶん「50を過ぎたら好きなことだけをしたい」という言葉が本当だったと思う。 彼はすぐにゲーム関連の企画/研究拠点として(株)コトを起こした。(1996年9月設立。社名のコトは"古都"京都からとったとのこと)勇んで独立して活動を始めたが、わずか一年後、1997年10月4日北陸自動車道で同乗していた車が事故を起こし、車外に出たところを他の車にはねられ石川県小松市の病院に収容されたが他界。56歳だった。ほんとうに惜しい人を亡くしてしまったと思う。
横井氏は1941年日本国の京都府に生まれた。子供の頃からもの作りに凝り性で、鉄道模型Oゲージに熱中して雑誌の取材を受けたこともあるらしい。また、ピアノを習い特技となっている。高校大学では社交ダンスをはじめ、自動車、スキンダイビング、コーラスなどに手をそめ、女の子にももてまくったらしい。しかし、ものを作って人に自慢するのが一番好きだった。1965年同志社大学工学部電気工学科を卒業して、任天堂に入社。入社翌年に早くも「ウルトラハンド」を開発して大ヒットをとばしている。以下に彼の企画、プロデュースした作品を並べてみる。その数の多さもさることながら、一介の花札メーカーだった任天堂が世界的ゲーム・メーカーにのし上がっていく大きな 原動力として横井氏がいたことがよくわかるのである。
1966年 ウルトラハンド」子供用マジックハンドがのびて遠くのピンポン玉をつかむ。
1968年 「ウルトラマシン」子供でできるピッチングマシン。バット付き。
1969年 「ラブテスター」男女ふたりが端子を握りあうと、愛情度がメータで表示される。
1970年 「光線銃SP」センサーに太陽電池を使った光線銃システム
1970年 「エレコンガ」打楽器の音を出すリズムボックス
1971年 「光線電話LT」光通信を利用した電話
1972年 「レフティRX」左回りだけのラジコンカー
1973年 アーケードゲーム機「レーザークレー」光線銃を使ったクレー射撃
1974年 アーケードゲーム機「ワイルドガンマン」光線銃式西部劇
1974年 アーケードゲーム機「シューティングトレーナー」
1977年 アーケードゲーム機「バトルシャーク」実写映像を使ったシューティングゲーム
1979年 「チリトリー」ラジコン式掃除機
1980年 ゲーム&ウオッチ」携帯ゲーム機の先祖。このゲームが大ヒットしたおかげで、この時期苦しかった任天堂の台所がうるおい、ファミコンへとつながる
1980年 「テンビリオン」※テレビリオンとなっていたのを読者の指摘で訂正しました。ルービックキューブの円筒形版
1981年 アーケードゲーム機「ドンキーコング」
1982年 「コンピュータ麻雀」通信機能のついたマージャンゲーム
1983年 アーケードゲーム機「ドンキーコングjr」
1983年 「十字キー」おなじみファミコンの十字キー
1984年 アーケードゲーム機「マリオBROS」
1985年 「ブロックとジャイロ」ファミコンゲームだが本物のおもちゃロボットが動く
1989年 「ゲームボーイ」ゲーム&ウォッチのマルチソフト版として作られたが、通信機能が当初からあったため違う道をすすみ大ヒットした。
1995年 「バーチャルボーイ」ゲームの原点を見つめ直して生まれた
1996年 「ゲームボーイポケット」初代ゲームボーイをさらに小型化したもの
バーチャルボーイについては、任天堂退職後も横井氏自身は失敗したとは考えていないと言っていたが、対応ソフトは結局22本がでたのみだった。1995年発売時300万本の出荷をめざしていたバーチャルボーイは、結局1年足らずで市場から姿を消すことになってしまった。横井氏が新会社コトで医療機器への応用を企画していたように、バーチャルボーイのアイデア自身は今後も生き続けると思うが、商業的には失敗だった。今考えると、バーチャルボーイはゲームボーイの対極にあるゲーム機だったと思う。ゲームボーイの成功の理由は、今徐々に明らかになってきているが、それは子供たちがゲームをする理由と大きく重なっている。子供たちはゲームをすることでコミニュケーションをしているのである。一般に言われているようなゲームの仮想世界に一人で閉じこもってしまっている、わけではなかったのだ。タマゴッチ&ピカチュー効果に相乗りしたかたちで、SCEのポケットステーション、セガのビジュアルメモリー、バンダイのワンダースワンなど続々でる携帯ゲーム機はすべてコミニュケーション・ツールとしての性格をもって登場している。バーチャルボーイの決定的不利は「一人で閉じこもってやる」というマシンの性格だったのではないだろうか。
奇しくも横井氏の遺言となってしまったが、彼のインタビューをまとめた「横井軍平ゲーム館」(構成:牧野武文、アスペクト刊)から、ひとつだけ参考になる箇所を引用したい。横井氏を語るときに必ずでてくる言葉である。
「私はものを考えるときに、世界にひとつしかない、世界で初めてというものを作るのが、私の哲学です。それはどうしてかというと、競合がない、競争がないからです」
「ソニーのウォークマンをみて、私はすごいと思います。ウォークマンというのは、ソニーの技術力でしかできないものだったか。決してそうではない。他の会社だって、ウォークマンを見さえすれば簡単に作ることができたはずです。ところが、ウォークマンというアイディアはソニーしか出せなかった」
「売れる商品というのは、まじめに取り組んだらできるんです。最先端の技術を使ったら、かえって売れない商品ができてしまう。だから、「枯れた技術の水平思考」で気楽にものを考えれば、まだまだ売れる商品が作れるのです」
1999年3月4日発売予定の「ワンダースワン」00はバンダイとコトが共同開発した携帯ゲーム機で、言ってみればゲームボーイの亜流だが、ゲームボーイはもともと横井氏の作品だ。横井氏の遺志を継いで(株)コトがいまだ健在なのがうれしい。
| 「横井軍平ゲーム館」 | 横井軍平(構成:牧野武文) | アスペクト | 1997年6月 | 1400円 |
|---|---|---|---|---|
| ゲームの天才 | じゅげむMOOK | リクルート | 1998年4月 | 933円 |
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