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デニス・リッチーとケン・トンプソンのケース
ケン・トンプソンと デニス・リッチーは、ニュージャージー州マレーヒルにあったベル研究所に勤めていた。1968年当時ベル研究所では、 MULTICSと呼ばれた大規模なプロジェクトが収束に向かっていた。MULTICSは巨大過ぎて最終的には失敗とみなされたが、当時としては先進的なユーザーインターフェイスを提供していたOSらしく、彼らはこのシステムの環境を気に入っていた。これが無くなってしまうとこまる。ケン・トンプソンは自分で設計したファイルシステムのアイデアをすでに持っていたので、それをベースにもっと小規模で使いやすいシステムを作ろうとした。研究所の片隅に転がっていたDECのミニコンPDP−7に移植することにし、アセンブラーをつくり、デニスや他の友人たちとシェルの原型やユーティリティをいくつか作って、システムとして一人立ちできるようにした。
ケンたちのシステムはすでに2ユーザーをサポートしていた。ユニックスの名前はちょっと見てわかるようにマルチックスの反語として出来た。同じ仲間の ブライアン・カーニハン がMULTICS(MULTiplexed Information and Computing System) をもじってUNICS(Uniplexed Information and Computing System)と呼んだのが始まりらしい。その後すぐにUNIXと綴られるようになった。
UNIXとC言語は切っても切れない関係にある。ケン・トンプソンたちが最初に作ったシステムはすべてアセンブラーで書かれていた。彼らはMULTICSの経験から高級言語を使うことの有用性を知っていたので UNIXを高級言語で書き換えようとした。1963年英国ケンブリッジ大学とロンドン大学の共同で出来たAlgol-60を祖先にするCPL(Combined Programming Language)があり、それから派生したBCPL(Basic CPL)を元にしてケンとデニスはB言語を設計していた。このB言語をベースにして改良を加えながら自分たちの高級言語をデザインしていった。C言語と名付けた新しいコンピュータ言語は主にデニス・リッチーによって完成され、UNIXのカーネルとシェルをアッセンブラーからCに書き換えたのだった。このときUNIXはバージョン4になっていた。1973年のことである。
1974年ケンとデニスは自分たちのシステムに関する論文をCACM誌に発表した。これでUNIXの存在が広く知られるようになり、大学などから問い合わせが殺到した。 UNIX ver5は大学に教材として配布され、以後大学生たちはUNIXに親しむようになる。やがてUNIXはビジネスの世界でも使われるようになるが、それを大きく後押ししたのが、大学時代UNIXに親しんだビジネスマンたちだった。
UNIXはバグのサポートをしなかったため、最初からソースコードを一緒につけて配布していた。そのため、UNIXと一口にいっても色々なバージョンが世界中に出回ることになり、市場が混乱する局面もあった。UNIXを統一しようとする動きも続けられたがうまく行っていない。ただ、そういうディメリット以上に、ソースコードが手元にあることのメリットを享受した人たちの方が多かったのではないだろうか。
| 「Life with UNIX」 | Don Libs & Sandy Ressler | アスキー出版局 | 1990年7月 | 3000円 |
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