ちえの和webページ
Eckhard Pfeiffer
1941 -
コンパック再興の立て役者
ロッド・キャニオン等によって1982年に設立されたコンパックは IBMPCのクローンメーカーとして大成功を収めたが、1991年当時高級化志向がたたって、経営危機に直面したことがあった。その危機を救ったのが当時コンパック・ヨーロッパの責任者だったエッカード・ファイファーだった。
1992年の日経ビジネス11月2日号には「高級パソコン、コンパックの転身」と題した記事が載っている。
「高級パソコンで知られるコンパックが、戦略を大きく転換した。大量生産と徹底したコスト削減を背景に超低価格のパソコンを発売、一気にシェア拡大をねらっている」
「高級パソコンで知られるコンパックが、戦略を大きく転換した。大量生産と徹底したコスト削減を背景に超低価格のパソコンを発売、一気にシェア拡大をねらっている」
このようにファイファー氏が社長になるまでは、コンパックは高級イメージで知られていた。 そして1990年をピークに、売り上げの大崩壊を起こし、 1991年には売上高が半分になってしまった。まさに会社存亡の危機だった。 コンパックの出資者であるベンジャミン・ローゼンは創業者のロッド・キャニオンを退け、 以前から低価格での勝負を説いていたファイファーを社長にすえた。
彼は社長になると、すぐにコスト削減に動き、部品の調達先の見直しや、 海外の組立工場での製造工程の見直しを行い、 さらにパソコン量販店の開拓を行って、今までの3倍の販売店を確保した。 そして、低価格パソコン「プロリニア」を投入したのだった。 コンパックの業績はたちまち回復した。
エッカード・ファイファーは1941年ドイツのラウベンで生まれた。 1963年カウフ・ベフトフシューレ大学を卒業後アメリカに渡り、 テキサス州ダラスのサザン・メソジスト大学で経営学の修士号(MBA)を取得している。 1964年テキサス・インスツルメント(TI)に入社、おもにマーケティング部門で働き、 1983年TIの副社長から、引き抜かれてコンパックに入社した。 コンパックではヨーロッパ担当の副社長に就任し、ドイツ、イギリス、 フランスのコンパック現地法人の設立に携わった。 そして1989年コンパック・ヨーロッパが設立されると社長に就任した。 1991年コンパックの経営危機に際して、創業者のロッド・キャニオンに代わって、 コンパック・コンピュータの社長兼CEOになった。
ファイファー氏のもとで、コンパックは1994年第一四半期のパソコン出荷台数で 初めて業界第一位になった。それまで首位だったIBMは転落し 、第二四半期の統計では4位まで落ちている。 その後1998年の今日までコンパックの首位の座は揺らいでいないが、 最近のコンパックは対企業を重視するあまり、一般個人ユーザーを切り捨てる方向に走っており、 筆者としてはそこは不安材料である。「コンパックはどこに行くのか」参照。今年になって、パソコン直販のデルコンピュータの追い上げが激しく、早晩一位の座を奪われそうな情勢である。こうした状況を踏まえてか、11月12日の日経新聞によるとコンパックもいよいよパソコン直販の本格展開に乗り出すそうである。このことが、コンパックの、また良い方向への転換であればよいと念じている。
1999/04/20の日経新聞夕刊によると、エッカート・ファイファー氏が突然CEOを辞任したと発表があった。業績悪化の引責辞任という見方をされている。ファイファー氏はまだ引退するには早すぎる歳なのでこのあとまたどこかで活躍して欲しい。
| 「インタビュー」エッカード・ファイファー氏 | 日経コンピュータ1998.4.13号 | 日経BP社 | 1998年4月 | 0円 |
|---|---|---|---|---|
| 編集長インタビュー | 週刊ダイアモンド1997.2.22号 | ダイヤモンド社 | 1997年2月 | 0円 |
| インタビュー | 日経コンピュータ1995.8.7号 | 日経BP社 | 1995年8月 | 0円 |
| 編集長インタビュー | 日経パソコン1993.6.21号 | 日経BP社 | 1993年6月 | 0円 |
| 高級パソコン、コンパックの転身 | 日経ビジネス1992.11.2号 | 日経BP | 1992年11月 | 0円 |
感想、ご意見など自由にご記入ください