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Ken Olsen
1926 -
ミニコンの雄DECの設立者
周知のようにコンピュータ界の名門DECは1998年コンパックに買収された。 時代の波といってしまえばそれまでだが、DECのコンピュータが築いてきた特別のポジション を考えると感無量である。DECを買収したコンパックはパソコンメーカーである。 ケン・オルセンはパソコンの意義や可能性をガンとして認めなかったことで有名だが、 それはパソコン革命の意味するところが、 彼がDECを起こした時の問題意識とかなりだぶる部分があったからに違いない。
DECを飲み込んだコンパックは、2002年にヒューレット・パッカードに吸収されてしまった。いや、こんな展開は予想だにしていなかった。
DECの設立は以外というほど古く1957年だ。まだIBMと7人の小人と呼ばれていた時代で、 トランジスタがようやく世間に知られるようになってきた頃だった。 ゴードン・ベル のPDP-4が世に出るのが1962年で、メインフレームの世界でもユニバックの1100シリーズ、IBMのシステム360、バロースB5000シリーズなど、現代につながる名機が相前後して誕生してくる時期だった。つまり、大ざっぱにいえばDECはメインフレーム・メーカーとほぼ同時代を歩んできたといえるだろう。しかし、DECのPDPシリーズや後に出るVAXシリーズなどのミニコンはメインフレームとは一線を画したところにマーケットを切り開いてきた。
昔のメインフレームは何しろ巨大だった。1台数億〜数十億円の価格と空調設備完備の専用ルーム、 熟練した専門家チーム、それら諸々を含めた膨大な維持費が必要で、 なかなかコンピュータを使う立場になること自体が大変だった。 それにもまして使うのも大変だった。使わさせていただくためには、 処理に必要な指令とデータを含んだパンチカードを完璧な申請書と共に コンピュータ管理者に提出して順番待ちをするが、一カ所でもパンチミスがあれば、 冷たく突き返されやり直しとなる。こうした実体が問題意識としてオルセンの頭にあり、 もっと誰もが気安く使えるコンピュータがあってもいいはずだという思いが DECを創らせることになった。
ケン・オルセンは1926年米国コネティカット州のブリッジポストで生まれた。 第二次世界大戦では徴集され海軍に入り、エレクトロニクスを勉強する機会にめぐまれた。 戦争が終わると、ゼネラル・エレクトリック(GE)で1年ばかり高級FMラジオの製造をやったあと、 1947年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学した。 1950年卒業し、MITリンカーン研究所に籍を置く。 1952年MITから電気工学の修士号を授与されている。 1957年に投資会社のアメリカン・リサーチから7万ドルの資金を得てケン・オルセン をはじめとする3人の共同設立でDECがスタートした。 マサチューセッツ州メイナードの羊毛工場改造して、最初はエレクトロニクスの基盤 (モジュール製品)を作って細々とやっていた。
1960年念願の小型コンピュータPDP-1を出荷し、次々に改良を加えて1965年に 発表したPDP-8で初めて大ヒットをとばした。なにしろIBMのメインフレームの数十分の一の 価格で手に入る安さの上、堅牢でちょっとのことでは壊れないコンピュータだったので、 コンピュータの必要性が高い研究機関の現場や、今まで高額で手が出せなかった 一般企業にも浸透していった。
DECが確固たる地位を築いたのは、1977年発表されたPDPシリーズの後継機VAXの成功によるところが大きい。ちょうど70年代中頃はメインフレームメーカーが競って分散ネットワークということを言い出した時期で、ネットワーク時代の幕開けだった。ただ各社とも顧客囲い込みの発想が強く、自社独自のアーキテクチャに固執するばかりだった。このときDECは進んで各社のアーキテクチャに対応したので、どのメインフレームにも接続できるDECのミニコンはコンピュータ・ネットワークにおける事実上の標準の地位を獲得したのだった。
ケン・オルセンは1957年の創業から、1992年に退任するまで実に35年間にわたって DECを経営してきた。現在もベンチャー企業の社長をつとめて元気らしい。 未だにパソコンを認めていないらしいが、その頑固一徹は彼の成功の証でもある。
| 「世界を動かす巨人たち」 | ラーマ・D・ジェイガー/ラファエル・オーティズ 日暮雅通訳 | トッパン | 1998年3月 | 2200円 |
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