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西和彦

Nishi Kazuhiko

1956 -

日本パソコンの星:アスキーの創業者

1998/09/21 掲載

ケイという青年

日本のパソコンの歴史を語るときは誰でも、西和彦の名前をその筆頭に置かざるをえない。アメリカではビル・ゲイツスティーブ・ジョブスの名前が挙がるとき、日本では当然のごとく西和彦や 孫正義の名前があがるのである。彼らは若く、みな同世代に属する。ビル・ゲイツは彼の著書の中で、西氏とのエピソードを次のように紹介している。文中のケイは西和彦のニックネームである。

度肝を抜かれた

ビル・ゲイツは自分の著書の中で、西の思い出に触れ、とにかく強烈な印象を持ったそうだ。

「ケイは日本のビジネス文化とアメリカのビジネス文化の間を楽々と行き来した。ケイはエネルギッシュなタイプで、日本市場ではその人柄がわたしたちにとって有利に作用した。わたしたちが切れる若者集団だという日本人ビジネスマンたちの先入観を強める結果になったからだ。日本に行ってホテルのケイと同じ部屋に泊まると、数百万ドルの取引を決めるケイ宛の電話が一晩中ひっきりなしにかかってきて、これには度肝を抜かれた」
「ビル・ゲイツ未来を語る」より

すぐに国際電話を入れた

1978年大学の図書館でたまたまBASICの記事を読んだ西は、すぐにマイクロソフトに国際電話を入れたという話も有名だ。実際には時差を考えて深夜にかけたが、電話番号は分からなかったのでオペレータにマイクロソフト社につないでくれとたのんで、とりあえずアポイントをとりつけたらしい。半年後カリフォルニア州アナハイムで開かれた全米コンピュータ会議のコンベンション会場で西はビル・ゲイツと会い、意気投合してすぐに契約を結んだ。

「その内容は、マイクロソフトBASICの東アジアにおける独占販売権をケイの会社に与えるというもの。弁護士は介在せず、ケイとわたしのあいだだけの、血族同士で交わされるような契約だった」
「ビル・ゲイツ未来を語る」より

いったいこのような行動力はどうやったら身に付くのだろうか。

自由奔放に育った

西和彦は1956年日本国の兵庫県神戸市で生まれた。祖母は私立須磨学園の創設者で、西の両親もこの学校で教鞭をとった。学園の一角で育った西は祖母にことのほかかわいがられて、自由奔放に育った。1968年神戸市立板宿小学校卒業。六年生のとき、乾電池に興味を持った西は誰に指示されるでもなく百科辞典や中学、高校の教科書で乾電池の仕組みや使い方を調べ、自分の教科書にびっしり書き込んでいた。そして理科の授業のとき教師に代わって講義した。興味を持って自分から調べた話を、みんなに理解させようと訴えたときの高揚感は西の記憶に鮮やかに残った。1971年飛松中学校卒業1973年私立甲陽学院高校卒業。東京大学理科I類を受験したが失敗して2浪。1975年早稲田大学理工学部機械工学科に入学。下宿先では祖母の資金援助で二部屋を借り切り、山のように本を買い込んだ。丁度アメリカではアルティアが話題になっている頃で、アメリカから雑誌を取り寄せて読みあさった。西は本だけでは飽きたらず、秋葉原で様々な機械を買い込んで怪しげなアルバイトを始めだした。

ミスターK・ニシを知っているか?

1976年マイコン雑誌「I/O」を創刊。創刊号3000部は秋葉原で自分達で売り歩き完売した。1976年祖母に300万円借りて、ウエストコースト・コンピュータ・フェアにブースを確保し、雑誌I/Oやビデオのインターフェース・ボードなどを売った。1977年のコンピュートピアに安田寿明氏が書く「マイコン・ホビイストは何をめざす?」のレポートの中でそのときの西にふれた部分がある。

「会場内でこれはと思われる重要そうな展示物や、シンポジウム運営のキーパーソンに話しかけてみる。それらの人々は決まって「ミスターK・ニシを知っているか?」とくる。かの早稲田大学3年生の西和彦君のことである。もし知らないといえば、日本人のくせになんとなくうさんくさいヤツと、そんな風に思われかねない口ぶりである。しかたがない。こちらは、「ミスター・ニシはわがはいの良き教師である。わがはいは最もできの悪い生徒である。」と言うよりほかない。さすればその相手、さもありなんという表情でうなずき、それ以降は威勢良くしゃべってくれる。まったくもう「ミヤコの西北」にはかてないねえ」
「パソコン創世記」富田倫生からの孫引き

ホビーとの決別

在学中の1977年5月にアスキー出版を設立。 雑誌I/Oと袂を分かち、パソコンの専門誌「ASCII」としてスタートした。 その創刊号の冒頭で西は「ホビーとの決別」をうたいあげた。

「….ここにホビーではない新しい分野、「コンピュータの個人使用:パーソナル・コンピューティング」が出現したと言うことができます。 …….家庭や日常生活の中に入ったコンピュータは、テレビやビデオ、ラジオのような、いわゆるメディアと呼ばれる、コミュニケーションの一手段になるのではないでしょうか。テレビは一方的に画と音を送りつけます。ラジオは声と音を、コンピュータはそれを決して一方的に処理しません。誇張して言うなら、対話のできるメディアなのです。個人個人が自分の主体性をもってかかわり合うことができるものーーこれが次の世代の人々が最も求める解答であると思うのです」
「電脳のサムライたち」滝田誠一郎からの孫引き

西の語ったことは20年後の今になって現実味をおびつつある。

「絶対やるべきだ」と叫んだ

ビル・ゲイツとの契約後1978年10月マイクロソフトの極東代理店として アスキーマイクロソフトが設立された。西は1979年マイクロソフトの極東担当副社長、 1980年には取締役新技術担当副社長になった。 当時のマイクロソフト社の売り上げの半分は日本から、つまり西が稼ぎ出したものだった。 IBMPCのOS供給依頼に迷うビル・ゲイツを一喝して腹をくくらせたという話も有名だ。 当時マイクロソフト社はパソコンのOSは持っていなかった。 そしてIBMのいう納期は1年もないのである。これではさすがのビル・ゲイツも躊躇するだろう。 しかしこれはビッグチャンスそのものだった。西は立ち上がって「絶対やるべきだ」と叫んだそうだ。

復活を祈る

西氏はこのあと、ハードウエア事業を巡ってビル・ゲイツと対立し、副社長を解任された。再起をはかって自ら1987年アスキー社長となり、半導体事業など手広く多角化を図ったが、うまく波に乗れなかった。現在アスキーはCSK大川会長の支援を受けていて、西氏はエデュケーション・カンパニーの責任者(取締役)となっている。彼はまた復活を遂げるだろうか。どちらにしろ、西和彦が日本パソコンの星であることに変わりはない。

参考文献および関連書籍の紹介
「パソコン創世記」 富田倫生 TBSブルタニカ 1994年12月  2500円
「電脳のサムライたち」 滝田誠一郎 実業之日本社 1997年12月  1600円
「ビル・ゲイツ未来を語る」 ビル・ゲイツ著、西和彦訳 アスキー出版局 1995年12月  1800円
移行前のコメント
2006/11/25
フリー百科事典ウィキペディアの「西和彦」の項は現在非常に、そっけないものだがこれはご本人を名乗る方が以前の内容を削除したためである。
この「西和彦」を名乗った人が本人で有るかどうか、本人であるとしてなぜ自分の業績を削除したのか、本文とは別に「ノート」で議論が交わされている。
ノートにも「西和彦」を名乗った人が投稿していて、これは本人で有ろうと言うことになっった。
削除した理由は間違いが多かったかららしいです。例えば、マイクロソフトに電話をしてビルゲイツが出たというくだりについては、
電話には出なかったです
出たのはマリアム・ルーボウでした
と「本人」が言っているので
>電話口にたまたまビル・ゲイツがでたらしい。
の記述は削除された方が良いと思います。
参考:ウィキペディア ノート:西和彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/
筆者より: ご指摘ありがとうございます。
該当部分は削除しました。
2006/3/22
この国の、若者がどれほど西和彦氏を知っているのだろうと?私は、常つねにTV に出てくる若いIT起業の方達に疑問を感じています。残念な事に現在の西氏は目立った仕事をされていませんが、彼がこの国にもたらしたその本来の業績や功績をそしてだからこそ今の日本は、世界基準に遅れる事も無く多くのビジネスチャンスが生まれITなどともてはやされる現状があることを。最初の始まりのいっぽを彼が道順をつけたから皆は、後から何も知らずまるで自分達が何かを発見したかの用にあぴーるしているけど、老婆心ながら彼をその優れたビジネス・センスと先見の目に叶う人は今だに出てきていない、このような天性の頭脳を生かしきれない日本の金持ちに疑問を感じざるえない、非常に残念です、彼に大いなる活躍を期待している。昔貴方にある国の技術を認めてもらい何も無いところから始め現在は世界的に認知さて飛躍する起業があることを世間に知って欲しい、ダダの叔母さんより。有難うといいたい。
そして何時の日かお目にかかりお礼を言いたい。近いしょうらいに。
2003/10/08
うちの学校の校長でみんなうざいとかいってみたりでてきた瞬間笑ったりしてたけど植の記事をよんでみてちょっとびっくりしたw
2003/08/06
西自身がNHKの番組で言っていましたが、ビルゲイツがIBMからのDOS受注を躊躇したのは「他人が作ったものに自社のラベルを貼って売る」ような事をしたくないという理由だったようです。
筆者より: 情報ありがとうございます。
確認させてください。
2002/12/17
もう大分前ですが、彼の講演を聴いたときはとても感動しました。
サンデー毎日の2002年12月8号に近況が掲載されていますが、どうやら本格的に教育業に転進されるようです。アスキーがあれだけ素晴らしい人を集め、育てて行ったことからも彼の指導を受けて素晴らしい人材が活躍していくことを信じています。
2000/12/21
某大学で最近、西先生の講義を受け、なかなか良いことを言う中年太りしたオッチャンだな、と思っていたのだが、上記の記事を読むとこんなにすごい人だったとは知らなんだ。いやはや、得したね!

 

 

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