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椎名武雄

Shiina Takeo

1930 -

日本IBM中興の祖

1998/08/17 掲載

新しい生き方をした日本人

椎名武雄氏が日本IBMの社長に就任したとき、彼はまだ45歳だった。もう20年以上前の話である。筆者は日本の大会社でこんなに若く社長に抜擢された例をいまだに知らない。日本の会社では今でも順送りに出世の階段をのぼって、60歳を過ぎてから社長になるのが一般的になっている。そんな風土の中、彼は新しい生き方をした日本人として傑出した存在である。また、彼を抜擢しえたアメリカのシステムをこそ今遅ればせながら我々は必要としているのではないだろうか。

略歴

椎名武雄氏は後任を北城恪太郎氏に任せ、現在は会長として、各方面で活躍されているようである。

1999/12/01から北城氏の会長就任にともない、椎名氏は最高顧問に退いたようだ。

彼に関する私的な情報はあまりないので、ここでは過去に朝日新聞に連載された「ビジネス戦記」(1993/7)からいくつか引用したい。以下「…」に囲まれた部分はそこからの引用である。その前に、彼の略歴を簡単に追っておこう。

1930年日本の岐阜県関市に生まれ、12歳で東京にでる。 1951年慶応大学工学部を卒業後、アメリカに渡った。 1953年ペンシルバニア州のバックネル大学を卒業して、 ちょうどそのころ日本で工場をオープンした日本IBMに入社した。 その後は工場長(31歳)取締役(33歳)副社長(38歳)と、 とんとん拍子で1975年に社長に就任、 1993年に会長に退くまで18年間日本IBMを引っ張ってきた。
栄光ある不満
 彼のビジネス戦記の表題は「栄光ある不満」となっている。それは次の文章からなんとなくわかる気がする。

「会社は隆々としてきたが,私はよく会社に不満をぶつけていた。人事などもきちんとしておらず,営業と工場の考え方の食い違いもあり,細かい事でも納得しないと譲らなかった。面白くなければ岐阜に帰っておやじの会社に入れば良いと思っていたから,こわいものはない。実際,工場長に何度か辞表を出した。その都度「預かっておく」と言われ,しばらくすると考え直して,またがむしゃらに働くという繰り返しだった。周りの人間からは「アメリカ帰りの若造が生意気な」と見られていたろうが,別に気にもしなかった。 和を重んじ,仕事では物腰が柔らかい日本的企業人とは,私はほど遠かった。でも文句は言うが,やることはやるという考え方で,自信を持って仕事をしていた。今から思えば,きっとこれがIBM好みだったのだろう。」
「ビジネス戦記」 朝日新聞経済欄より

別に気にもしなかった。というくだりに彼の真骨頂がうかがえる。

「IBMも私もリーダーにふさわしい能力は年齢とは関係ないと思っている」
「ビジネス戦記」 朝日新聞経済欄より

日本の社会全体に、年齢と関係ないリーダーにふさわしい人の出現が期待されている。

参考文献および関連書籍の紹介
「ビジネス戦記」 朝日新聞 1993/7/24,7/31,8/7,8/21,8/28 朝日新聞社 1993年7月  0円

 

 

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