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Son Masayoshi
1957 -
日本パソコン業界のリーダー:ソフトバンクの創業者
メディア王のマードック氏と組んでテレビ朝日を乗っ取りかと騒がれたのも記憶に新しいが、 ソフトバンク周辺の話題は尽きない。 特にここ数年は、大規模な買収を続けて事業の多角化をはかっており、 そんなにやってだいじょうぶなのかという声も多い。 彼もまた新しいタイプの経営者で、日本的商慣習などどこ吹く風といったふうに、 銀行の逆選別を行ったり(コアバンク制)、資本市場からの資金調達、大規模なM&Aを行っている。
孫正義氏は1957年日本の佐賀県で生まれた。1974年に高校を中退して、16歳で単身アメリカに渡る。1980年カリフォルニア大学バークレー校を卒業(専攻は経済学)大学在学中に音声装置付きの多国語翻訳機の試作機を開発して、当時シャープ専務の佐々木正氏に1億円で買い取ってもらった。(佐々木氏にはその後ずっとソフトバンクの相談役をしてもらった)1981年日本に帰り、その1億円を資金に事業を計画し、「日本ソフトバンク」を設立した。1983年重い慢性肝炎にかかり、その後3年間入退院をくりかえして一番苦しい時期だったらしいが、読書に没頭するなど格好の充電の時期となった。その間のデータベース事業の失敗などで借金ができ、それを返すために「電話をする際に自動的に一番安い回線を選ぶ装置(NCCBOX)」を発明し20億円をかせいだ。(と簡単に言われても困るが、やはり相当な天才なのだろう)1990年に社名の日本を取り、「ソフトバンク」とし、世界を視野にいれた事業展開を始めた。1994年苦節13年で株式を店頭公開した。アメリカなら標準でも5〜6年、早ければ2〜3年で上場できるが、日本の株式市場は周知のごとく閉鎖的、利権的な体質でソフトバンクですら13年もかかってしまった。ビルゲイツからお祝いの手紙が届いた。
5年前まだCD−ROMが知られ始めた頃、CD−ROMによるソフトウエア販売を構想した。 初めは米国で実施、かなりの反響があったらしい。 一年後に日本で実施しようとしたが、流通業界の猛反発に合い頓挫してしまった。 今では、コンピュータ関連の雑誌を買えば、必ずと言っていいくらい付録のCD−ROMが 付いている。中には試用版のソフトがたくさん入っていて気に入ったら買えばいい。 また、インターネットの普及でネットからの流通も急激に増えている。 わずか5年前とはえらい様変わりだが、CD−ROMによるソフト流通の先鞭を付けたのは彼だ。 当時の日本経済新聞に以下のように紹介されているが、私は妙に印象に残っている。
「このプロジェクトは孫社長が8年前から構想を温め、一年前から具体的に取り組んできた」「同社が日本市場を飛び越してまず米国で新システムをスタートするのは「米国のソフト市場が日本よりはるかに大きいからだ」米国の市場規模は日本の十倍もある」
方法としては
1.CD−ROMにソフトをいれてパソコン販売にバンドルする。
2.パソコンを買ったユーザーはCD−ROMに入っているソフトを実際に試してみる。
3.気に入ったソフトがあればソフトバンクのサービスセンタに電話申込する。
4.代金を払うとソフトをつかえるカギ(パスワード)をもらえる。
周知のように、パスワードをもらうと使えるという方法はあまり馴染まず、ソフトの試用版と正式版に分かれる方向に進んだ。
最後に「孫正義」霧生廣著から、彼の信条を引用したい。
「私はどういう角度で見ても実態として道の真ん中を正々堂々と歩いて来た。これからも王道を歩みたい。決して変化球など使うつもりはない。親父がつけた名前は、正義。一生、この名前と付き合ってきていると、やっぱり、自分の人生のテーマとして曲がったことはできません」
これは彼一流の合理主義の表明ではないだろうか。
| 孫正義 | 霧生廣 | 日本能率協会マネジメントセンター | 1997年1月 | 1500円 |
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| 副題 ソフトバンク王国の挑戦 | ||||
| ビジネス戦記 | 朝日新聞1996/1/6〜2/3 | 朝日新聞社 | 1996年1月 | 0円 |
| 「これで勝つ」富山の薬売り式ソフト販売 | 日本経済新聞1993/9/1朝刊 | 日本経済新聞社 | 1993年9月 | 0円 |
| 「規制に挑む」5 孫正義の13年 | 日本経済新聞1996/2/19朝刊 | 日本経済新聞社 | 1996年2月 | 0円 |
| 「リーダーの研究」得をさせて得をする | 日本経済新聞1994/12/30朝刊 | 日本経済新聞社 | 1994年12月 | 0円 |
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