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孫正義

Son Masayoshi

1957 -

日本パソコン業界のリーダー:ソフトバンクの創業者

1998/09/07 掲載

新しいタイプの経営者

メディア王のマードック氏と組んでテレビ朝日を乗っ取りかと騒がれたのも記憶に新しいが、 ソフトバンク周辺の話題は尽きない。 特にここ数年は、大規模な買収を続けて事業の多角化をはかっており、 そんなにやってだいじょうぶなのかという声も多い。 彼もまた新しいタイプの経営者で、日本的商慣習などどこ吹く風といったふうに、 銀行の逆選別を行ったり(コアバンク制)、資本市場からの資金調達、大規模なM&Aを行っている。

ビルゲイツからお祝い

孫正義氏は1957年日本の佐賀県で生まれた。1974年に高校を中退して、16歳で単身アメリカに渡る。1980年カリフォルニア大学バークレー校を卒業(専攻は経済学)大学在学中に音声装置付きの多国語翻訳機の試作機を開発して、当時シャープ専務の佐々木正氏に1億円で買い取ってもらった。(佐々木氏にはその後ずっとソフトバンクの相談役をしてもらった)1981年日本に帰り、その1億円を資金に事業を計画し、「日本ソフトバンク」を設立した。1983年重い慢性肝炎にかかり、その後3年間入退院をくりかえして一番苦しい時期だったらしいが、読書に没頭するなど格好の充電の時期となった。その間のデータベース事業の失敗などで借金ができ、それを返すために「電話をする際に自動的に一番安い回線を選ぶ装置(NCCBOX)」を発明し20億円をかせいだ。(と簡単に言われても困るが、やはり相当な天才なのだろう)1990年に社名の日本を取り、「ソフトバンク」とし、世界を視野にいれた事業展開を始めた。1994年苦節13年で株式を店頭公開した。アメリカなら標準でも5〜6年、早ければ2〜3年で上場できるが、日本の株式市場は周知のごとく閉鎖的、利権的な体質でソフトバンクですら13年もかかってしまった。ビルゲイツからお祝いの手紙が届いた。

CD−ROMによるソフト流通の先鞭

5年前まだCD−ROMが知られ始めた頃、CD−ROMによるソフトウエア販売を構想した。 初めは米国で実施、かなりの反響があったらしい。 一年後に日本で実施しようとしたが、流通業界の猛反発に合い頓挫してしまった。 今では、コンピュータ関連の雑誌を買えば、必ずと言っていいくらい付録のCD−ROMが 付いている。中には試用版のソフトがたくさん入っていて気に入ったら買えばいい。 また、インターネットの普及でネットからの流通も急激に増えている。 わずか5年前とはえらい様変わりだが、CD−ROMによるソフト流通の先鞭を付けたのは彼だ。 当時の日本経済新聞に以下のように紹介されているが、私は妙に印象に残っている。

構想8年。富山の薬売り式ソフト販売

「このプロジェクトは孫社長が8年前から構想を温め、一年前から具体的に取り組んできた」「同社が日本市場を飛び越してまず米国で新システムをスタートするのは「米国のソフト市場が日本よりはるかに大きいからだ」米国の市場規模は日本の十倍もある」
日本経済新聞1993/9/1朝刊

方法としては
1.CD−ROMにソフトをいれてパソコン販売にバンドルする。
2.パソコンを買ったユーザーはCD−ROMに入っているソフトを実際に試してみる。
3.気に入ったソフトがあればソフトバンクのサービスセンタに電話申込する。
4.代金を払うとソフトをつかえるカギ(パスワード)をもらえる。
周知のように、パスワードをもらうと使えるという方法はあまり馴染まず、ソフトの試用版と正式版に分かれる方向に進んだ。

親父がつけた名前は、正義

最後に「孫正義」霧生廣著から、彼の信条を引用したい。

「私はどういう角度で見ても実態として道の真ん中を正々堂々と歩いて来た。これからも王道を歩みたい。決して変化球など使うつもりはない。親父がつけた名前は、正義。一生、この名前と付き合ってきていると、やっぱり、自分の人生のテーマとして曲がったことはできません」
「孫正義」霧生廣著より

これは彼一流の合理主義の表明ではないだろうか。

参考文献および関連書籍の紹介
孫正義 霧生廣 日本能率協会マネジメントセンター 1997年1月  1500円
副題 ソフトバンク王国の挑戦
ビジネス戦記 朝日新聞1996/1/6〜2/3 朝日新聞社 1996年1月  0円
「これで勝つ」富山の薬売り式ソフト販売 日本経済新聞1993/9/1朝刊 日本経済新聞社 1993年9月  0円
「規制に挑む」5 孫正義の13年 日本経済新聞1996/2/19朝刊 日本経済新聞社 1996年2月  0円
「リーダーの研究」得をさせて得をする 日本経済新聞1994/12/30朝刊 日本経済新聞社 1994年12月  0円
インターネットソースの紹介
ソフトバンク(別ウィンドウ)
http://www.softbank.co.jp/index.html
移行前のコメント
2005/03/31
孫さんの自然的理想を超える人間を目指します。生まれてひとつの人生自分の器と価値で、満開の桜を咲かせたい。
2005/02/27
孫正義先生、あなたの話を聞いて感動したのと悔しいので涙が出そうになりました。あなたのことを先生と呼ばせてください。
今でこそ見ず知らずの人間ですが、いずれはあなたと肩を並べ仕事ができる人間に必ずなります。待っていてください。
2004/10/02
孫正義氏がどこの人であろうと、挑戦者であることには変わりない。
日本はいつの時代も破滅を迎えないと気付かないらしい、周りから遅れていると。
競争社会の世の中では孫さんのようなチャレンジャーが最も必要な気がします。
それと、日本人は誰かにレッテルを貼らないと気がすまない人種なんですか?
2004/09/25
孫正義 その名前にあこがれて 会社を設立し、IT業界に入りました。
仕事の関係で、名刺交換していただきました。
「あなたのように生きたい。」
そう思って日々がんばっています。孫さんが坂本竜馬になりたかったみたいに、私は、孫正義になりたいです。
2004/06/10
孫様
孫という名字は韓国名ですか、中華名ですか。孫さんを紹介する文章、書籍は何時もこの問題を避けているみたいです。孫さんにはとても失礼と思っていますが。
2004/05/11
俺は孫正義みたいな世界的な大企業を創ってみたい。なんとしてでもやってみせる
2003/12/23
俺は孫正義の後継ぎになりたい
2003/07/20
孫さんは余りにスケールがでかくて、凡人には象の尻尾に触ってこれが象かといった程度しか分かりませんが、お父さんがつけた名前「正義」と付き合ってきて「人生のテーマとして曲がったことは出来ません」との言葉を信じ、必ずや人類の未来に貢献するだろうことを期待したい。
2003/01/26
孫さんとはずいぶん前に仕事場でお会いしたことがありますが、いつもにこやかで華やかとの印象が色濃く残っています。その後もさまざまなジャンルの経営者と会う機会にめぐまれましたが、<笑顔の底>が見えない方は他にはいませんでしたね・・・(^^)vあと「奥さんが美人らしい」との噂が「なぜか」一部では飛び交っておりました。
2002/12/25
急速なYBBの発展決して壊れて欲しくない。NTTが存在する限り日本のITは世界の孤児と思っていましたが、孫さんの出現はまさに革命でした。目を見張るばかりの鮮やかさでした。韓国が羨ましいと思っていた我われに「繋ぎっ放し3千円でお釣り」日本の通信業界は我も我もと恥ずかしげもなく追随を始めました。それじゃ今まで如何に儲けていたんだNTT!!我われは完全に馬鹿にされていたことを孫さんは教えてくれたのです。泣き言はよそう、ただ心配なことががあるんですよ。一気にここまで来るには相当の資金が使われていますね。 天才の孫さんのことですから決して途中で躓くようなへマはしないと思いますが日本の通信連合は牙を剥いて妨害に乗り出しています。 200万会員は目の前ですよ。苦しみに音を上げる孫さんでないことは知っていますが、日本のIT発展の旗手として孫さん我々の利益を擁護するために決して負けないで下さい。ご健康にくれぐれもご注意を 敬具
2001/09/07
わしより21歳したか。在日と聴くだけで誇りに思う。良くぞまー株式の妨害を受け 差別を物ともせずにこの中で、善くも頑張りました。在日の手本です。これからも世界の完全制覇のためまた、在日の為金字塔と為ってください。お願いします。同じ在日とし手、幸せにおもいます。

 

 

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