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Stan Shih
1944 -
台湾の星:エイサーグループ会長
スタン・シーは施振榮と書く。
5〜6年前までは日本でもエイサーブランドのパソコンが販売されていたと記憶しているが、最近はついぞ見かけなくなった。しかし、どっこいエイサーは今も健在でその後も大きな発展をし、現在は従業員2万7千人で37カ国に拠点を持つ国際企業になっている。1997年度の売り上げ高は65億ドルである。エイサーの名前があまり表にでないのは、 OEM供給や、部品出荷が多いからで、その意味では下請け的立場から脱却できないともいえるかもしれない。一時期コンパックをはじめとして有力メーカーのほとんどが台湾から部品供給を受けていた。今でもその構造自体は変わっていないというところだろうか。
1999年9月21日に発生した台湾中部大地震は、図らずもパソコンや半導体において台湾が担っている大きな役割を鮮明にした。
1999/9/23 日経新聞朝刊「ハイテク分業を直撃」「台湾の半導体生産長期停止へ」
1999/10/7 日経新聞朝刊「台湾ショック現実に」「部品確保、先行き不安」
DRAMのスポット価格は高騰し、パソコンの販売価格にも影響が出始めている。NECは一部を国内生産に切り替え、富士通,IBMは新型パソコンの出荷を延期した。IBMはつい3ヶ月前エイサーと80億ドルにのぼる製品調達の契約を済ませたばかりだった。
かなり遠い将来は、中国本土が世界の部品供給基地になる可能性はあるが、当面台湾がハイテクの生命線を握っているといえる。なにしろモニターやマザーボード、キーボード、マウスなどおもだったパソコン部品は軒並み50%を越える台湾依存度なのだ。
1999/11/08任天堂は台湾地震の影響で11/21に予定していたポケットモンスター金、銀の出荷が予定数量を確保できなくなった旨、全国の販売店に告知し、自社ホームページにお詫び掲載をだした。ゲームは隠れた半導体ユーザーで1日に数十万本も出荷するので大変な準備が必要なのだ。
1999/11/08任天堂は台湾地震の影響で11/21に予定していたポケットモンスター金、銀の出荷が予定数量を確保できなくなった旨、全国の販売店に告知し、自社ホームページにお詫び掲載をだした。ゲームは隠れた半導体ユーザーで1日に数十万本も出荷するので大変な準備が必要なのだ。
1999/11/10日経新聞朝刊によると、「パソコン台湾ショック和らぐ」「日本向け生産地震前の水準に」とあり、周辺機器については依然として供給不足だが、おおむね復旧したらしい。台湾メーカーはこれを教訓に生産拠点を分散するなどの対応をしているとのこと。
1999/11/30日経新聞朝刊によると、「ノートパソコン生産台湾が世界一」とある。かなり前から四半期ベースの統計では世界一だったが、1999年通年でも初めて日本を抜いて世界一になることが確実になった。
最近エイサーはXC(Xコンピュータ)に社運をかけている。従来のパソコンのイメージから脱却した使いやすい単機能化したコンピュータというコンセプトだ。筆者の予想によるとパソコンはこれから大きく変貌するはずだが、スタン・シーがこうした潮流を先取りしたかたちで戦略化しているのはさすがと思わせる。これは今まさに進行中のパソコンの家電化の流れと同じ指向性で、このXCのコンセプトでまとめた電子機器を何十種類と開発してゆこうということらしい。若干危惧するのは、方向性はいいのだが、いわゆるメーカー思考で出来た製品だとうまく行かないだろうということだ。どうなるか見守りたい。
スタン・シーは1944年台湾の鹿港で生まれた。1971年国立交通大学電子工程研究所を卒業した。電子工程(日本でいうと電子工学なのだろうか?)の修士号を取得している。卒業後、ユニオン・エレクトロニクス(環宇電子)に入社して電子計算機の開発に従事した。翌年電卓メーカーのクオリトロン(榮泰電子)の設立に協力しそのまま移ったが、石油ショックで倒産し、それを契機として1976年エイサーを5人で設立した。34坪のマンションの1室からのスタートであった。
一時期の台湾のイメージには不法コピー、海賊版の天国といったものがあったが(アメリカにいわせれば日本も同じようなものだったはずだが)エイサーも成功して海外に進出するようになると、著作権や特許がらみの問題にいくつもぶちあたった。最初は1982年に出荷した「マイクロ・プロフェッサーII」(たぶんマイクロ・プロセッサーをもじったもので、学習機と言っていた)がアップルIIに似ているとして告訴され、結局販売中止に追い込まれた。スタン・シーはこの事件のあと、著作権問題を引き起こさないようにクリーン・ルームを採用している。また、IBM互換PCに参入してからも、キーボードBIOSの著作権侵害で IBMが訴訟を起こし、結局900万ドルで和解したが、この金額は年間利益の2倍を越えるものだった。また、関連会社が出版したパソコン本にIBMのマニュアルをコピーして付録にしたことからも高い賠償金を支払っている。
こうした件についてスタン・シーは次のように言っている。
「エイサーはこれまでに知的財産権において多くの教訓を得て、高い授業料を支払ってきた。台湾で、この分野でエイサーの右に出るメーカーはないと言ってもいいだろう」
自慢とも嘆きともつかない発言だが、少なくともスタン・シーはこの高い授業料をむだにはしなかった。現在ではエイサーの持つ特許の数は台湾ではダントツで、アメリカの有力企業とはクロスライセンス契約を結ぶところまできている。
スタン・シーは彼の著書(台湾ではベストセラーになっているそうだ)で彼の企業理念について語っている。
「「中国人是一盤散沙」という言葉がある。中国人はまるでさらさらとした砂のように自分の意見を持たないという意味であるが、この言葉に同意できなかった。エイサーを設立してからも、とにかく慣習的思考をしない社員にあふれた企業にすることだけを考えてきた。エイサーは従業員全体の共同企業であることを念頭において、伝統的な中国の「家族的経営」にならず、いつも「人間とは本質には善である」という概念、つまり「性善説」に基づいた経営を行ってきた。これこそが、不断の成長を続け、さまざまな障害を乗り越えることができた理由だと信じている」
一種ヒューレット・パッカードの創業に通じるような開明的なスタンスがスタン・シーにはある。スタン・シーがアメリカ人だったら今の成功を得られたかどうかわからないが、台湾では彼は十分すぎるほど先進的な存在だったと言えるのではないか。
| 「エイサー電脳の挑戦」 | スタン・シー | 経済界 | 1998年4月 | 1500円 |
|---|---|---|---|---|
| 「コンセプトリーダーズ」 | ジョエル・クルツマン編 | プレンティスホール出版 | 1998年12月 | 1800円 |
| 副題 新時代の経営への視点 | ||||
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