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Suzuki Kei
1959 -
秋葉原の革命児:ソフマップの創業者
1994年の帝国データバンクの統計によると93年の秋葉原電気街の売り上げの45%はパソコンだったそうだ。今はどうだろう。秋葉原はここ10年で家電製品の街から完全にパソコンの街に変貌した。その先頭を切って走ってきたのが鈴木慶氏である。こうした秋葉原という街の持つダイナミズムは、今でも野心的な企業家を引きつけ続けている。
鈴木社長は、1995年に個人で起こしたソフト開発会社「ドリームテクノロジーズ」の経営に専念するため、2月28日付けでソフマップ社長の座を退任するらしい。後任は現会長の柿谷氏になるとのこと。詳細は不明。
鈴木慶氏は1959年日本国の埼玉県で生まれた。埼玉県立菖蒲高校を卒業後、旅行会社でスキーツアーの営業をしていたが、出世できるとは思えず、入社から2年半ほどで、会社を辞めて独立する決心を固めた。その当時貸しレコードがブームだったので、友人と折半で140万円を元手にレコード・レンタル店を始めて大盛況だったが、友人と仲違いし辞めた。その後東京に出て1982年ソフマップを設立して、パソコンソフトのレンタル事業を始めた。設立のいきさつを鈴木氏自身が語っているので引用したい。
「ソフトがどういう物かさえも知りません。店員が持ってきたのは、一辺が二十センチほどの大きなフロッピーディスクで、中には黒く薄い円盤が入っていました。私にはLPレコードのように見えました。「それを貸したらどうなりますか」。私はとっさにたずねました。必ず問題になると言われましたが、若かった私は、問題になるほどのことかと勝手に決め、パソコン用ソフトのレンタル会社を興す決心を固めました。こうして八十二年四月、ソフマップを設立しました」
「しかし、開店してもお客が全然来ません。一日の売り上げは千円程度で、たまに多い日でも一万円です。 .......一九八二年の暮れ、朝日新聞の取材を受けました。 .......新聞に記事が出た翌日からすべてが変わりました。私は夕方、外出先から電話で相棒に店の様子を聞くのが日課でしたが、彼は「大変だ。信じられないくらいの人が来ているので、電話に出られない」と切ってしまいます」
その後鈴木氏は、ソフトウエアの著作権が問題になるのを恐れ、 ソフトのレンタル事業から撤退し、パソコンの中古ハードウエアの販売、 ファミコン・ソフトの買い取り、販売に切り替えた。 序序に新品パソコンの販売に比重を移して急成長を遂げ、 今では全国に35店舗、去年1997年の年商は1226億円を誇る日本最大の パソコン販売会社に成長した。
少々古いネタになるが、1993年の日経パソコンのインタビュー記事から鈴木氏の経営方針が解る部分があるので引用したい。当時は年商500億円弱だった。
「当社全体では時代の追い風を感じています。1つは、安いというイメージをもたれていること。最近ではディスカウントが他の業種でも注目されていますから。それにリサイクルや環境問題。不況の節約ムードも有利に働いています。もう1つはアミューズメントをしっかりやっていること。 ゲームソフトは不況の影響がまったくありませんでした」
「今年初め(1993)に社員に体質強化とイメージアップの向上策として、ヨドバシカメラ、ソニー、ディズニーランドの3つを見習えと話しました。ヨドバシカメラは量販店として私たちとおなじ社員400名を抱えながら売上高は倍の1000億円です。顧客への売り方を私たちはもっと工夫する必要がある。企画面では斬新なアイデアを出しているソニーを見習いたい。そして全体的なイメージ作りはディズニーランドに学べということです。店舗には何らかのキャラクターを置いて統一感を打ち出す。将来は独自のキャラクターを作ってサンリオのような商売もしたいですね。パソコン販売はもっと消費者に近づく努力をする必要があります」
鈴木氏は「ビジネス戦記」冒頭に、
「人のやらないことをやる。人の考えないことを考える。私の商売に対する姿勢は、この言葉に尽きます」
と言い切っている。起業家の姿勢というのはこういうものだといった意気が感じられる。
| 「東京・秋葉原電気街」 | 日本経済新聞1994/1/14朝刊 | 日本経済新聞社 | 1994年1月 | 0円 |
|---|---|---|---|---|
| 「編集長インタビュー」 | 日経パソコン93/3/29号 | 日経BP社 | 1993年3月 | 0円 |
| 「ビジネス戦記」 | 朝日新聞1996/9/7,14,21 | 朝日新聞社 | 1996年7月 | 0円 |
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