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Thomas J. Watson Jr
1914 - 1993
コンピュータメーカーIBMの基礎を築いた息子
彼、トーマス・ワトソン・ジュニアは父トーマス・ワトソンの跡取り息子としてIBMを父から引き継いだ。彼が、よく言う二代目のぼんぼんでなかったことは確かだが、二代目の苦労を彼もめいっぱい経験したらしい。彼がいなければIBMは世界的ではあるが、ただの事務機メーカーにとどまったろう。IBMをコンピュータの世界に引き込んだのは彼である。当時としては大きな賭けだったに違いない。もしもコンピュータが今日の興隆を見なければ、彼はコンピュータという道楽にそまり、会社を衰退させたボンクラ二代目ということになっていただろう。しかし、IBMはコンピュータの世界で成功し、例を見ない発展を遂げたのである。
彼は、1914年米国オハイオ州デイトンで生まれた。 1937年ブラウン大学を卒業し,すぐ父の経営するIBMに入社した。 その頃はむろんコンピュータなど存在せず、IBMはかなり大きな事務機メーカーだった。 すぐに第二次大戦となり、大戦中はパイロットとして活躍したらしい。 1945年終戦とともにIBMに復職した。翌年1946年にはIBM副社長、 1952年にIBMの社長に就任した。1956年42歳のとき、父からCEOをまかされ 、実質的にIBMの経営者となった。2カ月後父が世を去る。 1971年に引退した後は公的な仕事を続け、軍縮委員会や駐ソ大使などを歴任した。
以下は邦訳として新潮社から出版されている「IBMの息子」と題された彼の自伝から 、いくつか引用したい。かなり正直に自分の気持ちを披露しているので、好感がもてる。
「私の人生は分かちがたく父と結びついていた。おそらくは,あの老紳士たる父への畏敬から,そしておそらくは単なるひねくれ根性から, 父に劣らぬ力量を世間に立証したいという願望に,私はとりつかれていた」
「もし第二次世界大戦がなかったら,私は永久に一人前の自立した男にはなれなかったかもしれない。パイロットとして航空隊に入隊した私は,兵士達を満載した飛行機に対して独力で責任をとる術を学んだ。軍隊に入る事によって,私は父の影響力から抜け出る事ができ,復員した私は生まれて初めて,自分にはIBMを経営する能力があるという確信にあふれていたのである」
「会社を離れたところで,私は父にはとうてい理解できなかったであろうような願望をを胸に秘めていた。デスクの最上段のひきだしにはマッターホルンの登頂とか,キャプテン・クックの航海の後をたどるといったあこがれの冒険の数々を記したリストが入っていた」
「私の任務はIBMをコンピュータ・ビジネスに誘導することだった」
「他人の前では父はおおっぴらに私をほめそやしたが,いざ二人きりになると父とわたしは壮絶な口論を繰り返し,喧嘩分かれ寸前までいったことも数え切れないくらいあった。争点はIBMが直面する全ての主要問題に及んだ。1950頃からの私の目標は可能な限り速やかにコンピュータの分野に突入することだった。この事だけは父との争点には決してならなかったが,膨大な先行投資を考えると父はしりごみした」
「私は,IBMの将来を守る賢明な方法はエレクトロニクスのエンジニアを大量に採用する事だという結論に達した。私は全ての開発計画を徹底的に検討し,IBMはいまだに暗黒時代にいると結論した。私はついに根本的な改革の必要性を父に進言した」
| 「IBMの息子 上」 | トーマス・ワトソン・ジュニア | 新潮社 | 1991年6月 | 2000円 |
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| 「IBMの息子 下」 | トーマス・ワトソン・ジュニア | 新潮社 | 1991年6月 | 2000円 |
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