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William H. Gates
1955 -
ソフトウェアをビジネスにしたソフトウエアの帝王
パソコンは多くのビジネスマンにとって必需品になって久しい。今は、家庭や学校でパソコンを使うことも珍しくなくなった。月に1回はパソコンにさわる人といったら、正確な情報は無いのだが、日本では1000万人を越すのではないだろうか。そして、マイクロソフトのウインドウズを使っている人といったら、やはり同程度の人が手を挙げるはずだ。いまや彼のウインドウズ無しには我々はパソコンを使えないのである。
ビル・ゲイツは1955年ワシントン州シアトルで生まれた。祖母はゲイツに出来るだけたくさん読書をするように勧め、何事にも1番になれとチャレンジ精神を起こさせ、大きな影響を与えた。また、母のメアリー・ゲイツは強靭な意志、鋭い知性とビジネスセンスを兼ね備えた人物で、シアトルの大企業の取締役会に名を連ね、ユナイテッドウエイの全国委員会で当時のIBMCEOジョン・オペルと知り合いだった。
1967年シアトルの上流階級向けの学校レイクサイド・スクールに入学。1968年学校が当時のハイスクールとしては初めてコンピュータ室を作り、ゼネラル・エレクトリック社にあったPDPー10を電話回線で使えるようにした。ゲイツはすぐにコンピュータに魅せられた。1970年ポール・アレンらとレイクサイド・プログラマーズ・グループを結成、ISI社から給与計算プログラム開発を受注。ポール・アレンとトラフォデータ社を設立し、独自に開発した交通量分析プログラムを地方自治体に売り込む。1972年ケント・エバンスとロジック・シミュレーション・カンパニーを結成、学校から時間割作成プログラムを受注。すぐ後にワシントン大学自治会から時間割作成プログラムを受注。1973年ハーバード大学入学。
1974年ポール・アレンとアルティア用のBASICを開発開始。1975年アルティア用のBASICが完成し、ポール・アレンとマイクロソフト社を設立。1977年ハーバード大学を中退。1980年IBM−PCのOSと言語の開発を引き受けることになった。
80年当時は ゲーリー・キルドールの作ったCP/MというOSがよく使われていた。当然IBMは彼に先に声をかけた。IBM−PC用のOSを提供しないかと。しかしキルドールは当時十分に成功していたため、IBMのその提案の重大性に気づかなかったのだろう。 休暇を返上してまでIBMに付き合おうとはしなかった。交渉は不調に終わり、BASICを販売していた小さなソフト会社にそのお鉢が回ってきたのだった。
IBMの極秘プロジェクトはBASIC言語のIBM−PCへの移植を依頼するために マイクロソフトに電話をかけた。ゲイツはこのときまだ24歳の若者だった。 彼はIBMからの突然の電話に驚いたがうまく対応するだけのビジネス感覚を持っていた。 IBMは明日にでも打ち合わせに来たいと言っていたが 、明日はアタリ社会長のレイ・カザールとの予定が入っていた。 アタリ社はマイクロソフトにとってビックユーザーだった。 しかしゲイツはカザールとの予定をキャンセルし、IBMを迎え入れた。この対応の差が大きく明暗を分けることとなった。その後何回かの打ち合わせのあと、ボカレイトンでIBMの幹部に提案書を説明する段になったとき、ビル・ゲイツはネクタイを忘れたらしい。普段はラフな格好で髪もぼさぼさ、あまり身だしなみに気を使うタイプではないが、このときばかりはそういうわけにはいかなかった。彼はノーネクタイで行くよりも30分遅刻する方を選んだ。ボカレイトンでの話し合いはうまくいった。ゲイツの一行が与えた印象は上々だったらしい。IBMと組んだことによって、BASICを売る小さなソフトウエア会社は全世界のPCのOSを供給する大会社に発展していく。今日ではマイクロソフト帝国と言ってよいくらい、その影響力はPC世界の隅々まで及んでいる。
以前日経新聞に連載された「ビル・ゲーツからの電子メール」というコラムで、こんなことを書いていた。
「ポールが見せた「ポピュラー・エレクトロニクス」誌の「すべての家庭にコンピュータが来る時代」という記事で、二人とも「ソフトウエアこそが未来をつくる」と決め込んだのだ」
彼にとっても、我々にとっても、この言葉はまだ終わっていない。続いているのである。
ふたりの力:マイクロソフトの創業もご覧ください
| ビル・ゲーツからの電子メール | 日本経済新聞1995/1/1 | 日本経済新聞社 | 1995年1月 | 0円 |
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| もうだいぶ前だが日経新聞のコラムにビル・ゲイツのエッセイのようなものが連載されていた。レオナルド・ダビンチのノートをオーっクションで買った話とか、ジャンクフードが好きだとか、気楽な話が多かったように思う。 | ||||
| 「ビル・ゲイツ」 | ジェームス・ウォレス/ジム・エリクソン著 | 翔泳社 | 1992年12月 | 2800円 |
| ゲイツのサクセス・ストーリーをまとめたもので、読みやすい。まだウインドウズも出ていない、だいぶむかしに書かれたものだが,その時代にしか書けない事もあるような気がする。時間が過ぎると、話す事柄もふるいにかけられて、どんどん抜け落ちてしまうからだ。 | ||||
| 「ブルーマジック」 | ジェイムズ・クポスキー他 | 経済界 | 1988年5月 | 2300円 |
| IBMニューマシン開発チームの奇跡 これは、IBMPCが出来上がるまでの経緯を書いたもので、これはこれでおもしろい。ゲイツのマイクロソフト社も当然登場する。相手側の視点から見ると同じ事でも違って見える。 |
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| 「帝王の誕生」 | ステファン・メイ/ポール・アンドレー著 | 三田出版会 | 1995年5月 | 2800円 |
| 600ページを越す大部の本で、ゲイツの伝記という側面と、時代背景やPCビジネスの推移などをからめた大作だ。写真も豊富。ビル・ゲイツをとことん調べてやろうという人にはまずお勧め。 | ||||
| 「ビッグ・ブルース」 | ポール・キャロル | アスキー出版局 | 1995年11月 | 2800円 |
| コンピュータ覇権をめぐるIBMvsマイクロソフト この本も、IBMがPC市場に参入し、マイクロソフトと出会い、OS/2の共同開発と決裂、などメインフレームの時代からPCの時代に移り変わっていくなかでのIBMの苦悩を追っていったもの。なかなか読みごたえがある本だ。 |
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| 「ビル・ゲイツの野望」 | 脇英世著 | 講談社 | 1994年11月 | 1500円 |
| 脇先生は、PCのことを語らせたら第一人者だが、やっと本腰を入れてビル・ゲイツのことを書いたのが本書だ。といってももう10年前になる。インターネットの夜明けといった時期に書かれた本書は、脇先生一流の視点があって興味深い。 | ||||
| 「ビル・ゲイツ未来を語る」 | ビル・ゲイツ著、西和彦訳 | アスキー出版局 | 1995年12月 | 1800円 |
| この本はビル・ゲイツのはじめての著作だ。もっともこうした本は、ふつうはゴーストライターがいるものだが、ゲイツの性格からしてそういうことはしていないと思う。翻訳者もかつての盟友だった西和彦とくれば読まないわけにはいかない。内容的には、クリントン政権の情報スーパーハイウエイ構想にあわせて、ゲイツの構想を述べたものだ。コンピュータ以外の分野におけるゲイツの考えが分かっておもしろい。 | ||||
| 「コンピュータ帝国の興亡」 | ロバート・X・クリンジー著 藪暁彦訳 | アスキー出版局 | 1993年3月 | 1300円 |
| これもPCビジネスがガレージから誕生し、またたくまにビッグビジネスになっていった過程で、多くのベンチャー魂にもえた若者たちが参入し、成功したさまを追ったものだ。この本では、ハードウエアビジネスだけでなく、表計算ソフトの開発のようなソフトウエアの物語も語られているのがおもしろい。 | ||||
| 「米コンピュータ企業の興亡」 | 嘉村健一著 | 電波新聞社 | 1993年11月 | 1700円 |
| IBMPCの出現から、コンパックなどのクローンメーカーの興隆と攻防の10年を書き記したもので、こういう視点で書くのは、もう今ではできないので、なかなかの貴重品ではある。 | ||||
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