ちえの和webページ
ビル・ゲイツとポール・アレンのケース
「帝王の誕生」に掲載されている写真の中にビル・ゲイツとポール・アレンのツーショットがある。他の写真では童顔でもビジネスマンとしての顔を見せるビル・ゲイツだが、このポール・アレンとの写真は信頼するやさしいお兄さんを見るようなまなざしを見せている。彼らが最初に巡り会ったのは高校時代で、シアトルの名門レイクサイド・ハイスクールにPDP-10のタイムシェアリングサービスでテレタイプ端末が設置されたときだ。ポール・アレンもビル・ゲイツもコンピュータに魅せられて、すぐに端末ルームの常連になった。ポール・アレンは3歳年上だった。
二人の事業化に積極的だったのはどうもポールの方らしい。ポールは1974年「ポピュラーエレクトロニクス」にアルティアというマイコンの組立キットが載っているを発見した。
「私はその雑誌を買って読み、ビルの寮まで走っていき、ビルに言ったんだ。「おい、見ろよ、BASICですごいことをやるチャンスだぜ」」
二人はインテルの8080チップのマニュアルを取り寄せ、ハーバード大学のPDP-10を使って8080用のBASICを開発することにした。ポール・アレンがPDP-10で8080をエミュレートする仕掛けをつくり、ビル・ゲイツが実際のBASICのコードを書いた。彼らは8週間の間寝食を忘れてその開発に没頭したらしい。むろん8週間ですべてができあがったわけではない。その後もバグつぶし、機能拡張で長い格闘が続くことになるが、とにかく8080上で動くBASICがここにあるということは言えたのである。彼らのBASICはアルティアと共にホビイストの間にあっと言う間に広まった。彼らにとってこの8週間は最もつらい時期だったはずだが、至福の期間でもあったと思う。それは次のビルの言葉が物語ってくれる。
「ゲイツは後に、自分が書いたコードの中でも、ハーバードのあの8週間で書き上げたBASICプログラムほど誇りに思うものはない、と言っている。「あれは僕が書いたプログラムの中でも、最高のプログラムだった」」
ビル・ゲイツ氏の近況は至る所に出てくるので省略する。ポール・アレン氏は持病のホジキン病から1983年にマイクロソフト社を退職し、現在はその巨額な資産(マイクロソフトの株が主)を元に投資家として活躍している。ちなみに昨年(1997年)のフォーブス長者番付では170億ドルで第3位にランクされている大富豪である。むろん第一位はビル・ゲイツ氏であることは言うまでもない。
| 「帝王の誕生」 | ステファン・メイン他 | 三田出版会 | 1995年5月 | 2800円 |
|---|---|---|---|---|
| 副題:マイクロソフト最高経営責任者の軌跡 | ||||
| 「ビル・ゲイツ」 | ジェームス・ウォレス/ジム・エリクソン | 翔泳社 | 1992年12月 | 2800円 |
| 副題:巨大ソフトウェア帝国を築いた男 | ||||
感想、ご意見など自由にご記入ください