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Marvin L. Minsky
1927 -
人工知能発展の功労者
「人工知能」(Artificial Intelligence)という言葉には何となく唐突な、人によっては不遜な印象を感じるかもしれない響きがある。この言葉が作られたのは遙か昔1956年のことだ。その頃は、コンピュータの創生期でコンピュータの可能性についての期待が一気に吹き出している時期だった。事実コンピュータに関する本質的な議論が一番よくされたのはこの時期だ。月日は流れ1980年代の終わり、あれから30年後のインタビューでマービン・ミンスキーは次のように答えている。
「「人工知能はどうなったんでしょうか?」とわたしはたずねた。 「開発研究が始まって30年たって、まだ人工知能はなんとかして成功しようとがんばっているのですね?」
「人工知能はつねに遠ざかっていく目標として設定されたのだ」とミンスキーは答えた。」
苦しい答えだった。コンピュータを人間の知能に近づけたいという無謀だが勇敢な試みは、30年の間に何回かの希望と何回かの挫折を味わい、それでも道ははるかに遠いことを、知れば知るほど思い知らされる結果となっている。(しかし、そんなことでメゲる人たちではなく、その昔大空へ飛びたいと何度も何度も手作りの羽を体につけ、丘から飛び降りたライト兄弟前史の飛行狂のごとく、挑戦を続けるのである。 いずれ、人工知能のライト兄弟が現れる日まで)
マービン・ミンスキーは1927年米国のニューヨーク市で生まれた。 ニューヨークで育だった彼は、ブロンクス科学高等学校を卒業してから、 第二次世界大戦で海軍に入隊。除隊後1946年ハーバード大学に入学して物理学を専攻したが、 あとで数学科に転じた。在学中に300本の真空管で自己組織的神経回路網を作ったりした。1951年プリンストン大学大学院に入学、1954年数学で博士号を取得している。このころ(1954年から57年にかけて)ミンスキーは非常に名誉あるハーバードのジュニア・フェローになっていた。事実上の人工知能の旗揚げである1956年のダートマス会議をミンスキーは、LISPの発明者 ジョン・マッカーシー、数学者クロード・シャノン、IBM研究センターのロチェスター等4人で発起人となって開催している。ハーバード大学時代リックライダーに師事したことが縁で1960年からMAC計画プロジェクトに シーモア・パパートと共に参加。1961年マサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍し、研究生活を始め、1963年から約10年間MITの人工知能研究所長を勤めた。このころコンピュータ・グラフィックスの草分けになる アイヴァン・サザランドを教えている。1970年人工知能に貢献した功績によりチューリング賞を受賞した。大のSF好きとしても知られている。
10年かけて書いた主著「心の社会」は本の題が示すように、心を社会ととらえている。 つまりそれ自身は心ではないが情報を喚起する要素としてのエージェントが、 ネットワーク的な結びつきをしながら、全体としてまとまりのある心を形成しているといったものだ。 この本に先立つ10年前1975年にミンスキーは「フレーム理論」を発表した。情報をプールしておく構造としてのフレームを10年間かけて育て、改良した結果が本書だった。
1965年「錬金術と人工知能」と題した論文がカリフォルニア大学の哲学教授の名で発行された。ヒューバート・ドレイファスの人工知能批判であった。彼は1972年に決定版とも言うべき「コンピュータには何ができないか」を出版し、人工知能科学者およびその周辺関係者の脳天気ぶりを徹底的に批判した。彼は考えるコンピュータが今にでもできそうなことをいう関係者に我慢ならなかったのだ。しかし、ドレイファスは哲学者でコンピュータに接したことも、ましてプログラムを書いたこともない門外漢だったので、批判の応酬はすれ違い、まともに答えようとしたのはシモア・パパートくらいだった。どちらかというとドレイファスの八つ当たり的な内容だが、それでもかなりな反響を呼んだのは、一般の人が受け取った人工知能というイメージと、実際になされた結果のあまりにも大きなギャップのためだった。 つまり10時間後にできるかもしれないローストビーフが1分後に食べられるかのように伝わっていたのだった。
しかし、錬金術も昔はエセ科学としてバカにされていたが、今では現代化学のルーツであると見なされているし、航空機の現在もライト兄弟以前の飛行狂の時代が無かったらあり得ないはずだ。今の人工知能は化学で言えば錬金術の時代、飛行機の歴史で言えばライト兄弟前史といったところだ。言うまでもなく、人間の知的欲求の最終ターゲットは人間自身だ。哲学や心理学、生物学などがそれぞれ違った方法で人間自身にアプローチしているように、コンピュータ科学ももう一つの方法でアプローチを始めたというのが分かり易いと思う。マービン・ミンスキーもドレイファスの批判は胸においたまま自分の研究を深めていった。 一歩一歩とはるかな道のりは彼が一番よく知っているのである。
| 「心の社会」 | マーヴィン・ミンスキー(安西祐一郎訳) | 産業図書 | 1990年7月 | 4300円 |
|---|---|---|---|---|
| 「パーセプトロン」 | M.ミンスキー/S.パパート | パーソナルメディア | 1993年12月 | 3800円 |
| 「コンピュータは考える」 | P.マコーダック | 培風館 | 1998年11月 | 2500円 |
| いわゆる人工知能の歴史を人物を中心にたどった本で、かなり詳しいレベルで当時の様子をしることができる。 | ||||
| 「メディアの考古学」 | 橋本典明 | 工業調査会 | 1993年2月 | 2580円 |
| 「コンピュータには何ができないか」 | ヒューバート L.ドレイファス | 産業図書 | 1992年4月 | 4300円 |
| 「知能はコンピュータで実現できるか?」 | S.R.Graubard編 | 森北出版 | 1992年12月 | 4000円 |
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