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クリス・ラングトン

Christopher Langton

1948 -

コンピュータの中の生命:人工生命(Alife)の創設者

2000/04/24 掲載

人工生命の啓示の瞬間

1971年のことだった。ベトナム戦争も終盤にさしかかっていた当時、クリス・ラングトンは良心的兵役拒否者(注1)としてマサチューセッツ総合病院で働いていた。かれの仕事はDECのPDP-9(注2)というミニコンピュータを使うことだった。たまたま深夜一人だけでの仕事中、待ち時間にイギリスの数学者ジョン・コンウェイが作った、自立的にアイテムが進化するゲームをうごかしていた。するとふっと首すじがゾッとした。誰もいないのに人の気配を感じたのだった。

「ぼくに人の気配を感じさせたものはゲーム・オヴ・ライフにちがいない、とそのとき実感したんだ。スクリーン上には<生きている>何かがあった。そしてその瞬間、どういったらいいか、そのときはうまく言葉にまとまらなかったけど、ハードウエアとプロセスの区別がぼくの頭のなかで完全に消えてなくなっていた。ある深いレベルでは、コンピュータのなかで起こることと自分自身の身体というハードウエアのなかで起きることとのあいだに、 じつはそれほどの違いはないんだということをーーーつまりそれはこのスクリーン上でいま起きているのとじつは同じプロセスなんだということをーーーまさに実感したわけだ」
「複雑系」より

遅咲きの才能

クリストファー・ラングトンは1948年にアメリカのマサチューセッツ州で生まれた。父は物理学者、母は作家という知的にはめぐまれた環境に育ったが、成績はあまりよくなく両親の筋金入りの反体制を引き継いでいた。新興のロックフォード大学に入学したが、学風があわず中退して、1968年から4年間マサチューセッツ総合病院で働いていた。その後、カリブ霊長類研究センターでサルの世話をしたり、ボストン大学の聴講生になったりさまよった。1975年アリゾナ大学に入学許可がでたが、ハング・グライダーの墜落事故で複雑骨折の重傷を負い、リハビリを続けて1年遅れで入学することができた。

情報の進化という考え

いささかとうのたった学生となったラングトンは、アリゾナ大学で人類学などを学びつつ、彼自身の目標である進化の仕組みの探求を密かに続けた。1978年に生命と文明の進化のアナロジーを書いた「信仰の進化」という論文を提出したが、彼のテーマはどの学問領域にも当てはまらないものだったので残念ながら理解されなかった。彼はわかってもらうため言葉で説明するだけでなく何か形になるものを作らなければだめだと思い、その頃出回っていたパソコン、アップルIIを買いアイデアを具体化する作業にとりかかった。昼間は働いているので、深夜自宅で作業した。この頃自分の学際的研究の意義をはっきり理解するようになり、「人工生命」(Artificial Life) という言葉も使うようになった。

アップルIIで動いた自己増殖プログラム

じつははるか昔ハンガリーの天才数学者 フォン・ノイマンが自己増殖するプログラムというアイデアを追っていた。ノイマンは同僚のスタニスラフ・ウーラムの提案したセル・オートマトン を使って理論を深化させ、29個の遷移状態をもつセル・オートマトンなら自己増殖できることを示した。ノイマンは研究途中でガンに倒れたが、のちに E・F・コッド (リレーショナル・データベースの発明者でもある)が8つでも可能なことを示した。ラングトンはそれを知ると、アップルIIにプログラミングした。動かすとモニターにはqの字型のループ図形が自分でどんどん子孫をつくりながら自己増殖したのだった。

カオスの縁

物理学者のスティーブン・ウルフラムはセル・オートマトンが非線形力学系の振る舞いと似ていて、その振る舞いには4つのパターンがあることを指摘した。4つ目のパターンは現在「カオスの縁」として知られている。ラングトンはミシガン大学に移ると、自分の自己増殖プログラムに「セルが次の世代で生きている確立を示す簡単なパラメータ」 を導入した。パラメータを0や1にすると、すぐに定常状態になってしまうが、真ん中の0.5にするとカオスが出現した。そして0と0.5の中間のほんのわずかな領域に豊かな世界「カオスの縁」があったのである。生命はまさにこのカオスの縁に誕生した、と考えられている。

「しかしこの生命観、一方では秩序過剰の状態に、また他方ではカオス過剰の状態に陥る危険につねにさらされつつ、カオスの縁で必死にバランスを保とうとしている、これこそが生命の本質だという見方は、ラングトンの頭に抗しがたいものとして焼き付いていた。そしてもしかしたら、生命が、自らのパラメータを少しでも確実に自分の支配下におくにはどうしたらよいかを学び、またそうすることによって、カオスの縁でバランスをたもっていられる可能性を少しでも高めようとするプロセス、これこそが進化なのかもしれない、と、ラングトンは考えた」
「複雑系」より

表の世界へ

1985年にラングトンはロス・アラモス研究所でひらかれた会議で初めて自分の考えを発表した。 かなり反響があり、1986年ロス・アラモス研究所の非線形研究センターに招かれ 公式に人工生命の研究ができることになった。すぐにラングトンは人工生命の認知の ために動き出し、1987年彼自身の主催で初めての人工生命ワークショップを開催した。 これが事実上の「人工生命」の旗揚げとなった。それ以後回をかさねて、 今年8月には第7回の人工知能国際会議 がオレゴン州ポートランドで開かれる予定になっている。ラングトンは現在はサンタフェ研究所 (注3)の研究専任教授として人工生命の研究と普及に没頭している。

未知の自然法則へ

人工生命、大きくは複雑系の研究はまだ端緒についたばかりで、学問的にもその領域が定まったとは言い難い状況だが、非線形という未踏の領域にはニュートン力学や量子力学、相対性理論に匹敵する未知の自然法則が隠されているのだろう。ひょっとすると、今この世界に生まれたばかりの赤ちゃんのうちの1人が、将来そのとびらを開くのだろうか。

(注1) 良心的兵役拒否者

ベトナム戦争当時アメリカはまだ徴兵制がひかれていて、多くの若者が意に反して戦場へ送られた。 反戦運動の盛り上がりもはげしく、戦場へ行くことを拒否する若者も続出した。 その方法の1つとして「良心的兵役拒否」があった。良心的兵役拒否は、 もともとクェーカー教徒のように宗教上の理由で徴兵を合法的に拒否できる仕組みとしてあったが、 ベトナム戦争当時は個人的思想がそうであれば認められたようだ。良心的兵役拒否者 は替わりに公的な労働奉仕を行った。ちなみにアメリカの徴兵制は1973年の ベトナム和平締結後しばらくして廃止された。

(注2) DECのPDP-9

DECは汎用機全盛の時代に、ミニコンピュータという市場を開拓して成功した。 PDPシリーズはそこそこの金額でコンピュータを使えるため重宝され、UNIXの普及とあいまって広く使われた。コンピュータの分野で活躍したほとんどの人は、若い頃PDPのお世話になっているはずである。

(注3) サンタフェ研究所

1984年にジョージ・コーワンをはじめとするロス・アラモス研究所のメンバーが学際的研究をする場所として設立した非営利団体(NPO)で、現在ではいわゆる「複雑系」研究のメッカとなっている。

参考文献および関連書籍の紹介
「複雑系」 M・ミッチェル・ワールドロップ著 田中三彦/遠山峻征訳 新潮社 1996年7月  3400円
「人工生命」 スティーブン・レビー著 服部桂訳 朝日新聞社 1996年4月  3000円
複雑系の衝撃 週刊ダイアモンド1996/11/02号 ダイアモンド社 1996年11月  0円
インターネットソースの紹介

 

 

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