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ゴードン・ムーア

Gordon E. Moore

1929 -

ムーアの法則で有名なインテルの共同設立者

1999/03/16 掲載

ムーアの法則

ムーア氏は1965年にある講演をした際、メモリーチップの成長を見通してグラフをかかげた。 それによると次の世代のチップは前の世代の2倍の容量をもって2年程度で出現するだろうという予測で、 これをそのまま次々に適用すると指数関数的に性能が向上することになることを表したものだ。 このときムーア氏が想定していたのはメモリーチップだが、 その後出現するマイクロプロセッサにもこの法則があてはまり、 後に「ムーアの法則」として半導体産業のガイドライン的な役割を果たすようになった。

化学者としてのスタート

ゴードン・ムーアは1929年米国カリフォルニア州サンフランシスコの片田舎で生まれた。 スポーツ好きだった彼は一方で化学の実験に興味をもって爆薬作りに熱中したりしていた。 1946年サンノゼ州立大学へ入学して希望通り化学を専攻した。 1948年カリフォルニア大学バークレー校に転籍、卒業するとカリフォルニア工科大学大学院に 進んだ。そこで赤外線分光学で化学博士号を取得している。 そして最初の就職先としてワシントンDCにあるジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所の研究員になった。 しかし、しばらくすると基礎研究よりもなにか実際に役に立つ研究がしたくなり、 転職を考えていた。ちょうどその折り1956年自宅に半導体で有名なショックレー博士から電話がかかってきた。 自分が新しく作る研究所に来ないかという誘いだった。 転職活動のためローレンス・リバモア研究所に出した履歴書を知って電話をくれたらしかった。 博士の説得が熱がはいっていたので、すぐに参加を決めた。

ロバート・ノイスとのであい

ショックレー半導体研究所には続々と若手の優秀な研究者が集まってきたが、 その中に ロバート・ノイス氏もいた。彼もショックレー博士からの電話で参加を決めたのだった。しばらく充実した日々がつづいたが、シリコン・トランジスタの商品化に向けた研究に没頭するなか、ショックレー博士との方針の違いがしだいに鮮明になり、ノイス、ムーアを含む8人は博士の元を去り、新たにフェアチャイルド・セミコンダクターを設立した。1957年のことだった。フェアチャイルド時代はIC(集積回路)の時代への移り変わりで、その時代を彼らが先導したのだった。1961年初めてICを商品化し1個1ドルという破格の価格で売りまくった。60年代はフェアチャイルド・セミコンダクターは世界最大の半導体メーカーになっていた。しかし、設立時の資金提供をしてくれた親会社と経営方針でうまくいかなくなり、1968年7月ロバート・ノイスとともにインテルを設立した。インテルという名称は(Integrated Electronics)からとったそうだ。

インテルの成功

インテルはムーア氏とノイス氏のこれまでの共通の経験をよく生かし 二人の合議制に近い形で運営された。ムーア氏はかれの自伝「インテルとともに」 のなかでこんなことをいっている。

「もちろんその間、経験を通していろいろなことを学んだ。その多くは失敗の経験を通してだった。ショックレー半導体研究所では基本的なマネジメントについて「やってはならないこと」を学んだ。フェアチャイルド社の経営を通して、官僚化がどのように進み企業をむしばんでいくかを知った。資金と言うのは必要になる前に手当をしなければ遅い、というような実務的なことも学んだ。それでもインテルを設立してからも山ほど失敗を繰り返した」
「インテルとともに」より
「ノイス氏と私の肩書きにもあまり意味はなかった。よく一緒に仕事をし、すべてのことを二人で議論して決めた。常に対等な立場で問題を議論できる同僚がいるということはとても快適だ」
「インテルとともに」より
「フェアチャイルド社時代のミスを防ぐため、20代や30代だった部下に担当領域で思い切って権限を与えた。彼らは経験には乏しかったが会社と一緒に成長していく潜在能力を備えていた」
「インテルとともに」より

ゴードン・ムーアについて、これを創ったとかこれをやり遂げたとか歴史的に 特筆すべきことを挙げようとすると難しい。しかし、彼は失敗を正しく評価し、 次につなげられる数少ない経営者だった。彼がいなかったらインテルは 今の興隆を見なかっただろうというのはうなずけるのである。 なにしろインテルはまれにみる成功をおさめたのだった。

インテルは傲慢か

ムーア氏はその自伝のなかで、わざわざ「インテルは傲慢か」という一節をもうけて 「顧客の目に映るインテルの姿が傲慢であるというのはやはり耐え難いことで、 今後のインテルの課題かもしれない」と言っている。 このような風評が表に出たのは、1994年11月に米国の数学者がペンティアムがまれに 計算ミスを起こすことを指摘、インターネット上にその情報が一気に広まったのが契機だった。 インテルはこの問題を6月には気付いていたがユーザーに告知しなかった。 発覚してからも「小さなことで問題はない」として簡単にやり過ごそうとしたものだったので、 非難が集中し、IBMがペンティアム搭載パソコンの出荷停止を決める などかなり大きな騒ぎとなった。 「傲慢さ」は自身の影響力の大きさを自身が認識していない場合におこる。 これはマイクロソフトについても同じように言えることだが、 社会的影響力の大きさを正しく認識するためにユーザーとの公式の接触を持つべきだと思う。 つまり、議会の公聴会のように公式の場でのオープンな接触が必要なのではないだろうか。 最近ではペンティアムIIIのシリアル番号問題(注1)やウインドウズ98のプライバシー 問題(注2)が取りざたされているが、こういったことは普通の企業なら問題にならないことで、 インテルやマイクロソフトだから問題になるのだ。 ムーア氏の言うようにインテルの大きな課題ではある。

注1:ペンティアムIIIはプロセッサ固有のシリアル番号が埋め込まれていて、電子商取引などで、本人確認用に利用できるようになっている問題で、プライバシー侵害にあたるのではと一部から批判がでている。

注2:ウインドウズ98はインストールされたパソコンのLANカードのIDをオンライン登録時にマイクロソフトに送信する。また、ワードやエクセルの文書ファイルにもこの固有のIDが知らない間に埋め込まれているという問題。

参考文献および関連書籍の紹介
「インテルとともに」 ゴードン・ムーア 玉置直司取材・構成 日本経済新聞社 1995年6月  1600円
副題 私の半導体人生
パソコンが計算違い 1994/11/29朝日新聞朝刊 朝日新聞社 1994年11月  0円
インターネットソースの紹介
インテルのムーア紹介ページ(別ウィンドウ)
http://www.intel.com/pressroom/kits/bios/moore.htm

 

 

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