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Shima Masatoshi
1943 -
世界初のマイクロプロセッサ4004の設計者
嶋正利は日本の誇るコンピュータ・アーキテクトとしてTRONの 坂村健と双璧をなす、と筆者はかってに思いこんでいるが嶋の名声はあまり流布していない。彼は初めての4ビットMPUから8ビット、16ビットのマイクロチップの設計を時代 の先頭で行った希有の存在である。
嶋正利は1943年日本国の静岡県静岡市に生まれた。小さい頃からたぶん好奇心旺盛だったのだろう、子供の頃火薬ロケット遊びに興じて 右手を大けがをしてしまっている。1967年東北大学理学部化学第二学科を卒業した。当時化学方面は就職難で、教授の紹介で不本意ながら化学とは別畑の日本計算機販売( のちにビジコンと社名変更)に入社することになった。そして電卓の開発をしている子会社に出向し、コンピュータの猛勉強をした。そこで168Pというビジネス用の電卓の開発を担当し、その経験が大きくものをいうことになる。
ちょうどそのころ電卓開発戦争が始まったころで、シャープやカシオが小型化のため新しいICを求めてアメリカ企業と提携を進めていた。ビジコンも1969年、前の年に ロバート・ノイス とゴードン・ムーア が設立したインテルと提携交渉をしていた。嶋は168Pの経験の上にさらに プログラムを入れ替えればどんな電卓にも変身するという汎用電卓のアイデアを固めて インテルに説明に出かけた。1969年の6月だった。その当時インテルはできたばかりのまだ小さな会社で、電卓を理解する技術者はいなかった。担当についたテッド・ホフという若い技術者に嶋は1ヶ月以上説明するがらちがあかなかったらしい。
それでもテッド・ホフはスタンフォード大学でドクターをとって研究者をやっていた 人間で優秀だった。ある日初めてのマイクロプロセッサのアイデアを持ってきた。
「まあそうです。そんな八月下旬のある日、テッド・ホフが興奮して部屋に入ってきました。 そして'My idea is…..'っていいながら、いつも胸に差している1ドル50セントの シャープペンでメモにスケッチを書き始めた。いい方法を思いついたっていうんです。4ビットの主演算ユニット、4ビットの汎用レジスタが16本、 それに嶋の話だとサブルーチンが最大三段必要だからプログラムカウンタ一段 を加えて四段のスタックレジスタを作るといいながら絵を描いて、これでどうだっていうんです。つまり、私の16桁とか20桁とか小数点以下なら1桁とかいっている N桁というマクロ命令を簡単化して、1桁でやったらどうかというんです。 1桁の表現には0〜9の数、小数点、プラス、マイナス、全部で13の情報があればすむから、4ビットであつかえる。4ビットのCPUで、N回計算させてN桁の計算を処理すればいい。細かい、マイクロな命令をプログラムで組み合わせて、私のいうマクロ命令が実現できるんだというんです」
しかし、テッド・ホフの簡単なメモから世界初めてのマイクロプロセッサの論理設計 を実際に行ったのは嶋自身だったようだ。この点では嶋の証言とインテル側の 証言は大きく食い違っている。インテルのゴードン・ムーアによると
「ホフ氏はビジコンの発注を知って、それまで頭の中で温めていた考えを具体化してみようと思いついた」
「ホフ氏は「1つのチップに複数の命令コードを組み込んだ集積回路がなぜできないのか」と考えた。MPUとはまさにこんな回路のことだ。ホフ氏は数ヶ月後のビジコン幹部の再訪問までに詳細な設計を終えた。全く初の試みだったが、話を聞いたビジコン側はホフ氏の提案を受け入れてくれた。ビジコンと製品を共同開発することで合意、後にインテル入りする嶋正利氏を派遣してくれた。世界初のMPU「4004」はこうして誕生した」
当時のインテルにはビジコンの要求をそのまま生産できる能力がなかったので、 何とか簡素化させたいという思いが根底にあった。ホフの発想もたぶんそこから出ている。再訪問した際の様子は嶋自身の著書から引用するが、ムーアの証言とはまったく違っている。設計は全然進んでいなかったらしい。
「最終的な仕様の打ち合わせと、彼らの仕事をチェックするのが今回の訪問の目的であった。いざホフと打ち合わせをする段階になって、彼とともに1人のLSI設計者が現れた。それがLSI回路設計者のファジンである。回路設計者がいるということで、かなり設計が進行中だと期待したが、ホフは私をファジンに紹介してから、「後は彼が担当するから」と言い残してさっさと部屋を出ていってしまった。 何か不吉な予感が頭を横切り、あっという間に希望が不安へと変わってしまった。 さっそくファジンと細部にわたる仕様の打ち合わせを始めようとしたが、これもまた期待と大きく違った。いよいよ不安が頭一杯にひろがった。「私は2日前に、フェアチャイルド社からインテル社にはいったばかりで何も知らない」と言う」
という状態だったらしい。ただ、ファジンも優秀で良く働いてくれたらしく後に嶋はファジンとともにザイログ社を起こしZ80を開発することになる。結局、嶋とファジンの二人が開発した4004は1971年4月に完成した。インテルはすぐにその将来性に気づき開発費の返却と引き替えにビジコン社から独占販売権を取り戻した。4004が世界初のマイクロプロセッサMCS−4 として発表されたのは1971年11月のことだった。
このインテルでの仕事はまだ20代の若者だった嶋に比類のない経験をさせてくれた。世界のトップクラスの半導体技術者との共同作業はかけがえのないものとして残った。しかし日本に帰れば電卓会社の一介の平社員になってしまう嶋は、1971年ビジコンを退社してリコーに入社した。ところが、すぐにインテルの社長ロバート・ノイスから直々の依頼があり、1972年引き抜かれてインテルに移籍したのだった。8080を開発するためである。インテルでは最初の4ビットMPU4004が完成した後、すぐに自社の技術者によって8ビット版の8008が開発されたが、パフォーマンスが悪く、命令セットの不備もあって、次のバージョンの開発が急がれていた。そこで、ファジンの要請でインテルのトップが嶋獲得に動いたというわけだった。嶋が参加し、ホフやファジンなど4004の制作関係者がもう一度集まった。8080は1973年に完成し、8ビットパソコン時代をCP/Mとともに築くことになる。
オイルショックで景気が悪くなると、一緒に仕事をしていたファジンやアンガーマンはインテルをスピンアウトしてベンチャーを始めた。嶋はファジンの誘いで1975年インテルを退社し彼らの会社ザイログに合流した。ここで嶋はZ80を開発する。その頃彼らが手がけた8080は飛ぶように売れており、Z80は8080とバイナリーレベルの互換を保ちながらより高速で動作し、命令セットも豊富に追加されて1976年完成した。このチップもよく売れ、8ビット時代の代表作となっている。
Z80の開発が終わると、すでに16ビット時代の準備が始まっていた。インテルでは8086をすでに開発中で、ザイログ社も16ビットMPUの設計に入った。 今度はアムダールで汎用機の設計をやっていたプトーがメインの設計をすることになり、嶋もソフトウエア工学やIBM360、PDP−11などなじみがなかった 分野をこの時期猛勉強したらしい。Z8000は1979年に8086に1年遅れて出荷された。
アメリカで4ビットから16ビットまでのマイクロチップの開発に従事した嶋は 家族のことも考え日本に帰ることにした。1979年帰国しインテル・ジャパン・デザインセンター を設立した。その後1986年VMテクノロジーを設立。1992年筑波大学から工学博士号を送られている。
嶋自身の著書のあとがき「創造的開発と時代を切り拓く技術」に彼の考えをみた。
「アーキテクチャとはアイデアであり、アイデアとは思想であり個性のほとばしりである。その個性のほとばしりが多くの創造的開発をもたらした。新しいアーキテクチャは、必ずと言っていいほど、新規の応用分野からの特異な要求を満たすべく生まれている。すなわち、「初めに応用ありき、応用がすべてである」 と言える」
「創造的開発の基本は現状に決して執着しないことである。今まで培った技術やノウハウや経験を捨てることは決して容易ではない。しかし、経験という過去と現在を分析し、解析し、昇華させ、エッセンスだけを残し、あとは思い切って捨てるのが成功への一歩である」
| 「「マイクロコンピュータの誕生」わが青春の4004」 | 嶋正利著 | 岩波書店 | 1987年8月 | 1900円 |
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| 副題にある「わが青春の4004」でわかるように、これは嶋正利の青春の書だ。アメリカでであった仕事仲間、友人との話をまじえながら、4004をまさに作っていくその過程が嶋の青春として語られている。 | ||||
| 「計算機屋かく戦えり」 | 遠藤諭著 | 岩波書店 | 1996年10月 | 2330円 |
| アスキーの編集長である著者が、渾身の力をこめて書いた日本人の活躍物語だ。コンピュータの世界で、ともすると歴史に埋もれて消えてしまいそうな同胞たちの仕事を掘り起こして記録した。そこにはふだん聞きなれない名前がでてくるが、終章に嶋の名前が見える。 | ||||
| 「インテルとともに-ゴードン・ムーア私の半導体人生」 | 玉置直司取材構成 | 日本経済新聞社 | 1995年6月 | 1600円 |
| 日経新聞の取材とインタビューで構成されたこの本は、インテルの創業者のひとりであるゴードン・ムーアとともにインテルの歩みを追ったものだ。とうぜん、4004の開発も出てくるが、とらえ方はだいぶ違っている。 | ||||
| マイクロプロセッサの過去、現在、未来 | 対談 嶋正利vs坂村健 | パーソナルメディア | 1995年8月 | 1240円 |
| TRONWARE vol34 日本の誇るアーキテクト両巨頭の対談だ。なかなか顔を合わせることがない2人の対談はかなり長いものになっている。 |
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| 「次世代マイクロプロセッサ」 | 嶋正利著 | 日本経済新聞社 | 1995年2月 | 1500円 |
| これは嶋の専門であるマイクロプロセッサについて、その誕生の経緯から、将来展望までを見て、その本質を解説しようとしたどちらかというと技術文書に該当する。 |
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