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ラリー・エリソン

Lawrence Joseph Ellison

1944 -

データベースの雄:オラクルの共同設立者(読者リクエスト)

2005/01/30 掲載

ビル・ゲイツの天敵:データベースをビジネスにした男

ラリー・エリソンとビル・ゲイツの口ゲンカは、アメリカのコンピュータ業界の人にとっては、ひと時楽しめる話題のようだ。なにしろ、ふたりのプロフィールは絵に描いたように対照的なのだ。シアトルの裕福な資産家に育ったビルと、私生児として生まれ、ユダヤ人ゲットーで育ったラリー。青白い秀才タイプのビルと、ガッシリと鍛えた肉体を持つラリー。よれよれのシャツにハンバーガーで済ますビルと、アルマーニのスーツと高級ブランドで着飾ったラリー。遅く結婚し、よき夫であるビルと、何度も浮名と浮気と離婚を繰り返すラリー。唯一の共通点はふたりとも大学を中退してビジネスの世界に入ったということだ(この点は意外とふたりの本質をついているかもしれない)。
 とにかく、ラリーはビルのことを大嫌いだといってはばからない。自分の思ったとおりに言うことができるアウトスピーカーなのだ。それがある種の爽快感をかもし出すのも、かれがオラクルという世界企業のリーダーであるからだ。ラリー・エリソンは、学問の世界にあったリレーショナル・データベースをビジネスにすることに成功した。

養父にクズ扱いされた少年時代

 ラリー・エリソンは1944年8月17日に米国ニューヨーク、マンハッタンのイーストサイドで生まれた。母はそのとき19歳、父親は近所の名も知れぬ少年だったらしい。いわゆる私生児として生まれたエリソンは、間もなくシカゴに住む叔母の元に養子としてあずけられた。エリソンという苗字は養父母のものだ。自分の両親が誰だかわからないというのは、かなりきついことだった。

「エリソンはかつて、成功することが親に捨てられたという問題を克服する一つの方法だと友人に打ちあけている。こうして若い頃から彼は、自分が有能な人間であることを証明しなければならなかった」
「カリスマ」(上)より

エリソンは、養父に役立たずと言われて育ったが、それでへたりこんだり、下を向いて歩くような少年ではなかった。かれの大言壮語や、時として見せる不良貴族のような振る舞いは、割引にしてもよい十分な理由があるのかもしれない。とにかく彼はいつもアグレッシブに何かに挑戦していたようだ。エリソンは1962年にシカゴのサウスショア高校を卒業し、イリノイ大学のシャンペーン・アーバナ校に入学した。このときはエリソンは医者になりたかったらしいが、1964年に2年で中退した。その後シカゴ大学に入ったが、ここも長続きしなかった。ただ、エリソンはシカゴ大学にあったIBM1401コンピュータを使ったプログラミングを初めて習った。これが意外と性に合っていたのか、1966年にカリフォルニアに出てプログラマの仕事をするようになった。エリソンはプログラマやIBMマシンの保守要員などの仕事で、いくつかの会社を転々とした。

日本との縁を作ったアムダール時代

1973年にエリソンは、たまたまアムダール社にプログラマの職を得た。アムダール社は、あのIBMシステム360を設計したジーン・アムダールがIBMコンパチブルマシンを販売するために興した会社だ。その頃、アムダールは日本の富士通に出資をあおいでいた。エリソンはそんな関係で、日本に何度か出張することがあったらしい。そのとき京都を旅行して異文化としての日本に惹かれた。それ以来、エリソンの日本趣味は相当なもので、彼の自宅の1つは、桂離宮を模して建築された日本様式で、日本庭園とともに壮大なものらしい。

アンペックス社でのパートナーとの出会い

その後、アムダール社は経営がうまく行かず、エリソンは人員整理の対象となってアムダールを解雇された。そしてすぐ近くにあったアンペックス社にプログラマとして雇ってもらった(余談だが、ここはテレビゲームポンで有名なノーラン・ブッシュネルも以前勤めたことのある会社だ)。アンペックス社は当時、CIAの資金提供でビデオテープを使ったデータ検索システムを開発していた。奇抜なアイデアだが、膨大なデータをどのように使いこなすかは当時から大きなテーマになっていたことがうかがえる。CIAはこのような先端技術には積極的に資金を流していた。このプロジェクトのコードネームは「オラクル(神託)」と名づけられていた。アンペックス社でエリソンの上司だったボブ・マイナーと、エドワード・オーツは後にオラクルを創業する仲間となった。

経営者としてのあらたな脱皮

そろそろプログラマから卒業したかったエリソンは、プレシジョン・インスツルメント社にシステム開発担当副社長として移籍することができた。経営者ラリー・エリソンのスタートラインである。そして、1977年エリソンはアンペックス時代の仲間ボブ・マイナー、エド・オーツに声をかけて、ソフトウェア開発研究所(SDL:Software Development Laboratories)という会社を設立した。この会社の当面の目的はプレシジョン・インスツルメント社のソフト開発に応札して一儲けしようというものだった。
(これも余談になるが、同じ年、ビル・ゲイツはハーバードを中退し、BASICに賭ける決心をした。そして、スティーブ・ジョブスがアップルを法人化し、ビジネスをスタートさせたのもこの1977年だった。もちろん3人がお互いを知るようになるのはずっと後のことである)

リレーショナル・データベースとの出会い

自分たちの会社で何をやるんだという議論で、3人の意見は一致していた。受託開発ではなく、自前のソフトを売るのだ。それが最も効率がいい。では何を売るんだ?というときに、浮上したのがエド・オーツが以前から興味を持っていたIBM研究所エドガー・コッド博士のデータベース理論だった。ちょうどその頃IBMではコッド理論に基づきシステムRの開発が進んでいて、専門誌に技術論文が掲載されていた。天下のIBMがやることに間違いはなかろうということで、3人はこのシステムの将来性に賭けてみることにした。すぐにシステムRの仕様をベースにソフトの開発に着手した。これが事実上のオラクル社の誕生であった。その後エリソンたちの会社はリレーショナル・ソフトウエア会社(RSI:Relational Software, Inc.)を経て、1983年現在のオラクル(Oracle Corporation)という社名を名のるようになる。

最初の顧客はCIA

エリソンの会社RSIでは、まだオラクルをDECのPDP11上で一生懸命開発中だったが、IBMのシステムRプロジェクトを見学してリレーショナルデータベースの有用性を見て取ったCIAは、商用のRDB製作会社を探したのだった。そしてCIAはエリソンたちの会社RSIを見つけ、声をかけてきた。CIAはちっぽけな、まだ怪しげな会社だったRSIにRDBを発注し、IBMマシンとDECのVAXで動かせるようにと注文をつけた。CIAにとっては使えるかどうかは度外視した、ほんの先行投資だったのだと思う。しかしこれはエリソンたちにとっては僥倖だった。その後運良く海軍からも受注し、UNIXマシンで動かす必要性もでてきた。
※DECはケン・オルセンが1957年に設立して、ミニコンという市場を切り開いた。一時は超優良企業と言われたが、1998年にコンパックに買収されて歴史をとじた。VAXはネットワーク時代に入って大ヒットしたミニコンで、ゴードン・ベルとそのチームが設計したものだ。

オラクルが獲得した大きな武器:移植性

こうしてオラクルはスタートから移植性(ポータビリティ)ということを最重要課題として突きつけられた。この課題に悩んだエリソンたちは、賢明にもC言語でオラクルを書き換える選択をした。C言語はUNIXのシステム言語としてデニス・リッチーケン・トンプソン等がほんの数年前に作ったもので、その頃、最も移植性に優れた言語だった。オラクルをC言語で作ったことは、後に莫大な効果を生むことになった。IBMは自分の会社のマシン以外でシステムRを動かそうなどとは考えなかったはずだが、エリソンたちは最初からそういう要求に直面したことで、どんなコンピュータでも動かせるシステムを得ることができたのだった。時流に乗ったDECのVAXの大ヒットとオラクルのポータビリティは、エリソンの会社に莫大な利益をもたらした。オラクルの初期のバージョンはバグも多く、使い物にならないといわれたこともあったが、リレーショナル・データベースの便利さは、それを埋めても余りあるものだった。こうして、エリソンの会社は毎年倍々に売上を伸ばし、たちまちビック企業にのしあがった。

コンペティターたち:でもオラクルが一番早かった

もちろん、そんなおいしい分野に競争相手が現れないわけはなかった。普通に考えて一番の競争相手は当のIBMであるはずなのだが、IBMの出足は遅かった。システムRは商用化されず、しばらく放っておかれた。IBMはすでにメインフレーム用にIMSという階層型データベースシステムを持っていて、リレーショナルデータベースにその邪魔をさせるわけにはいかないという営業的な事情があったためだ。競争相手となったのは、エリソンたちと同じようにシステムRのドキュメントに興味を惹かれたカリフォルニア大学バークレー校のマイケル・ストーンブレーカー教授率いるIngres(INteractive Graphics REtrieval System)プロジェクトだった。このプロジェクトが作ったイングレス(Ingres)というRDBを母体にして、インフォミックス(Informix:1981)、商用イングレス(1982)、サイベース(Sybase:1984)などのRDBが次々と商用化された。その頃になってIBMもSQL/DS(1982)やメインフレーム用のDB2を出してきた。またずっと後になるが、サイベースのソースコードをベースにマイクロソフトがSQL Server(1992)で業界に参入してきた。現在ではオープン系のPostgreSQLやMySQLなども広く使われている。

インフォミックスは2001年にIBMに買収され、DB2に統合されようとしている。

なぜリレーショナル・データベースなのか?

1970年にエドガー・コッド博士が、今となっては革命的な論文「A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks」をComunications of ACM誌に発表したのがリレーショナル・データベースの始めである。

前の年1969年にIBM社内報にその原型が掲載されていたが。

それまでのデータベースシステムは、階層型とネットワーク型があった。階層型はデータを親子関係、もしくはツリー構造のように管理しようというもので、ネットワーク型はデータ間にリンクのような構造を持たせようとするものだった。階層型は図にすると非常に分かりやすく映るが、アクセスも必ず親から子へとたどらなければならないので、プログラミングは大変だった。また、データの構造が事前に設定されていないとアクセスできないので、構造の変更は再編成という非常に大変な作業となっていた。一方のネットワーク型も図に表現するとすごくデータベースらしいものに見えるのだが、リンクという構造にすべてを託しているため、データはあってもリンクが失われると修復のしようがないという欠点があった。またプログラミングは迷路のように難しかった。
 コッド博士の発想は、データの管理を、こうした”構造”に依拠するのではなく、データの”関係性”に着目することにより、構造を排除することにあった。リレーショナル・データベースには構造はない。ただテーブルと呼ばれる表形式のデータが整然とあるだけである。リレーショナルデータベースは、階層型やネットワーク型とちがって、ランタイムにテーブルを追加したり、項目を削除したりすることができる。これは構造が無いから可能なのだ。その代り、関係性を定義するアクセス言語が専用に付属する。今ではSQL(Structured Query Language)と呼ばれる言語がそれだ。階層型やネットワーク型にはこういった言語はない。ただ構造をたどることでしかアクセスできないからだ。

ライバルがいてこそ楽しい

現代はリレーショナル・データベースの全盛時代だ。階層型やネットワーク型のデータベースモデルは、今ではメインフレームの旧システムの中で細々としか使われていないと思う。
 今のオラクルにとって一番の強敵は何といってもマイクロソフトのSQL Serverだろう。まだオラクルの優位は揺るがないが、ちょっと油断すると簡単にひっくり返るのがこの世界だ。エリソンは今、何を考えているのだろうか? いままでアップルを買収しようとしたり、超並列コンピュータに賭けたり、500ドル端末(NC)を提唱したり、いろいろ楽しませてくれたが、それも本業が健在だからできたともいえる。
 最後にエリソンが日本の文化について述べている言葉を紹介しておこうと思う。これがなかなか面白いのだ。

「日本文化というのは地球上で最も挑戦的で、その反面最も洗練されているという矛盾する側面をもっているんだ。日本人を見るとわかるが、信じられないほどの横柄さと、度を越した謙虚さという相容れない要素が絶妙なバランスを保って同居している。これこそわれわれが見習うべき点だよ」
スミソニアン協会のインタビューより自由奔放に要約

なんか、ほめられているのかけなされているのか分からないが、それがエリソンらしいのかもしれない。

参考文献および関連書籍の紹介
「カリスマ(上)」 マイク・ウィルソン著 朽木ゆり子/椋田直子訳 ソフトバンク 1998年2月  1500円
自称DB技術者が、尊敬する人って想像したとおりの人生なのですね。
SQLって不思議な言語ですよね。僕は、頭が悪いので、それがなぜ不思議なのかいえない。ただ、SQLを見た瞬間、衝撃だった。
あの簡潔さ。
「カリスマ(下)」 マイク・ウィルソン著 朽木ゆり子/椋田直子訳 ソフトバンク 1998年2月  1500円
アメリカで出版され話題となったThe Diffrence Between God and Larry Ellisonの邦訳で、オラクルの創業からのエピソードをラリー・エリソンを中心に書いたもの。ラリーの良い面も悪い面も紹介されていておもしろい。
「シリコンバレー・スピリッツ」 ディビッド・A・カプラン著 中山宥訳 脇英世監修 ソフトバンク 2000年8月  2200円
どちらかというとゴシップ系の評伝で、エリソンは「日本びいきのスピード狂」として紹介されている。ただ、読んでいると悲喜こもごもで成功者たちの人生模様が見えてきておもしろい。
「ポスト・ゲイツの覇者」 脇英世著 ソフトバンク 2002年9月  1600円
脇先生の得意分野で、筆も進むようでインターネット分野、オープンソース、モバイルとかなり手広い分野を、活躍する人物中心に解説している。エリソンもちょことっと登場する。
「IT業界の開拓者たち」 脇英世著 ソフトバンク 2002年9月  1600円
これも上の本と似たり寄ったりの構成だが、完全に人物評伝に徹している。エリソンの部分はほとんど同じ記述だ。
「データベース・システム概論」 C.J.Date著 藤原譲訳 丸善 1984年1月  12000円
この本はシステムRについて詳細に解説しているただひとつの本だと思う。いまではほとんど聞くことがないリレーショナルデータベースの数学的な基礎付けが解説されていて、コッドの論文とRDBの実装との橋渡しをこの本はしてくれる。
インターネットソースの紹介
2005/03/11(別ウィンドウ)
http://www.oracle.com/corporate/pressroom/html/ellisonl.html
自称DB技術者が、尊敬する人って想像したとおりの人生なのですね。
SQLって不思議な言語ですよね。僕は、頭が悪いので、それがなぜ不思議なのかいえない。ただ、SQLを見た瞬間、衝撃だった。
あの簡潔さ。
移行前のコメント
2005/03/11
自称DB技術者が、尊敬する人って想像したとおりの人生なのですね。
SQLって不思議な言語ですよね。僕は、頭が悪いので、それがなぜ不思議なのかいえない。ただ、SQLを見た瞬間、衝撃だった。
あの簡潔さ。

 

 

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